「ながら」の方が何故か集中できる

この本文で書こうとしている内容とは直接関係なのですが最近盛んに言われるようになった「ながらスマホ」という言葉ってちょっと面白いなと感じています。普通「AをしながらBをする」というとき行動の主目的はBであって、Aはあくまでその付帯というイメージですよね。例えば「パンを食べながら歩く」場合は「歩く」ことが行動のメインで、パンを食べているのはあくまでそのついでです。

そういう観点で言えば移動中にパンを食べる行為も、タバコを吸う行為も、スマホをいじる行為もすべからく「ながら歩き」とか「ながら運転」にまとめられてしかるべきなのです。それでも「ながらスマホ」という言葉に妙に説得力を感じてしまうのは、現代人にとってはむしろスマホを見る行為の方が主目的にとって変わられているからかもしれません。「歩きながらスマホ」「運転しながらスマホ」。物理的な移動の方がむしろ「ついで」に追いやられているというのは何かとても現代を象徴している気がします。

閑話休題。

総じて「ながら」があまりよい印象を持たないのは同時にいくつかのことをすることで注意力が散漫になるイメージが強いからなのでしょう。ただ個人的な実感を言えば僕は「ながら」をした方がむしろ集中力が発揮できるという状況がたくさんあります。それは特に単純作業をするとき。

仕事柄文章の校正、数式のチェックをすることが多いです。当然かなりの集中力が必要となる作業ですが、こういうとき僕の実感としてはイヤホンをして耳から何か情報を流し込んでいたほうが圧倒的に仕事の効率が高くなるのです。

おそらくなのですが、何もなしに単純な作業をしているときと、頭の中の余ったメモリーが退屈して余計なことを考え出しちゃうのですよ。するといつの間にかそっちの思考に頭が乗っ取られて、気づけば作業が全く進んでいなかったなんてこともしばしば。別の情報をあえて入れて、頭のメモリーをフル稼働の状態に保っておけば頭が退屈する暇がなく、結果的に単純作業の方にも集中できるというのが僕の勝手な理屈です。

ただもちろんこれはあくまで「単純作業」のときだけで、難しい数学の問題を解くという状況だと当てはまりません。街を歩いたり、ましてや車を運転するような複雑な状況判断を伴う行為のときには「ながら」は絶対に危険だと思いますので、くれぐれも「ながらスマホ」はお控えください。


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