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高杉晋作のネガティブ・ケイパビリティ(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力~』を読んで②)

「ネガティブ・ケイパビリティ」の概念を発見したと言われる詩人のジョン・キーツ、その手紙を集めた『キーツの手紙』を読んだとき、日本で、幕末、奇兵隊を率いて活躍した高杉晋作のことがふと頭に浮かびました。夭逝という点も二人の共通点です。キーツが亡くなったのが25歳、高杉は満27歳で、死因は二人とも肺結核でした。思い通りにならない自分の体、近づいてくる死の足音など、療養時の心のありかたも、明日がある前提の人たちとは違ったはずです。

考えても仕方ない人生に、短く太く生きて後世に名を残そうという意志は、高杉の辞世「おもしろきこともなき世をおもしろく」という一句に見事に表現されていると思います。キーツも手紙の中で、「世の中のために何か役立つことをするということを考える他には、価値のある追及はありません」といった、何かしら自分の生の跡を残したい、そこに一途に情熱を傾ける様子が分かる箇所が複数出てきます。私は、この「考えても仕方ない」という思いが、ネガティブ・ケイパビリティの発明につながったと思えて仕方ありません。

ちなみにキーツが亡くなったのが1818年、そこから約20年たった1839年に高杉晋作は生を受けています。高杉は上海など、イギリスを始めとした欧米の植民地になりつつある中国に留学を果たしています。ひょっとしたら上海でキーツの本に出合っていたかもなどと考えるのも面白いものです。

・男子と言うものは困ったと言うことを決して言うものではない。これは自分が父から平生やかましく言われたことであるが、困ったと言う時は死ぬ時である。どんな難局に處しても、何困らぬと言う気概でやっておると、自づと通づるものである。

・天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。

・過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。

上に、高杉の言葉とされているものを3つ挙げました。いずれも決定論的でないものばかりです。まず、事態をあるがままに受け入れて、そこで決めつけをしないというもの。負けと思ったら負け、過ちと思ったら過ち、白黒がついていない段階で自らがあきらめてしまい、それによって好機を失うなど、幾多の人間が経験してきたことかと思います。まさしく、「答えの出ない事態に耐える力」、ネガティブ・ケイパビリティです。

ネガティブ・ケイパビリティを説明するのに、いい事例を思いつきました。

「旗」の禅問答はご存知でしょうか。揺れる旗を見て、師匠が弟子に、「何が見えるか?」と問います。弟子が「旗が揺れています」というと、すかさず師匠が、「揺れているのは旗かお前の心か」、と問いただす、例のやつです。この場合の旗は「ポジ」です。そして、心が「ネガ」です。本来的にネガとポジとは同じはずなのに、人間は思考を使って、ポジを捻じ曲げようとします。ポジをポジのままで知覚すること、そして、それができる能力がネガティブ・ケイパビリティです。

この「ポジ」のことを、プラトンはイデアと呼び、カントは「物自体」と呼びました。キーツにしてみれば、詩の源泉となる神の世界、「三千世界の鴉を殺し、主と添寝がしてみたい」などと唄った高杉にしたら、まさにそれが「三千世界」でしょう。理性の介在なしに、物を見ることができない人間に対し、そのありのままの世界をありのまま見ることができないと言ったのがカントの『純粋理性批判』です。

あるがままの世界を受け止めるには、思考ではなく、感性だということをキーツは何度も訴えています。

ということで、最後、もう一度、高杉の辞世の句に戻ります。

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり
高杉晋作 辞世

上の句は高杉自身が読んだ句ですが、下の句は、当時高杉の看病にあたっていた野村望東尼が付け足したものとされています。

高杉だったらこうは詠まないのではないかと、私は思うのです。要は心の持ちよう次第で人生はいかにも変わると言いたげですが、高杉にとっての「住みなす」場所は心ではなく三千世界のはずです。心は受動態としてのその一部に過ぎません。つまり、

おもしろきこともなき世をおもしろく おりなすものは心なりけり

などと変えると、しっくりくるのですが・・・。

巡るめく織りなす世界が「ポジ」つまり、真の世界である三千世界です。それが「折り」こまれた状態で「降り(下り)」て、来たのが心です。野村望東尼には申し訳ないのですが。


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