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36歳の男がスロベニアでホームステイしてみた

「あんなとこ、普通誰も行かないわよ」

ホームステイ生活が始まりました。スロベニアでは運良くホームステイ先が見つかったのですが、首都Ljubljanaからバスで4時間半かかる場所ということに気がつき、困っていると「車を借りればいいのでは?」という危険なアイデアが。

よく考えれば国際免許を取ったのに、約一年使わずに旅行を続けてしまったのです。「もったいないから車で行こう!」と決めたものの、初めての左ハンドルの運転。高速はずっと左側でのんびり走り続けていて地元の車に煽られるし、ラウンドアバウトでは、どのタイミングで円を抜ければいいかわからず、叫びながらグルグル回る。

地元の人にも「てか、誰か知り合いに会いに行くよね?じゃないと普通行かないわよ」と言われるほどの町、Zavrcに到着してみると、なんとも美しい夕陽が待ち受けていました。

ホストファミリー家に到着すると、自家製のストロベリージャムのクレープを焼いてくれました。ここで素敵な家族と一緒に1週間を過ごします。

家族には4歳の可愛い子がいました


到着時には夕陽がお出迎え


ホームメイドのいちごジャム

高校時代のホームステイの思い出

ホームステイが始まってみて、そういえば高校生の時にオーストラリアのパースに2週間留学して以来ホームステイなんてしていなかったことに気がつく。それが最初で最後の留学体験で、ホームステイもそれっきり。

当時は、母子家庭でホストマザーの彼氏とその子供(父子家庭だった)が頻繁に出入りしているような家だった。僕らが遊んでいると隣の部屋でホストマザーが彼氏とイチャイチャしている声が聞こえてきて、「おいおい」ってみんなで顔を見合わせて一緒に部屋の扉に靴を投げつけたこともあった。

夜遅くに「Naoki、ボーリングに行くわよ」と言われ、もう眠いのに渋々着いていって、やっぱり眠くてボーリングをやらずに、後ろのバーで寝ていたこともあった。Black Eyed Peasを車が揺れるくらい爆音でかけ、みんなで熱唱しながら登校するような家族だから仕方ない。

最終日の夜、「日本人の留学生のため!」とホストマザーが張り切って作ってくれたカレーライス。残念ながら米の炊き方に失敗して、べちょべちょのお粥に、シャバシャバのカレーが出された瞬間、僕は固まってしまった。結局「Thank you thank you」と言って、頑張って食べたのもいい思い出。

驚きの生活リズム

ホームステイ。別の国の家族と生活すると、色々と面白い。着いて早々、「私たち家族は夕食は食べないのよ」と衝撃的な事実を知る。

朝にパンやクレープを食べて、お昼には職場でしっかりと食べるんだと。「夕食は?」と尋ねると「夕食は食べる時もあれば、食べない時もあるかな。お腹が減ってたら食べるかな」と。今まで、節約旅のために朝食を抜き、昼はサンドウィッチ、夕食はしっかりと食べる生活をしていたから、真逆の生活になる。

スロベニアでは6時〜14時、7時〜15時、8時〜16時のシフトで働く時間が分かれているので、仕事を終えて、16時には家族みんなで集まり、お腹が減っていたらお肉を焼いたり、スイーツを作ったり、ワインを飲んだりと、のんびりとした時間を過ごす。しばらく見つけられなかったけれど「幸せの時間(仕事や学校が終わった後の16時〜19時くらいのまったり時間)」はやっぱり存在するのかな。

この地域の人たちは、なんでも手作り。近所で採れるハーブでジュースやお酒を、ベリーが採れたらジャムを作る。もちろんスイーツも軽々と作ってしまう。ちなみに蕎麦の実(アイド・ワ・カシャと言います)を炊いて食べることもあるそう。チキンと一緒に出してくれたけれど、蕎麦の香りがして美味しかった。

「明日はスキーに行くけど一緒に行くか?」と言われて、「行きたい」と即答。スロベニアでスキーか・・・。楽しみ!

蕎麦の実を炊く


炊けた蕎麦をパプリカや玉ねぎと油で炒める


親戚が鶏を育てているのでチキンをよく食べるらしい


身体が芯から温まるスキー飯

前日の夜にホストファザーから「明日仕事休んでスキーに行くけど来るか?」と言われて、行くことになったスキー、最高でした。

クロアチアとの国境近くから、オーストリアの国境近くまで車で移動し、スキー開始。スロベニアのスキーリフトはリフトに乗りやすいようにベルトコンベア式で乗り降りをサポートしてくれるし、ガラスカバーが付いていて風や雪を防げるようになっている。4時間ほどさっくり滑ってきました。

例年この時期はカマガクでスキー教室に行き、昨年も草津に行ってスキーしたけれど、まさか今年スロベニアでスキーするなんて思いませんでした。

スキーを終えると、「スロベニアの地元料理を食べさせてやる。オムレツの中に甘いベリーが入ってる料理なんだ」と言うから、びびっていたのに、蓋を開けてみたらデザートだったというオチ。オムレツ=甘い卵たっぷりのスポンジということだったみたいです。甘さ控えめなんだけど、硬めでのスポンジとブルーベリーのジャムがベストマッチ。

ちなみに、デザート前にいただいた、白豆のスープPasuljがとんでもない美味しさでびっくり。白豆や野菜、燻製肉などをじっくり煮込んでいて、一口食べると身体が温かくなる。そこにどでかいソーセージも入っていて、噛みごたえ抜群!これをライ麦入りのパンと一緒に食べます。

寒い地域に近づくに連れて、パンや燻製肉などの保存食が美味くなってくる。赤ちゃんの時に初めて話した言葉が「パン」だった僕にとっては嬉しすぎる日々だ。

ホストファザーの同僚たちとオーストリアの国境近くへ
白豆のスープPasulj
勘違いを生んだ「オムレツ」


誕生日パーティーでスロベニアの歴史を思う

朝から雪。窓を開けて、息を吸うと、肺に冷たい空気が入ってきて少し苦しくなる感じが気持ちいい。

家族は仕事に行き、お子さんも学校に行っているので、家でのんびりすることに。確定申告やら、オンライン授業の準備をしながらも、仕事に飽きたら、犬と雪の中を散歩する。

木々に雪が積もって美しい。僕は雪がある山が好きなんだと実感。温かい家はもちろんセット。こちらの地域はセントラルヒーティングを備えた家がほとんど。セントラルヒーティングってどんなシステムか知らなかったけど、要は薪ストーブの進化版。朝と晩に二度大量の薪を入れて熱気を家中に巡らせる。お湯もこの熱を使って作る。だからガス代は料理だけ。こうやって表面的な知識はあるけれど、構造や詳細を知らないことって結構ある。

スロベニアは約30年前に独立戦争があり、旧ユーゴスラビアから独立を果たした国。30年前なので、今生きている結構な人が戦争を経験している。しかも、スロベニアは独自の軍を持っていなかったので、警察や市民も戦争に直接的に参加している(犠牲者も出た)。

戦争時は食べ物がなく貧しい思いをしたようだ。では、独立をして、生活が楽になったかというとそうでもない。ユーロ圏に組み込まれて、物価高や失業に苦しむ人が多い。自国の食品や産業品は他国に輸出し、自分たちは他国からの輸入品に頼ることが多くなった。

僕がホームステイさせてもらっている地域は、ワインやジャムなどを自分たち作って分け合う文化が残っている。夜は、ホストファザーのご姉妹の誕生日パーティーに参加したが、この地域のバンドがこの地域の民謡を演奏してくれた。最近、18歳の青年が新規加入したらしい!ホームメイドのワインも最高だった。演奏している彼らの嬉しそうな顔を見ていると、僕はこの頃の文化を取り戻し、そういう人生を選べるようにすることもアリなんじゃないかと思う。

朝起きたら家の周りが一面雪


鼻に雪が乗ってしまう


ブレッド湖(Lake Bled)に行ってきた

スロベニアに行くのを決めたのはブレッド湖(Lake Bled)を見たかったから。雪が降った次の日が晴れそうだったので、この日に行こうと決めていた。途中で有名な「トロイの木馬ドーナツ」(Trojane Doughnuts)を食べ、到着したブレッド湖は、雪化粧した山々に囲まれて最高に美しかった。

有名な写真スポットがあるということで、ハイキングコースを歩いてみたけれど、これ雪がある冬は歩いちゃダメなくらい危険。何度も滑って転ぶし、急な階段は足を滑らせたら死ぬぞってくらい。でも、山頂に着いてブレッド湖を眺めながら、今までの旅の中での絶景ランキング1位がブレッド湖に変わるほど感動していることに気が付く(今まではフィリピンのパシハン島で見た夕陽でした)。

スロベニアはこんな素晴らしい景色と食文化が残っているのに、旧ユーゴからの独立後に共産主義から資本主義に変わったことで、以前のゆったりとした日々がなくなってしまい、お金を稼ぐことが第一目標になってしまった。ホストファザーが子供の時は、地元の商店に野菜を買いに行くのに、家で獲れた卵をお金の代わりに持って行った。ジャムも蜂蜜もワインもホームメイドで、パンも自分たちで焼く。物々交換や相互扶助で成り立っていた社会が、金に支配され、日々の仕事に追われる社会に変わってしまった。儲かるのは都市部の一部の人であり、割りを食うのは地方の人たち。

共産主義というとあまりいいイメージはなかったけれど、僕が今いる地域の人たちの中には、昔の生活の方が良かったと言う人は多い。お金はないけど、その土地の食べ物が十分にあり、地域の人とのつながりが強かった時代には戻れないけれど、「いいとこどり」くらいだったら出来るかもね。

湖面に映る教会が素敵


ハイキングコースのフォトスポットから撮影。ここまでの道のりはきつかった


ワイナリーでベロベロ

休日の朝、「パンが硬くなってきたら、こうするんだ」と言って、卵液に浸してフレンチトーストでも作るのかなと思っていたら、大量の油で卵液に浸したパンを揚げ始めた。しかもバターを塗って食べるという。朝ごはんにしては大分重め。日本でもご飯が硬くなったらお粥や炒飯にアレンジして食べるけれど、寒い地域のスロベニアのアレンジは胃にガツンと響く。

たっぷりの油で揚げる
バターもたっぷりと

お土産にワインを買いたいことを相談したら、ワイナリーに連れて行ってくれた。この地域は葡萄の名産地。クロアチアとの国境沿いに有名なワイナリーがあり、そこでテイスティングをしながら、ワインを選べるらしい。到着してグラスワインを一杯飲む。そして蔵へ移動する。5世代続く、このワイナリーは毎年7万リットルのワインを生産し、様々な場所に出荷している。

さて、テイスティング開始。今回はこの地域のワイン協会会長が直々に説明をしてくれた。最初に飲んだ12年もののドライの白ワインはラム酒のような香りがするのに、口に入れるとまた別の香りを感じる。安物のワインしか飲んでこなかった僕は、「香りを楽しむってこういうことか」と少し大人になったような気がしてニヤニヤしてしまう。すでに酔っ払っている。

2つ目、3つ目もドライ。それにしてもドライワインは香りがすごい。「なんかドブみたいな匂いがするかも」と思って飲んでみると、めちゃくちゃ美味かったりする。訳わからん。マジで難しい。全部美味い。4つ目、5つ目、6つ目はスイートワイン。ドライワインに比べて香りが弱いように感じるのは、甘さの香りが強いから香りが弱く感じられるらしい。結局、6つもテイスティングしたら、酔っ払ってしまい、2つ目から5つ目までの味を思い出せなかったので、最初と最後に飲んだワインをお土産で買うことにした。

このワイナリーは宿泊施設もあり、ソーラーパネルで電気を生み出す。ガスもあまり使わずに、調理も薪を使う。セントラルヒーティングは屋外や畑にも張り巡らされ、冬でも野菜が育つ。もちろん美味しいワインもある。ここには国内外から人が集まり、みんなで美味しい食事と酒がある生活が営まれている。外部の資源に依存しない設備を作るのは、お金がかかることだけれど、何があっても生きていけるという確かな自信を感じた。

この辺の記憶は曖昧

まとめ

今回は、Couch Surfingというアプリを使ってホームステイを探し、1週間スロベニアの家族と一緒に滞在をさせていただきました。

今までは、学校を探して、必死になって授業やっての日々。充実はしていたものの、ボランティア期間が終わると、抜け殻のようになってしまうことも多かったですが、こうやって家族の中に入れてもらい、その地域の生活を同じように過ごすのも悪くない、というか最高だなと思っています。

授業をやりたくなったら海外の学校を訪問し、たまにはホームステイをして地域の人たちの愛や文化に触れる。日本人と旅をしたくなったらスタディーツアーをやり、たまーに日本に帰ってリアルででしか出来ない仕事をする日々なんて作れたらいいなーと思い直せた1週間でした。

大好きなSlavkoさんファミリー、ありがとう!

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