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沼津移住の振り返り~「聖地移住」する覚悟と現実

先日、「マツコの知らない世界」で聖地巡礼特集があり、聖地移住の話も出ていて、X上でも聖地移住について話題になっておりました。

で、少し気がかりなポストに違和感を感じた点がありポストさせていただいたり、夷さんの論壇デビュー(リンク)も拝見したりしたので(笑)、沼津のことを中心に聖地移住の課題について話をしてみようと思います。

 

「聖地には仕事がない」論への疑問

まず僕が前職時代に執筆させていただいた記事(リンク)をご覧いただきたいです。肝心の課題が抜けているぞと思われるのではないかと思われる方もいるのではないでしょうか。

仕事の話ですね。

「聖地となる地方には仕事が少ないから、聖地移住は現実的ではない」。

江戸中心の首都圏や大阪のような大都市に比べれば地方は確かに仕事は少ないため、このような批判が定番としてあります。

ですが、僕はこの主張には、自らの経験や聖地移住者の体験談などから違和感があるのです。

実際、転職ガチャがあるとすれば現状僕自身で言えばハズレを引いたと思います。給料も下がり、記者をやめた遠因(主因ではない)も解消されない職場になりました。不透明な部分があるので、万が一ここに配置となると困るなという最悪の勘が的中した感じですね。

ただ、うちの奥さんは完全なステップアップですし、いろいろかなり楽しそうにしていて、どう見ても当たりと言えます。2馬力であれば、どちらかがハマれば仕事と家事子育てのバランスを変えればうまく回せるので、全体のバランスとしては問題ないと思います。

加えて、僕自身も仕事をそこまで探すのが大変とは感じませんでした。特に沼津は東海道の要所、ちゃんと休む時休めることさえできるくらいの条件だけ絞れば、まあギャラは安くてもプライベートをそれなりに楽しく暮らせるところは見つけられるくらいに仕事はあります。経験則として、僕はそれなりに苦労して仕事探しはしたけれども、見た目上の待遇面は少し下がったくらいで済みました。

ただ、つぶしの効く資格や士業専門職、バリバリの理系でそれなりの学歴、ITスキルの高い人は、地方においては都市部以上に仕事がある圧倒的に優位な立場ですので、勉強するに越したことはないなと過去の自分を反省する気持ちはありますね。

正直、今は子育てや奥さんを優先して仕事は二の次です。今の仕事にやりがいは大してないし。職場に邪魔されれば問答無用で、こっちから切り捨てる覚悟もあります。奥さんも稼いでくれているので(笑)。

既婚者はどちらかがちゃんと稼ぎがよくてうまくいけば、もう片方はいろんな意味でチャレンジする余裕が生まれます。

では単身者はどうかというと、はっきり言って子育てとかの責任も生じないわけなので、別にサクッと転職したって、失敗したから一回移住先から撤退したっていいわけです。既婚者以上にフリーハンドだと思います。

むしろ夷さんが論考の中で指摘したように、本気で好きになった街に何かの目的をもって住み、そのための手段、ないしその目的の前提として行うのが仕事であるべきだと思います。

僕も仕事に左右されるのであれば、前職の方が少なくともやりがいはあるわけで…そもそも沼津に移住する意味がないと思っています。

ただ、沼津という街がよりよくなるために貢献する、そのための人とのつながりを作るという点では、正直仕事のガチャには大外れですが(苦笑)。2年は辛抱かなと思いつつ…ひとまずは私的な活動をもっとアクティブにできればなと思っています。

「非日常」は続く?日々魅力が見つかるのが聖地移住

夷さんの論考でもありましたし、僕も記事で触れさせていただいた「聖地移住すると非日常が日常になる」という課題。

実際、これは多くの移住者が感じる部分らしいのですが、僕は2カ月を過ぎ、意外といまだに非日常を楽しめている気がします。

そのあたりは拙稿(リンク)をお読みいただければと思います。

なんでだろうかと思うわけですが、結局聖地移住は聖地だから住むけれども、聖地が好きという次元ではなく、聖地となったその街が好きで移住するんですよね。

仕事が平日にあっても毎週末聖地近辺で何かしらのイベントに繰り出したり、キン肉マンミュージアムできたらそれを話題として気にしてみたり、「4月に入って富士山もツンデレのツン出してきたなあ」なんて日々の富士の山に思いを馳せてみたり(笑)、まだまだ巡礼では味わえないディープ沼津の魅力は限りなくあると思っています。

つまり、夷さんの論考にあるような地元民に気づかれにくい魅力の再発見、何気ない聖地の街の魅力の再発見は作品の終わりとは関係なく街を楽しめるだけでなく、非日常感をもたらしてくれるものでもあると思います。

この感じだと僕は向こう2,3年は日常より非日常を楽しめるのかもしれません(笑)。

実際、沼津はどうなん?

先ほど仕事の不安という点については丁寧にそこまで心配は必要ない旨説明させていただきましたが、拙稿を執筆するきっかけとなったポストにおいては、交通手段や子育てについて悪いイメージとして触れられてもいました。仕事の他についても過去の拙稿を見ていただきつつ、説明してみようと思います。

交通手段も聖地移住ではよく指摘される話ですよね。車がないと移動できないという話。

そもそもですが、自動車大国の我が国において全く自動車に向かない都市部こそが問題なのであって、地方は異質ではないと思うのですよね。

で、沼津でいえば、普通に他の田舎聖地と比べれば交通の便も良いほうです。バスも3社、タクシーも伊豆箱根交通中心にそれなりに動きも良く正直これで不便と言ったら怒られるレベルです。都会を見過ぎですね。

子育てについては、Xでも関心を持っていただいたこの記事をご覧いただければと思いますが、ことさらに長泉を持ちあげる風潮がありますが、正直イメージ先行なんですよね。今はほぼ横並び。

ただ、待機児童への意識はHPからも一目瞭然です。待機児童ゼロと言えど希望園に入れない現状を考える長泉に対して、〇年連続待機児童ゼロわっしょい!みたいな感じになっている低次元な沼津市…目先の数字と無償化のパフォーマンスに付き合った結果、とりあえずのなんでもかんでも認可保育にしていて、保育環境への意識は薄れているのかなとも思います。

移住の上で減点対象になるかもしれませんが、じゃあ他とそこまで差があるかというと、それはないかなという気はします。

 

ハードルは田舎的つながりの希薄さ

個人的に沼津の移住におけるハードルは、田舎的なしがらみのなさかなと思います。

よく地方移住というとその地独自のルールやしきたりに縛られるという話がありますが、沼津においては地理的な条件からかあまり田舎っぽい縛りはあまりないと思います。

ただその裏返しとして、コミュニティーに溶け込む手段があまりなく、地域と結びつきにくいです。

実際、以前記事にさせていただいたうみねこさんの会合に参加したときに「○年住んでるけどなかなか知り合いが…」という趣旨の話を結構聞いたんですよね。

僕は特に転入世帯が多い北側に住んでいるので、地域のつながりの希薄さはかなり感じます。妻子がいるので、ある意味地元の人との会話の種にもなるし孤独感もないのですが、1人で移住すると結構孤独感を感じていただろうなと思うこともあります。

積極的に地域の活動に参加して云々という指摘はごもっともなのですが、沼津においてはそもそも地域としてまとまって動くみたいなことは、あまりない(ように見える)気がします。人がそれなりに多くて都会に近い分、地域で活動する人たちが目立たないのかなとも思いますね。

あとは基本、民間がまだ頑張っている街なので、行政はおっとりしていて(笑)。田舎の頑張っている行政にあるような危機感をもって外から呼び込もうという意識は感じません。

移住民と地域をつなぐ役割はある程度行政にも責任がある気もしますが、基本的に行政のアプローチはいまのところ転入支援であって移住後のフォローアップが弱いです。お試し移住を今年度から導入したものの、「え、あんなに移住者いるのにこれまでなかったんですか」と他都市の移住者に驚かれました。

行政の職員の多くもいわば外を知らない人たちなので、内在する街の魅力や課題の捉え方がどうもピントがずれているんですよね。今市長に優秀なスポークスマンを戴いていることは僥倖ですし、職員ももう少し視野の広い採用(結局役所は新卒の地元ゆかりの人を優先するため)をすることに始まり、外部の力、民間の力を取り入れていかないとせっかく街が好きで来た移住者を定住につなげきれないのではと思います。

聖地移住は若いうちにせよ あと、勉強しようぜ

縷々申し上げてきましたが、実際のところ、一番重要なポイントは移住希望者の若さだと思っています。唐突な結論ですが(笑)

30(とくに半ば)を過ぎれば仕事を探すのは大変で、とくに都会に比べればどこの地方も仕事のジャンルは限られるので、仕事が見つけにくくなります。年齢を重ねて家族が増えればそれだけ守る者が増えるわけですから安易に合わないから仕事を辞めて次の道…というわけにもいかない面があります。

裏を返せば聖地移住に限らず移住は遅くとも30代前半までで単身であれば、チャレンジそのものは誰でも可能で、街に合わなくて、仕事が見つからなくて、失敗してもやり直せるんです。

「仕事がそんなに簡単に他で見つかるのか」ということは時の経済状況にもよりますが、少なくとも近年の雇用情勢をみれば都会で立て直すことも十分可能でしょう。それに若いうちは行動力と積極性で突き進んで失敗してもまだ身内も社会も助けてくれますからね。あと所帯を持っていないと家族に負担をかけるということはないので。

あとは飛び込む勇気について。これは若いうちしか後先考えずに行動なんてできません(笑)。飛び込んだ移住者はある意味無茶をするクレイジーな人たちだけど、一歩踏み込む勇気を出した熱い思いの英雄たちです。

「一番大切なのは、できるかどうかじゃない、やりたいかどうかだよ!」

このキザなセリフを実行に移せた存在が聖地移住者だと思っていて、尊敬に値する人たちだと思います。だからこそ移住に踏み込めなかった、つまりその勇気を出せなかった人がことさら「移住は大変」などと不安をあおったり否定をすることについては正直、発言の自由はあっても説得力がないと思っています。

人間だれしも失敗はつきもので、僕も失敗だらけの人生だったので、奇跡的に強運で生きてきたといつも思っています(笑)
ただその失敗の多くは20代前半までなんですよね。だんだん年齢を重ねると失敗自体も怖いし、失敗したときに負うリスクも大きいです。
聖地移住を人生における一つの大きなイベントととらえても、20代で失敗したところで人間80年生きる時代の4分の1過ぎたくらいなわけですよ。あと50年以上逆転の機会があるわけです。
これを40代、50代で考えてみてください。もう死ぬまで半分切ってんのに今失敗したら取り返し付かねえし、もう年金生活間近じゃねえかっていう。

ただ、これのリスクヘッジをするための手段がなくはないです。若くないとだめというわけではありません。
仕事の話で出てきたように、若いうちに勉強をしましょうという話ですね。手に職を付けることも一つでしょう。これも広い意味で言えば勉強が必要ですから。
若い世代で少しでも聖地移住に関心があるそこのあなた。マジで今勉強に打ち込むと将来あらゆる意味で楽ですよ。勉強は裏切りません。知識を得られれば視野も結果的に広がります。
したくないこと、歳を取ると本当にしなくなるからね。
若いうちに、勉強しようぜ。




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