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「協調性」というのが、昔からダメだ

協調性というのが、昔からダメだ。
この言葉、みんなで仲良くしましょうってな顔をして近寄ってくるけど、
「◯◯にとって都合のいいことにお前ら黙って付き合えよ」
という脅迫の別の言い方に聞こえてしまう。


協調とは、『スーパー大辞林』によれば、


① 力を合わせて事をなすこと。
② 利害の対立するものが,力を合わせて事にあたること。「労使―」「国際―」


とある。
これなら分かる。お互いに歩み寄るわけだから。


しかし、納得もしていないのに、
「うっせーな、あれこれ言わずに言うこと聞けよ」
という意味で「協調」が使われていて、それにしたがわない者は、伝家の宝刀であるところの
「協調性のない子ども」というラベルを貼られる。


子どもの頃は、これが言語化できなかった。
だから、「協調性のない子ども」の私は、悪い子だと自分でも思っていた。


でも、いま思い出せば、「協調性のない子ども」では無かったと思う。
理不尽な言いがかりに反抗していただけなんだと思う。
本当の協調性のある集団を育てたいなあと、いまも思っている。

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