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【短編小説】キャンディ・ピンク・メリーゴーラウンド

「おっかしいなぁ。こんなはずじゃなかったんだけど」

 真冬の寒空の下、まったく動く気配のない馬と目を合わせて、ため息をついた。

 瞬きをしないまま、くるんとカールされたまつげが私に主張してくる。

 カラフルなデコレーションに楽しそうなBGM。都会の遊園地の真ん中で、ハッピーな空気をふりまくメリーゴーラウンド。ようやく見れたのに、動いてないんじゃ意味ないよ。

 ぐるっとまわりを見回しても通りゆく人の姿はまばらで、冷たい風だけが通り抜けていく。

 腕につけたトラベルウォッチを確認したら、帰りの時間まで残り3時間。

 いいかげん寒いし、絶対にこのまま帰るなんてやだ。


「あのー」

 柵越しに馬とのにらめっこを続けていたら、話しかけられた。

 ピンクのツナギを来たお兄さん。手にはホウキとちりとり、胸には遊園地のワッペン。

「……ちょっとどいてもらっていいですか?そこ、掃きたいんで」

 わ、ごめんなさい!と反射的にその場所を譲って、でも手持ち無沙汰で困って、そのままお兄さんの姿を目で追う。

 ロボットじゃなくて人間が掃除してる。みんなが地面を歩いてて、乗り物が飛んでないから空が広い。資料では知ってたけど、実際に見るとやっぱり不思議。

 ぐるっと柵に沿って落ち葉がキレイに掃かれていく様子を見ていたら、掃除を終えたお兄さんが今度は柵の向こう側から私に近づいてきた。

「・・・・・・これ、乗らないんスか」

 さっきの馬を指さしている。一番かわいいピンクの子。

「え?」

「・・・・・・ずーっとここで見てますよね?」

 やばい、バレてた。

「あ、あの!乗りたいんですけど・・・・・・」

 自分の事情をどう説明したらいいかわからなくて、えーと、えーと……と口ごもって、結局そのままうつむく。

「や、あの無理に乗らせようとかじゃないんだけど」

 逆にお兄さんが困ったようにフォローしてきて、もどかしくなる。

 ちっがーう! 乗れるモンなら今すぐ乗りたいんです!

 こういうとき、どうしたらいいんだっけ。

話していいこと、ダメなこと。

トラベル中に現地で人と交流するときのマニュアルを一生懸命思い出そうとしたけど、まったく出てこない。こういうの、ちゃんと習ったはずなんだけどな。学校の授業、もっとちゃんと聞いとけばよかった。

 おそるおそる顔を上げてお兄さんの顔を見たら、ちょっと焦りながら「暇すぎて、お客さんの観察しかすることなくて」と早口で言った。

 あ、この人、いい人だ。

お兄さんの困り顔を見ていたら、なんだか急に元気がわいてきた。

「あの! 今日乗った人いますか?」

「え?」

「このメリーゴーラウンド! 今日何人乗りました?」

 勢いよく私が質問したら、ぽかんとした顔でお兄さんは私を見つめ返して、

「二人」と答えた。

「あそこの親子連れ」

 指さした先には、ウォータースライダーに乗る小さな男の子と、スマホを持って男の子が流れてくるのを待ち構えるお父さんの姿。

 なるほど、いかにも子どもに人気がありそうなやつ。

そうだ、遊園地の人気といえば絶叫系ってやつだって。

「ごおお……」という音がして振り返ると、目の前のショッピングセンターのビルの隙間からジェットコースターが走り抜けるのが見えた。人、全然乗ってない。

 ちょっとちょっと! 人気のアトラクションでも全然人がいないんじゃない!

 私が乗り物の観察をしていたら追加情報が来た。

「ちなみにあの子、あのスライダー乗るの多分10回目くらいです」

「えぇ! こっちは?」

「一回だけッスね」

 がーん……。キラキラな世界での圧倒的序列。こんなに近い距離で、そんな熾烈な争いが繰り広げられていたなんて。

 当たり前のように淡々と説明するお兄さんに聞いてみる。

「お兄さんは、これ乗ったことある?」

「いや、ないッス」

 二度目のがーん……。こんなに近くにいて、どうして乗らずにいられるの。

「じゃ、乗ってみて!」

「え、なんで」

 突然の私の提案にお兄さんがちょっと引いてる。でも私だって譲れない。

「楽しいからだよ! 乗ったらわかるよ」

「え、乗ったことあるんスか?」

「・・・・・・ないけど!」

「ないんだ」

 お兄さんがフッと笑った。

「ないけど、わかるの! こんなキレイな乗り物ない。みんな当たり前にスルーしてるのがおかしい!」

 熱弁する私の横を、ショッピングセンターでの買い物袋を肩に掛けた女の子たちが通り過ぎていく。

「こんなにカワイイのにねぇ・・・・・・」

 見向きもされないピンクのまつげちゃんを見つめて、私は今日何度目になるかわからないため息をついた。

「まぁ、真冬の平日なんてこんなもんじゃないスか」

 私との温度差をキープしたまま、お兄さんはいかにも慣れた様子で柵にもたれかかって、また園内観察を始めた。


 うぅ、私ってば、なんでこんな日を選んで来ちゃったの。ただ、あのメリーゴーランドが動いてるところを見たかっただけなのに……。


「こぉら、佐藤!」

 今度は黄色のツナギを着た人が現れた。足元からドシンドシンと音がしそうな太っちょのおじさん。

「げ、平山さん」言いながらお兄さんが姿勢を正す。

「お前、お客さん少ないからってな~。んん! なに、彼女? おいおい青春してんな大学生~」

「や、違いますって!」

「地味そうに見えて、こういうヤツが意外にモテたりするんだよな~」

 陽気なおじさん、もとい平山さんは、ニヤニヤ笑ってお兄さんを小突いている。

「いやだから、違くて。お客さん!……でもないか」

 お兄さんが説明に困って、「えーと……?」と私を見てきた。

「あの! 私、モモって言います!」

 勢いあまって大声で自己紹介したら二人ともびっくりした顔してる。

変な子だって思われたよね、うん。でも気にしない!

「子どもの頃からこのメリーゴーラウンドの写真見て、いつか本物が動いてるところ見たいと思ってて。今日ようやく来れて、だけど、全然人気なくて動いてなくて……」

 言いながら、だんだん悲しくなってきた。


 一人での宇宙間トラベルが認められる18歳の誕生日。コツコツ貯めてきたお小遣いを奮発して、地球行きの往復チケットを手に入れた。

滞在時間わずか5時間の弾丸旅行。希少価値が高すぎるこの時代の現地通貨に両替できるほど、私はお金を持ってない。だけど、自分が乗れなくても、動いてるところは見れるでしょって思ってたのに。

黙り込んでしまった私に平山さんが心配そうに声をかけてくれる。

「えーと、モモちゃんだっけ? 地方に住んでるのかな。そんな熱烈なファンがいたとは、ここで働くスタッフとしてはうれしい限りだよ」

平山さんはピンクのまつげちゃんの隣に並ぶりりしい顔した白馬の頭をなでながら、少し遠くを見てる。

「うちの娘も小さい頃は、メリーゴーラウンドが一番だって、来るたびに喜んで乗ってたなぁ。今はもうなかなか口もきいてくれない反抗期真っ最中の中学生だけどね」

 少し切なそうに話す様子を見て、午前中にケンカをして飛び出してきた家の両親を思い出して、気まずくなる。

もう18歳になるっていうのに、「宇宙間トラベルなんて行っても無駄よ」とか言って、全然認めてくれなかった。だから、たった一人で弾丸日帰りツアー。

「まぁまぁ! このメリーゴーラウンドも、いつまで残ってるかわからないから。好きなんだったらできるだけ今のうちに遊びにきてやってよ。って、モモちゃんも、そんな年齢じゃないか!」

 がっはっはという平山さんの笑い声でかき消されそうになったけど、今けっこう大事な話、してたかも。

「え、いつまでって……?」 

「いやー、やっぱり維持費とか大変なんだよ。人の入りはこんな感じでしょ。だけど乗り物のほうはどんどん古くなって、人気とメンテナンスのバランスが難しいんだよね」 

「そもそも、子どもの数自体が減ってるわけですしね」

お兄さんが相槌を打つ。

「う〜ん、そうなったら、佐藤もバイトクビだなぁ」

 意地悪そうな声で平山さんが返す。

「まぁ、どうせ来年には大学卒業なんで、どっちにしろ残り最大1年ですけどね」

「あーぁ、佐藤がいなくなったらつまんないなぁ〜」

うん? あれ? 二人の会話を遮って、私は尋ねる。

「えっと!あの……さっきから気になってたんですけど、子どもじゃなくても乗ったらいいんじゃないですか? 大人だって乗りますよね?」

 私がふと口にした疑問に、二人が顔を見合わせる。

「いやまぁ、乗らないことはないけど……」

「でも子どもの付き添いとか、たまにって感じっス」

 ええーーー!!

「でも私、見たの! 小さな子どもだけじゃなくて、スーツを着た大人も、スーパーの買い物帰りのお母さんも、部活帰りの高校生も、なんだか頭の固そうなおじさんも、いろんな年代の人たちが乗ってる写真。子どもよりも大人のほうが多かった!」

 お兄さんが首をひねっている。

「もう3年はここでバイトしてるけど、大人ばっかり乗ってる日なんて、見たことないスね」

 平山さんもうなずいている。

「いやー、ないね。どんなハイシーズンでも、この半数を大人が占めるのだって難しいだろうね」

 うそうそうそ!

 だって、じゃあ、あの写真は。

私は驚いて固まってしまった。

「あのね、信じてもらえるかわからないけど」

私は二人の前で、くるっと回転してスカートをはためかせた。

「私、地球人じゃないの」

「「は?」」

 平山さんとお兄さんの声が重なって、今度は二人が固まってしまった。

「えーと、えっと。私、今の時代からだいたい100年後の火星に住んでます。宇宙旅行カウンターで、2024年の地球行きの往復チケットを買って、UFOに乗ってきました。2時間前にあそこの噴水前に降ろされて、夜になったらまた同じUFOに乗って火星に帰ります」

 勢いに乗せて一気に説明して、大きく息を吸い込んだ。

 ウォータースライダーとメリーゴーラウンドの間にある噴水からは、水が噴き出す音が一定のリズムになって聞こえてくる。

「小さいころ、図書室のアーカイブの中にきれいな写真集を見つけたの。時空をこえるタイムトラベラーが、いろんな年代のいろんな星をまわって、今ではもう見られない景色をまとめた本。その中にここの写真もあって」

「ここ・・・・・・」

「そう、夜にライトアップされてキラキラ光るメリーゴーラウンド。乗ってる大人たちがみんな楽しそうに笑ってて、それを見てる周りの人たちも、みんなが幸せそうな顔してた」

 言いながら、私は人気のしないがらんとさみしい園内を見渡す。

 描いていたイメージとは全然ちがう冬の遊園地。

「写真集を見ながら、いろんなことを想像した。銀河系のはじっこにある美しい青い星のこと。ひとつの星の中にいくつもの国が存在していて、それぞれに特徴的な文化があったこと。その中でも、ここのメリーゴーラウンドは本当に輝いてた!」

 私は目の前の景色と記憶の中の景色を照らし合わせてみる。

 全然ちがう。だけど、たしかにこの乗り物で間違いない。

「今日、本物を見てみて、感動したの! こんなキレイな乗り物、私の住んでるところでは見れない。私たちの時代のアトラクション、バーチャルで一瞬で宇宙旅行にも行ける時代なの。便利だけど、こんなに感動しない」

 すっかり黙り込んでしまった二人を前に、ハッと我にかえった。

 あーあ、全部話しちゃった。

「こんな話、信じる……?」

 お兄さんに聞いてみる。

 ぽかんとした表情のままのお兄さん、でもニヤッと口元で笑って

「とにかく、このメリーゴーラウンドのことが好きなんだってことはよくわかった」

と言ってくれた。

 嘘のないまっすぐな言葉がうれしくて私、その場でぴょんっと跳ねた。

「うん! じゃ、それでいい!」

 突然の私のジャンプにびっくりして、「なんスか、それ!」ってお兄さんが今度は顔全部で笑った。

「あーあ! 突然奇跡が起きて、大行列ができたりしないかな?」

 すっかり気が抜けた私は、その場でぐるぐる回ってスカートをひらひらさせてみる。

「無理じゃないスか」

 私につられたのか、お兄さんもすっかり気が抜けた様子で、柵にもたれながら園内を見渡す。

「だけど、どうしても、このメリーゴーラウンドが満員になって回ってるところを見てみたいんだもん!」

「大行列ねぇ……」

 平山さんもその横に並んで、空を見上げてる。

 そのとき。色のない冬の空を見上げて遊園地のBGMを聞いてたら、突然パッとひらめいた。

「あの! 一回だけでいいから、これ動かしてくれませんか?」

「「はい?」」

 さっきよりも息がぴったりの二人の声。

我ながらナイスアイディア。

「私、この時代のお金持ってないから乗車券が買えないの。でもせっかくここまで来たのに、乗らずに帰るなんていやだ。だから、お友達特典で、一回だけ動かしてくれませんか?」

 スイッチの入った私は誰も止められない。

 そーだそーだ、どうして思いつかなかったの! 

お願いしてみればよかったんだ!。

二人は呆れた顔で私を見返す。

「お兄さん! お願いします!」

「無理っスよ。オレは何の権限もない、しがないバイトなんで」

「平山さん! お願いします!」

「いやいやいや、いくらモモちゃんがメリーゴーラウンドのファンでも、できることとできないことがあってね……」

 平山さんの言葉を遮って、

「ねえ! はるばる火星からやってきた女の子がかわいそうじゃないの?」

二人のリアクションなんて気にしない。

目の前で両手を組んで、一生懸命お願いした。

 長い沈黙の時間が続いて、これ以上どうやってお願いすればいいかわからないけど、だけど、他に方法はないから必死になってお祈りポーズを続けた。

 ぎゅっと目をつぶって、握りしめた両手に力を込める。

「……あぁーもう、一回だけスよ」

 大きなため息とともにお兄さんの諦めたような声がした。

バッと顔を上げたけど、そっぽを向いたまま私とは目を合わせてくれない。

「俺は何も聞いてない。……見てないし、聞いてないぞ」

 平山さんは何かの呪文を唱えるように、斜め上のほうに顔を向けている。

「やったーー!! うれしい! 本当にありがとう!」

 特大級の大ジャンプをして、私はお兄さんに飛びついた。

「ちょっと! 危ないから!」

 口ではそんなことを言いながら、しっかり受け止めてくれるお兄さんが頼もしくて、思わずぎゅっとハグをした。

「そしたら私、人を集めてくるから! ちょっと待ってて!」

「「え!?」」

 何度聞いたかわからない、二人のユニゾン。

「私一人で乗っても意味ないでしょ? 大人がたくさん乗ってるメリーゴーラウンドに私は乗りたいの!」

 信じられないくらい大きな二人のため息を聞きながら、私は園内に駆け出した。


 近くのベンチに座ってクレープを食べてる高校生のカップル。

 ウォータースライダーの親子連れ。

通りがかりの社会人のお姉さん。

メガネをかけた坊主の高校生くん。

 片っ端から、園内にいる人という人に声をかけた。

「私と一緒にメリーゴーラウンドに乗ってくれませんか?_」

「お願い、どうしてもたくさん人が乗ってるメリーゴーラウンドを見てみたいの!」

「一回だけでいいから!」

少しずつ人が集まってきた。

「あの! よかったら、これ乗っていきましょうよ!」

 人だかりに集まってきた中学生の3人組の女の子たち。後ろに回り込んで、グイグイと柵の入口まで押していく。

「え? えっと?」

「はい! 説明はこのおじさんから聞いてね」

困ってる女の子たちを平山さんに託して、私はまた走り出す。

あと半分。

「こんなことしても無駄かなぁ……」

 走りながら、心の中で諦めそうになる。

 100年後は残っていない景色。

あと30分後にはお別れする場所。

カラカラに乾いた砂嵐の吹く星のことを思い出した。 

寒くて凍えそうなこの冬の空気さえも、もうすでに愛おしくなってくる。

心を奮い立たせて走っていたら、向こうから集団がやってくるのが見えた。

「あ、野球部のみんな連れてきました・・・・・・」さっきのメガネ君が男子高校生の集団とともに現れた。

「営業ノルマから逃避しに遊園地寄ったんですけど」って人生楽しんでそうに見えるサラリーマンのお兄さん。

「買い物帰りでよかったら……」と、近くのスーパーに買い物から帰ってきたお母さん。 

「乗って乗って! とにかくみんな乗って!」

 お兄さんが乗り物たちのまわりを歩きながら、一人ずつシートベルトを確認していく。

 さっきまでガランとしていたカラフルなテントの下で、みんなの話し声が響いてる。昼間の静けさが信じられない。

「これで満席」

 確認が終わったお兄さんの声が聞こえた。

お兄さんが締めてくれたシートベルトを外して、私は運転ボックスで目をつぶってた平山さんに駆け寄った

「平山さん、私の代わりにあの子に乗ってくれる?」

「モモちゃん? メリーゴーランドに乗りたかったんじゃないの?」

びっくりした顔で平山さんが私の顔を覗き込む。

「満員になったのを見てたら、外から見たくなったの!」

 私はワクワクが顔にあふれるのを止められなくて、口をぎゅっと横に結んだ。

「いやでも……」

 何か言おうとした平山さんの腕をお兄さんが引っ張って、馬のところまで連れて行ってくれた。

「ここまで来たら、こいつの好きなようにやらせてやりましょうよ」

あきらめたようにお兄さんがため息をついた。それを見た平山さんもそれ以上は抵抗できなくて、「なんだか恥ずかしいな」なんて言いながら馬に乗ってくれた。

「よし、動かすぞ!」

 駆け出したお兄さんを追いかけて、私も急いで柵の外に出る。今日一日で自分の定位置になった場所に戻って、柵に手をかけた。


 ブザーが鳴って、楽しそうな音楽が流れだす。ゆっくりと回転を始めた円盤の上で、何人かの人たちの「わぁ……」という声が漏れた。それぞれの馬や動物たちがゆっくりと上下に動いて、まるでトランポリンで跳ねてるみたい。

 すっかり日が暮れて、あたりは暗くなっていた。

 ライトアップされたメリーゴーラウンドが、神様からスポットライトを浴びたようにキラキラと輝いている。

 ずっと止まったままだったピンクのまつげちゃんが、楽しそうに跳ねている。今日一日見続けた光景が嘘みたい。

大人も子どもも、楽しそうに笑ってる。

きっと二度と一緒に過ごすことのない人たちが、同じ時間をみんなで共有してる。

 子どもの頃から憧れていた、あの写真そのままの景色がそこに広がっていた。


だけど、みんな3分後にはそれぞれの日常に帰っていく。

きっと楽しいことばかりじゃなくて、苦しいことや辛いことだって。

みんなの笑顔を見ながら想像してみる。


 次の春には遠距離恋愛になる予定のカップルと、

 お互いの本音を言えずに仲良しを演じ続けてる女の子たちと、

夏に負けた悔しさを抱えて練習に励む坊主の高校生たちと、

毎日家族のために家事をやり続けるお母さんと、

普段は子どもの寝顔をしか見れないお父さんと、

営業ノルマに苦しむサラリーマンと、

反抗期の娘との関係に悩むおじさんと、

もうすぐクビになるかもしれない遊園地のアルバイトと、

親子ゲンカしたまま100年後から逃げて来た私。


乾いた砂嵐が吹く星で、私は大人になることを怖がっていたのかもしれない。

あんなふうに冷めた大人になる日がくるんじゃないかって。

そのことを認めるのが怖くて、砂嵐のせいにして、親のせいにして、逃げてきた。

だけど、地球だろうと火星だろうと、この時代だろうと100年後だろうと関係ない。

あの写真がどうしてあんなに輝いて見えたのか、今の私はわかる気がする。


 みんなが帰っていった後、柵の外まで出てきたお兄さんにお礼を言った。

「今日は本当にありがとう。見たかった景色が見れたよ」

「あと何分残ってるんスか?」

 急に質問で返されて、面食らう。

「えーと5分くらい? もうそろそろ行かなきゃだ」

「一回だけ」

「え」

「あと一回だけ動かすから、乗って。ほら急いで」

 腕を引っ張られてうながされるがまま、入口から柵の内側に入る。

 ずっと憧れていたキラキラの空間。さっきまでいた人たちの笑顔を思い出す。

 お兄さんは迷うことなくまつげちゃんの前に私を案内してくれた。

「ほら」

 腕を掴ませてもらって、つるつるしたピンクの背中にまたがる。私の体勢が整ったのを確認して、お兄さんは運転ボックスに戻っていく。

 どうしよう、緊張と興奮で心拍数がどんどん上がっていく。

すると、さっき聞いたばかりの明るいBGMが流れ始めて、スピーカーから平山さんの声が聞こえてきた。

「まだ着席されていないお客様は、すぐにお馬さんたちに乗ってくださーい」

びっくりしているお兄さんに向かって、「今度は佐藤が乗る番だろ」と親指を見せている。

 それを見たお兄さんがうなずいて、まつげちゃんのほうに戻ってきた。

 当たり前みたいに、隣の白馬に乗った。

「それでは、ここから始まる魔法の冒険をお楽しみください」

 再び平山さんのアナウンスとともに動き出すメリーゴーラウンド。

 たったの3分間。

 だけど、夢のような3分間。

 くるくると回り続ける景色を見て、永遠に忘れないと思った。

「ね、奇跡起きたね!」

 興奮したまま横を向いたら、お兄さんが私のほうを見て笑ってた。

「大行列はできてないスけど」

 もう少しで夢の時間が終わってしまう。

「もう! たった一回でも奇跡は奇跡だもん!」

「いや、たしかに奇跡だったかも。うん、奇跡だ」

 お兄さんが、噛み締めるように頷いた。

「ねえ、私、今日のこと忘れないよ」

「奇跡を起こした、地球の思い出?」

「そう、地球人と火星人が力をあわせて起こした奇跡」

「なんスか、それ」

 二人で顔を見合わせて笑った。

 メリーゴーラウンドの回転がゆっくりと遅くなり始め、楽しそうな音楽が静かに冬の夜空に消えていった。


(2024/01、8,700字)

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