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着物は業のようなもの③(終)

いけばなと道具

私が母の着物を丁寧に扱うようになったのは、いけばなを始めたことと無関係ではない。
実のところ所属している流派では着物を必要とする機会はそんなに多くないのであるが(全くないとは言わないが、いちおうmustでもない)、必ずしも着なければいけないものではないということは書き添えておきたい。

いけばなは基本的に花をいける技術を身につけるものだ。
センスを磨きたい、花をいけるコツを知りたい、教養として学びたい、技術を磨きたい、日本文化に触れたい…etc
様々理由で門戸を叩く。
でも自分がやっていて感じているのは、上記のことは入口であってそのどれもが本質的なことではなく(やっていると身についていくものではある)、実のところ道具や花の扱い方を知り、技術や文化を継承していく、ということがかなりのウェイトを占めているように思う。

習い始めの頃は道具や花の扱いはわりと適当で雑である。
やっているうちに花を長持ちさせる方法を知り、道具の手入れの方法を身につけていくように思う。
現に始めて5年くらいはわたしの花や道具の扱いはかなり適当で、今でこそいつでも自分で自由にいけたいのでmy道具は一式揃えたけども、その頃までは花鋏しか持っていなかった。
ついでに研ぎに出して鋏を切れるようにしておくようにしたのもこの頃。
花器についてはほとんどが貰い物だったので、この頃にはまだうまく花器に合ったサイズにいけることができなくて(普段のお稽古で使っているものは規定があるので)、四苦八苦しながらやっていくうちに今はどんな花器にでも適当なサイズの見当をつけて入れられるようになった。


道具も着物も手入れが要る

そんなこんなで、続けていくうちに時々着物を着る機会に出会すことがちょくちょく発生する。
着てもいいし着なくてもいい時もあれば、まあ限りなく着ていった方がいい時までニュアンスとしてはケースバイケースだけど。
パーティーなどが発生して、3回に1回くらいは着物を着る。
(ちなみに私はパーティーが苦手なので、余程のことがない限り積極的には行かない。)
そうすると、段々やっぱり着物もいいなという気持ちが頭をもたげてくる。
はじめの頃は母の振袖や付け下げを引っ張り出して着ていたので、着物にひさしぶりに息を吹き込む感じが新鮮な気持ちもあって、なんとなく余裕があったら着ようかな、と思って何度か着た。
その時は気持ちも身体もお金も余裕があるわけではなくていっぱいいっぱいで大変だったのだけど、イベントごとが終わっちゃうと楽しい気持ちしか残らないのだ。

そうして家にあった着物を総点検して、着られそうなものを引っ張り出しては虫干しをして、風を通すようになった。
幸い何もしていなかったのがよかったのか、そのまま着られる着物も多くあり、またそれらの着物を着続けようと思ったら手入れをしなければいけないことはなんとなく想像がついた。
着物も道具と同じで、長く使うには手入れをし、知識を身につける必要があった。
母と着付に通いながら、着物について学んでいる。
柄のこと、素材のこと、仕立てのこと、格のこと、帯の合わせ方…etc
中古の着物の流通が増え、趣味としての着物が浸透してきた今は昔ほどカチッと着る必要もない。(場合によるが)
基本を抑えたらあとはそれなり。
自分の着たいもの、合わせたいものを着てみて、小物類なんかは楽天などのネットショップで安く現代のものを買って合わせていく。
いろんなことを失敗したりしながら自分に合った着方をしていくのだろう。

手入れについてはまだまだよくわかっていないことも多いのだけど、風通しをしたりするほかは、悉皆屋さんなどのプロの手を借りながらやっていくよりほかないので、どこを頼るかは慎重に見極めなければいけないのかもしれない。
長く付き合っていけるところがあるといいな、と思う。

※「着物は業のようなもの」のシリーズのヘッダー写真はパーティーに出るのに初めて自装した時の色無地で、これは唯一自分のサイズで母に仕立ててもらったもの。


不意に着たくなってデートで着た紬
母がいちばんよく着たであろう付け下げ
母が着てた写真との比較も楽しい(全然雰囲気が違う)

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