幼馴染み

 昨年9月、生まれた時からの大親友だった大井クンが亡くなった。もう10年以上前から、彼の難病の話は聞いていた。
 何度も回復し、また再発を繰り返していた。あまりにも長いので、病気と付き合いながら生きていくものと思っていた。

 高校時代の同級会がもう30年くらい毎年開かれている。同級生が高校3年の体育の授業の時、サッカーをやっていてキーパーの上を攻める側が飛び越えた。
 その瞬間にアタマを上げたところに攻撃側選手のヒザが当たった。
 受験期の真っ最中だったので、細部は知らされず彼は入院した。しかし大きな障害が残ってしまい、彼の治療は続いた。その時の投薬の副作用か、キーパーだった彼は36歳で亡くなった。
 イーズカも葬儀に参列した。

 その年から墓参りとセットで同級会が開かれるようになった。地元で歯科医院をやっている人間が幹事をやってくれるので、毎年必ず開かれていた。
 親友の大井クンは毎年誘いに来てくれて、奥様の運転で会場に行き、迎えにも来てくれた。イーズカの母が運転できなくなってからは毎年である。
 結婚式にも出ていたし、毎年の同級会でも必ず会っていた。

 昨年9月、日曜日にスーパーで買い物していたら携帯電話が鳴った。大井クンの奥様からで、訃報を聞いた。
 覚悟はしていたので、即座に通夜ではなく告別式への参列を申し出た。
 もう同級会には2年は出てこれなかった。闘病が大変だとは思っていた。

 一度、病院のベッドの上から電話をもらった。病状が思わしくないのは分かった。
 「病院を教えてくれ、オレが行くから」と伝えたが、「滅菌室に居るので面会は手間ひまが掛かる、また連絡するから」と電話は終わった。
 そのベッドサイドには奥様が居た、と後に知った。奥様いわく「闘病で弱った姿を、見せたくなかったのでしょう」との話だった。
 それから程なくして訃報が届いた。

 大井クンとは東京でも静岡でも何度も会っていた。一度、神谷町の会社に居る時に彼と飲んだ。
 その時、デンツー時代から付き合いのある先輩デザイナーも合流した。そのオマタ氏はデンツー・クリエイティブのトップクラスに居た。
 妙な3人で飲んだが、話題は楽しく進行した。
 後日オマタ氏と飲んだら、「あの大井さんというのは素晴らしい人だ。オマエはトンデモナイ奴だが、周りにあんな素晴らしい友人がいる。それはオマエの財産だ。」と言われた。

 オマタ氏も主張が強いので色々あってデンツーを離れた。離れた同志で、何度も一緒に仕事をした。
 そんなオマタ氏も現在は「ガン闘病」の最中である。前回電話した時は「今日から放射線投射が始まったので、全身がダルい。慣れたら電話する。」との話で、まだ会えていない。
 もう大井クンの一周忌になる。8月には大学の後輩が62歳で亡くなっている。
 葬儀に参列するたびに、みずからの健康を考え直す。

 イーズカは生まれた時は、病気のデパートであった。股関節脱臼に顔面神経マヒ、風邪はよく引くし、年中病院に通っていた。
 母は「10歳までは生きられない」と思っていたらしい。

 健康体を獲得したのは中学生になってからである。
 大学ではゲバルト部隊の先頭で戦っていた。26歳でエアロビクスを始めた。デンツー時代は夜は必ず飲むことになるので、7時半からの早朝エアロに通っていた。
 37年間ほぼ毎日、一日1時間は全力疾走している。

 しかし健康を過信していない。幼少期に死ぬ思いをしているので、健康には神経質である。
 「健康を害してまで、やるべき仕事など無い。」と確信している。疲れると、飲んでいる最中でも寝てしまう。

 そして今日も「日曜日のZUMBA」に参戦する。120歳まで生きるためである。


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