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命の恩たま。

【脊髄性筋萎縮症】という疾患を持っている以外は、ありがたいことにすこぶる健康なわたし。

ですが、過去に1度だけ「これはちょっとやばいのでは…?」と思う状態になったことがあります。

今回は、そのときのお話。


27年ほど前の、高校3年の冬。
わたしは、進路に揺れていました。

前にもどこかで書いたことがあるかもしれませんが、その頃のわたしはとにかく
「わたしはみんなとは違う!」
と思いたくて、いろんなことに焦っていました。

当時、わたしが通った養護学校は、卒業して働いたことがある人がほとんどいなかったので、“右も左もわからない”くせに“それを自分で何も解決しようとしない”姿勢のままで、
「卒業したら退院して札幌で働きたい!」
と、分不相応極まりない夢を抱いていました。

そんなぽわぽわした状態のわたしのもとに「障害がある人を雇いたい人がいるよ」という情報が舞い込んできました。
情報源はまったく覚えていません…いま思えば怪しすぎ危なすぎ案件😱💦

そんな案件に易々と飛びつき、ろくにリサーチもしないまま、家族や主治医に相談しました。
結末はおわかりですよね。
いまのわたしでも止めます。絶対アウト。
当時のわたし、危うすぎです。


そんな状況が知らず知らずのうちにストレスになっていたのか、体調に変化が現れます。

まず、11月の終わり頃に風邪をひきました。
1週間くらい寝込んで、まー熱は下がったから復活しましょ☺️と思い通常運転に戻したのですが、その後もどうにもしんどい。
だるさが抜けない、節々が痛む。
現代なら🦠を疑われる状況です。

案の定、それから数日後に再び発熱しました。
ここからがしんどかった…。

まず、熱が下がらない。
上がる→座薬で解熱→少しラク→座薬の効果切れる→上がる のエンドレスループ🤪

何より最大の敵は、謎の嘔吐でした。
熱があってだるすぎて何も食べられないのに、ずーっとずーっと吐き続ける毎日。
汚い話で申し訳ないのですが、出るものがないので、ひたすら胃液が出ました。

どうしてこんなことになってるんだろう。
いつになったらよくなるんだろう。
もしかしてこのまま…

どんどん悲観的になる思考。
その間にも嘔吐は続きました。

そんな日が2週間ほど続いたある日の日曜。
誰が呼んだか、母が面会に来てくれました。

嬉しいけど、具合悪い。
ただひたすら、そばにいてもらいました。

わたしは具合が悪いけど、母は健康ですのでおなかが空きます。
「ちょっとごはん買ってくるね」
と行って出かけ、戻ってきた母が持っていたのは、ダイエー(懐www)で買ってきた親子丼。

具合が悪くても、まわりが食事をするのは全然大丈夫(何せ当時は8人部屋😆)だったので、母にもわたしの横で親子丼を食べてもらいました。

すると母が
「食べてみる?」
と言って、くたっと甘じょっぱく煮込まれた小さな玉ねぎを箸でつまんで見せてきたのです。

いや気持ち悪いし…と思ったのですが、「いまもし食べて吐いたとしても、母がいるから大丈夫だな」という気持ちもあり、意を決して玉ねぎを食べてみることにしました。

玉ねぎを口に入れ、必要以上に噛み砕き、恐る恐る飲み込みます。

……

やはり多少むかむかしましたが、嘔吐まではしませんでした!!

そして不思議なことに、この“ひと欠片の玉ねぎ”を境に、少しずつ嘔吐が落ち着いていったのです!!

その後のわたしの人生でも、体調が悪いときに助けてくれたのは【甘じょっぱい玉ねぎ】でした。

車酔いで何も食べたくなかった旅先の食事でも、小鍋で煮込んだ玉ねぎのおかげで元気になれた。

🦠のワクチンの副反応で吐き気に苦しめられたときも、義母が作ってくれた玉ねぎの卵とじのおかげで復活できた。


命の恩人 ならぬ 【命の恩たま】です。


玉ねぎの甘じょっぱさと共に、調子が悪くてしぼんだわたしの心にしみわたったのは、【愛情】と【安心感】だったな…と思います。

高校3年の体調不良のときも、母が来てくれたことがきっと何よりの良薬だったんだと思うし、副反応のときも夫と義父母の存在が本当に支えになりました。
ヘルパーさんたちも、おえおえするわたしの背中を何度もさすさすしてくれました。

【人】に支えられて、助けられて、生きています。
わたしも、大切な人たちを支えて、助けて、生きていきたい。
甘えっぱなしの人生だけど、少しずつでも恩返しができたらな、と思います。


玉ねぎの話で引っ張りすぎました…2000字超え…しかも玉ねぎの登場だいぶ遅い😅笑

ツッコミどころ満載ですが、甘じょっぱい玉ねぎの話に免じてお許しください🧅💖笑


#元気をもらったあの食事

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