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着物は業のようなもの②

振袖の記憶

成人式の頃は特に着物に(というか洋服全般と自分の外見に)興味がなくて、式に出るのもめんどくさいし振袖も着なくていいよ、という女子に見事に育っていたのだが、20歳になった時に母に写真は撮ろうよ、と言われた。
家に振袖あるし撮った方がいいというのでまあそれでいいか、と思って着たのが最初。
ひさしぶり振袖を引っ張り出してみると、ずぼらな保管をしていた割には胴裏のシミはあちこちにあるものの、表に目立つものはない。
着るのには大して問題ないだろう、という具合だった。
帯は私が着るには優しすぎる色合いだったので、着付のところで借りることにした。
ちなみに20歳になる前に写真は先撮りすべし、と決めた母が全て手配していて、それに従って私は特に何も考えずに現地に行くと言った具合。
髪飾りとか小物とかも全てなんでもいいよ、かわいいなら、といった具合にあるもので適当にやって貰えば良くない…?という有り様。
あとで写真を見ると、母の振袖は当時はあんまり似合ってなかった。
ひとつには自分の顔立ちが派手で、母の顔立ちが化粧映えする系という系統の違いもある。完全に振袖とケンカしてた…。
ただ母は、とりあえず自分の振袖を娘の私が着たことには概ね満足していたようだった。

それと同時に、あまり似合ってなかったからあなたの雰囲気に合ったやつを借りましょう、と言ってその後夏にレンタル屋さんを回ってその時風の振袖を借りることになる。
2、3軒くらい回って(15着くらい試着した)、古典柄とは対照的な派手で現代色の振袖だった。
小物の色の合わせ方とかはこの時学んだことが多くて、今も割と役立っている。
写真撮影のスタジオの化粧品がシャネルやディオールなどのデパコスで彩られていて、お化粧に大して興味がなくても心が踊ったのは覚えている。
お化粧についてはこの後、大人になってから美容とファッションに目覚めて、パーティーメイクくらいであれば自分でやった方が早いくらいまでにはメイク技術も上達した。

自分は地元を捨てた人間なので成人式はめんどくさいから行かない、と言ったのに、まあいいから行ってこいと言われて朝4:00から着付に行き、車に乗せられて半ば強制的に現地に連れて行かれたのはまあ…。
行ったところで過去にいい記憶も大してないので会いたい知り合いはいない。
中学からは地元にいなかったので地域との関係が希薄なことも一因なのだが、眠気と闘いながらよくわからない挨拶をきいて、とりあえず現地にはいた。
やたらと新成人の人数が多い行政区なので、知り合いと会わなかったことは幸いだった。

自分は母が振袖については並々ならぬ思い入れがあったので、本人(私)にやる気がなくてもこういったイベントに自然に参加できたけれど、これはかなり幸運なことではある、という自覚はある。
なかにはさまざまな事情で振袖を着たくても着られなかった子がいることも知っている。
(もちろん、興味がないという子もいる。
ほんとうに人それぞれで、だからこそこの手の着物にまつわる話題は少し難しいのだ。)
成人式は節目のお祝いだから、振袖を着たい子がみんな着られるようになるといいな、と思う。
今は昔よりだいぶ状況はマシにはなっているけれど、それでもそこに到達できる人は限られている。
安いものではないので、どうしても着物にはそういう執念みたいなものもまとわりつくのだな、と感じたことは1度や2度ではないし、色々な思いが錯綜するのがわかっているので、自分はその手の話題について言及する時はかなり慎重に言葉を選んでいるつもりだ。
私が振袖を着られたのは、祖母の着物への怨念や憧憬と執着心、そしてそれを無意識に背負った母がそれに反発せずに着物を大事に扱う人であったおかげなのだ。
(母と体型が近かったので直しもいらなかったのも幸いした。)


結婚式と振袖

大学を卒業して社会人になり、お友達の結婚式がいくつかあった。
人付き合いをたくさんしていた訳ではないので一般的な回数よりは出席したのはだいぶ少ない方ではあるが、華やかな場が得意ではないのと、友人の結婚式に行くのにも友人の評判を下げてはいけないな、とか、受付を頼まれたりする時には華やかな格好の方がいいかな、など考え込んでしまい毎度頭を抱えていた。
当時の私のセンスはだいぶ派手で、新郎新婦の御親戚からは眉を顰められる可能性がある、という自覚があった。

あれこれ考えた末、穏やかにことを乗り切るために思いついたのが、振袖で出ればいいんじゃ?という結論だった。
(ホテルウェディングが大半だったので、そんなに大変でもないし。)
幸い家には自由に着られる振袖があるし、ホテルであればそんなに移動も大変でもない。
成人式の反省を生かして小物や髪飾りは現代の物を揃えた。
私自身も20歳の頃よりは歳を重ねたので、当時似合わなかった振袖もそこそこ見られるようになっていた。
そんな感じで何度か着る機会があったので、振袖に愛着が湧いて多少自分でも手入れをするようになった。
しかしこの"振袖を着ればいい"という解決策は、物が手元にあるからできたことで、なんだかんださまざまなイベントが発生するときには新しいものではないけど一式揃った着物に救われていることが多い。
それを文化資本と括るのだろうということを理解はしているのだが、そこに一抹の暗澹たる気持ちもあるのだ。
わたしはもともとそれを持っている側の人間ではないという自認があるので。

金銭的な豊かさは平均的であったと思うけど、都会の文化や生活を見よう見まねで祖母や母が構築してきた文化のようなものを多かれ少なかれ享受できる環境であったことは否めない。
但しなかには由来不明の正しくない文化仕草も相当数あり、自分が大人になる過程でいくつかのものについては由来が解明できたりやめたりしたものも多くある。

結果的に母の振袖は様々な面で私を多分に助けてくれ、着物への抵抗感を自然に無くしくれたのだと思う。
それはラッキーな境遇であったのだ。


成人式の時にレンタルした現代風の青い振袖


母の古典柄の美しい振袖。
成人の前撮り。
この後は結婚式その他のイベントで
何度も活躍していただきました。


ちょっとお姉さんになってから撮ったもの。
帯も帯揚げも母のもの。

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