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器用な人が憎くて疎ましくて、たまんないという話

”器用”とはいつでも多めの嫌味を含んでいるが、私は器用な人が憎くて憎くてすきで疎ましくて憧れる。やることなすこと、目の前の選択肢をとりあえず1回ぜんぶ間違えて、だれも望んでないのに初手でボロボロになってから逃げるかそれとももう一度虚勢を貼り直して突き進むかしかできない自分の脳みそに疲れた果てたから。かわいくてやさしくて天才なのに使えない脳みそ。
   初めて行く場所は、Googleマップをみてその場で一回転足踏みしてから方向確認。よしっ!と気合いを入れ歩き出すが、右か左かを間違えと修復を繰り返しながら進み、目的地の周囲をくまなく探索してから辿り着く。徒歩5分とは?
  仲良くなりたい人に対してもひとりぐるぐる何百周も自意識の環状線を回転させては、まちがえて聞いたこともない駅で停車させてしまう。「ねえここどこなの〜!きゃはは!ぜんぜんちがうじゃん🤣」なんてのはファンタジーすぎて、目の前の人間はただ冷めた目で私のまちがいをスルーしてくれる。嗚呼。

  そんな私なので、建前、八方美人、マルチタスクのような言葉を心底軽蔑しながらも、わたしにとってそれらが未知数であるあまり、彼らのミステリアスさはしがむと本質は甘いのではないか?と惹かれてしまう。んなわけないのに。
  これはただ私が正直で正義感が強すぎる性質のASDであるが故の奇論であり、周囲からみると私の方がとびっきりのミステリアスなのだが。


  仕事を、人間関係を、つまりこの世界を上手くこなせる器用な人が、私にまで小手先でやさしさを分け与えられるほどの余裕さえあるのだ、ということに気付いた時の絶望と羨望。
そんな生の器用さをもつ人を、いつまでもなんだかたまらなく感じる。
  自分に1ミリもないものをもつ人は、いつまで経っても性的だ。情けない。

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