Mixi本社からの眺め

「note ✕ 日本経済新聞」からメディアの大変革期を考える9つのポイント

図や画を交えながら書いてたら2万字を超えていました。削っても1万8千字超えの長文です。今書いておかないと、2度と書けそうにありません。基本的にnote 等 SNSフォロワーの方に書いていますが、半年後にタイムカプセル的に読もうと思ってます。まぁ。お時間がある時にどうぞ。

★2018年11月7日15:25追記しました。:12/1(土)から「note」上に「COMEMOマガジン」としてサービスをリニューアル!


① 「日本経済新聞・ピースオブケイク資本業務提携」とは何か?
② 新聞を取り巻く環境変化とnoteについて
③ これからのメディア・6つの視点
④ 「読む新聞」から「使う新聞」とnoteの関係
⑤ 新聞とnoteから見た「読者変化」の違い
⑥ 情報インフラの変化を振り返る
⑦ 日本経済新聞社の事業変化
⑧ 6つの視点で考える「note✕日本経済新聞」
⑨ 「note✕日本経済新聞」は何をもたらすか


はじめに
タイムラインにこの情報が流れて来た時、正直「おお!やったぁ!さすがー!」と叫びました。これはnoteクリエイターが待ち望んでいた「noteクリエイター出口戦略」の一環だと感じたからです。noteだけの世界ではなく、様々なコミュニティ(繋がり)と行き来する。そういう仕組みになる予感がしたからです。単に「新人発掘」的な関係性に留まらない、もっと夢のあるハナシだと思います。

なによりも「長文は、書いているヒトの考えや人柄がボンヤリと見えてきます」そして、そもそもヒトとはそれぞれ違うもの。「note✕日本経済新聞」のニュースは、一般ビジネスマンから見れば「は?ブログだろnoteって」程度か、「noteって何?」だと思うのです。まぁ、視点や考え方は、違うから面白いものです。

「note✕日本経済新聞」は、きっと新しい繋がりと交流の幕開けとなるのではないかと期待しています。外部連携APIとは、データのやり取りだけでは無いはずです。しかし外部連携APIが実装できるような、「伝統的な日本企業」において日経以外に思い浮かびません。ひょっとして今後、世界にも例を見ないサービスが出来るのかもしれません。それが「善き明日へ」繋がると信じています。ネットの本質は「繋がり」だと思うからです。


①「日本経済新聞・ピースオブケイク資本業務提携」とは何か?
今更言うまでも無く、noteは「PVランキング」など数値ランキングを行いません。そこから産まれた「独特のカルチャー」は今までのネット文化とは違う点であり、noteに色々書いてきましたが、特にスキな所です。書店で素敵な書き手に出会える体験のようなものが、noteには備わっています。


ランキングの設計はどうあるべきか?本質的に、PVランキングは収奪的な構造をもたらす。ランキングは少数のコンテンツにPV、フォロワー、売り上げなどを集中させてしまう性質がある。※「収奪的」とは、勝者が全てを独占してしまうこと。


どのような「思想」や「考え方」でnoteサービスを改善・発展させて来たのか、毎日使っているから感じるものがあります。どうやって今回の資本業務提携に至ったのか、その全てを知る立場にありませんが、CXO深津さんの存在が大きいのは明らかだし、自分の周囲はそう思っています。日本経済新聞社は過去にはEvernote、昨年はネット動画制作のViverなど、様々なスタートアップと資本業務提携を行っています。記事を読むと、どんなサービスが登場するのかワクワクします。


「日経・ピースオブケイク資本・業務提携」記事まとめ。

1:両社の今後のコミュニティ連携の形として、「日経IDを使ってnoteにログインできるID連携も具体的に検討している」(加藤氏)
2:日経新聞社が展開するビジネスコミュニティ「COMEMO」でのnoteのクリエイターらの連携。
3:8月3日配信の日経新聞電子版によると「日経とピースオブケイクはミレニアル世代向け新サービス開発などに取り組む」としている。
4:ピースオブケイクの社外取締役に日経・渡辺洋之常務取締役が就任。
5:4億円の増資でエンジニア、データサイエンティストの人材採用を加速。
6:両社は相互の強みを生かした新しいサービスの開発・運営を共同で手がける。具体的にはnote上での日経独自のサービス展開、両社で新サービスの共同開発などを検討する。
7:日経は今後、制作したコンテンツを「note」上で配信するなど独自のサービスを展開する。「note」上の発信者を日経が運営するメディアやイベントで起用する計画もあるという。
8:日経は「両社の強みを生かして、ビジネス分野のコンテンツやリーダー育成を発展・進化させていく」とコメントしている。





②新聞を取り巻く環境変化とnoteについて
自分の解釈では、「noteは、長文や写真や動画を情報発信できる、コミュニティ感のある新しいサービス」だと思っています。先日note公式オフ会に出席したヤマシタさんのnoteから引用すると「次世代の情報流通拠点」を作っていく。とあります。では視点を移して「新聞を取り巻く環境変化」から見たらどう見えるでしょうか?

日本経済新聞が、NIKKEI NETを開設して、情報を配信しはじめたのが1996年。ほとんどの一般ユーザーのインターネット接続がダイアルアップ接続だった頃、野とも山とも分からない状態だったのではないでしょうか。紆余曲折があって、2010年、日本経済新聞 電子版(Web刊)創刊しています。

創刊当時の経緯などを、2017年5月に「ほぼ日」糸井重里さんが、日経・渡辺さんと対談しています。糸井さんの対談って「緩め」に始まりますけど、中味はシャープなのですよね。日経電子版の会員が50万人突破した時に、対談をやっていられるのも凄いです。これには日経電子版が立ち上がる時の様子が書かれていて、面白いです。日経・渡辺さんの電子版に対する「想い」や「考え方」の底流が読めます。2020年オリンピック後にまで対談は広がっているので、これは是非お勧めします。


【前例がないからドキドキする仕事】
―対談「ほぼ日」糸井重里さん「日経」渡辺さん。


【時間の無いヒト用】
「ほぼ日」糸井重里さん「日経」渡辺さん・対談キーワードをピックアップ】

・2008年のリーマンショックで日経新聞社が初めて赤字になった。
・日経に来た4月1日からの1週間ぐらいで、ウン十億円というハンコを押させられた
・まだ「Web2.0」の終わりぐらい、有料のサービスも、無料のサービスも、みんながよく分かっていなかった時代。月4,200円、40ドルを取って成り立つサービスは、世界でもアダルトサイトしかなかった
・今、当時のじぶんに何かを言ってあげるなら、「どうせ変わるなら早くやっていたほうが、やり直せるチャンスがある」ということを言いますね。
・「読者ではなく顧客だ」
・新聞社ではふつう、記者と読者の関係なので、「読者に対して」とか言うんです。でも、電子版を担当している我々からしたら、「読者」ではなく、「顧客」です。読者サービスではなく、顧客サービスだと言えば、考え方だって、全然変わるはずです。
・4,200円の価値を正しく認めていただこう、という想いがあるからです。
・我々の日本経済新聞は、読者投稿のページがない、唯一の新聞だと思うんです。
・つまり、読者と会話したことがないんです。もちろん、ご意見をいただいたり、良かった声も届きますけど、我々の編集局では、「記事で応えろ」と育てられてきました。
・それから30年が経った今、私がネット事業の責任者をやっているわけです。
・今の世の中、人工知能のシンギュラリティとか言われている中で、あと30年も経てば、仕事だって絶対にもう1度変わるはずです。
・今の仕事を発展させて1年間頑張る程度のことを続けていても、お客さんのニーズとは全然違うところに行ってしまうんじゃないでしょうか。
・日経新聞の読者で終わるんじゃなく、せっかく電子版によってメーカーと顧客の関係になったので、この関係を続けていけたら、たとえ新聞を読まない人でも、日経新聞がやったほうがいいものがいっぱいあるんじゃないかって思うんです。
・シニアになってからも日経新聞で繋がっていると、過去を活かせることがあるじゃないか、そんなことばかり夢想しています。
・インターネットの本質は、繋がりじゃないでしょうか。


・・・・

●「読む新聞」から「使う新聞」へ。
「糸井さん視点」は読むと面白いのですが、少しフワフワした感じが残ります。これは気持ちのイイ部分であるのですが、新聞社側の視点で図にしてみました。「コンピューター」を買い揃える側の視点といえるかもしれません。いくら「取材」しても「輪転機」が無ければ「新聞」が読めないのと同様に「コンピューター」が無ければ「PC・スマホ」で新聞は読めないからです。

1990年代初頭に登場したインターネットは、サーバー構築する時代でした。SUN・SPARKサーバーにオラクルのRDBをインストールして、1台1000万円以上した時代です。アクセスピーク時にあわせて何台揃えればいいと言うのでしょうか。伝統的な大企業サイトが「落ちる」ことは、恥以外のなにものでもなく、それは言語道断な時代でした。当時、華々しく企業サイトを立ち上げる事は、まるで「SUN」と「オラクル」の為に働いていたようなものでした。

2000年代初頭は、Iモード全盛時代と言えます。PC接続者が600万~700万人の時代に、ガラケーで1000万人がネットに接続できるようになったのです。フランスのミニテルをアイデア源としたIモードの有料課金メニューの登場は、世界最先端のモバイル成功事例でした。海外の通信事業者は、ドコモに参拝しましたが「なんじゃ?待ち受け?着メロ?子供だましで極東のキワモノだな」と言って帰りました。ドコモのIモード輸出は欧米で「現地化」は出来ず、世界標準になることはありませんでした。

2007年i-phone・スマホの登場に至ります。そして2007年5月の総務省のICT(情報通信技術)国際競争力懇談会で、出席者の一人が発言しました。「携帯電話のガラパゴス化現象に強い危機感を抱いている」この発言をトリガーとして、汚名的な記憶を残す事になります。「国内のビジネスモデルが海外では通じない」と「独自進化したガラパゴス諸島の生物」に例えて嘆きました。力のある通信会社が販売店に奨励金を出し、携帯端末を実質0円で販売する商習慣も批判を浴びました。やがてIモードを象徴とするガラケーは、急速に勢いを失っていき、Iモードサービスは2012年に終了しました。

i-phone1人勝ちが続き、2010年代後半になり、スマホは1人1台になると「リアル社会」に異変が生じるようになります。2016年の夏頃から、ブックオフの売上が急落して、TSUTAYAが次々と閉店するようになります。恐らくこれに隣接競合しているのは「メルカリ」などスマホ・サービス。「個人間・取引市場」や、「個人時間・消費市場」を席巻したと気がつくビジネスマンは少数でした。古着や、不要になったグッズを販売してお小遣いにしたのは、主婦や若い世代です。「伝統的な日本企業」の経営層や、管理職には見えませんでした。新聞も、読むだけではなく、「ビジネスに使いこなしてナンボのもの」に進化しました。



「システムの変化」は「ビジネスモデルの変化」へ
日経電子版はエバーノートに出資・業務提携しています。記事をクリップ出来るのは便利ですね。新聞を「読む」から「使う」へ。画面の裏側のシステムがそれを可能にしてきました。単に「情報提供」ではなく、色々と外部サービスを組み合わせた「サービス提供」が多くなった事の意味は大きいと思います。日本の伝統的な大企業にありがちな「1社で抱え込み」をしていては、魅力的なサービスが提供できない事が、やっと目に見えた形になってきたからです。この、日本の伝統的な大企業の「1社で抱え込み」は「ケイレツ」の名残というか、「下請け」的・上下関係意識という「タテ社会」の残滓というか「お前に出来る事くらいオレにもできる」という「なんでも自分の思う通り支配したい」というビジネスの在り方です。若い世代には「え?それってなんのこと?バカじゃないの?!」状態だと思いますが、「システムの変化」は「ビジネスモデルの変化」を生んで、日本の伝統的な大企業を、わずかですが、少しずつ変えているように思えるのです。

近年は、サーバーはAWS(amazon web service)を代表とするクラウド・サービスが一般化して、財務会計系などにオンプレ市場はまだ根強くあるものの、どんどんサーバーレス化されています。米・国防総省のデータをクラウド移行するのに1兆円以上の予算がつく時代です。クラウドだからって、サーバーが単に雲の向こうに行くだけではありません。サーバーレスとは、「サーバーを自前で用意せず、マネージドサービス(つまりAWS等の事)を利用してシステムを構築する」ことです。自前でやっていると「ヤバイ!障害が起きた!対応せねば」「ストレージが枯渇した!対応せねば」と管理が大変になりますが、AWSを使用することで、そのような大変な作業から開放されます。ところで、今となってはAWS Lambdaはサーバーレスの代表格ですが、以前は「サーバーレス」という用語は使われず「コードをクラウド上で実行する製品」と言われていました。それほど最近の出来事です。そして、APIエコノミーと呼ばれる「外部連携アプリケーション・インターフェース」によるサービス提供が盛んになってきました。


日経電子版とSlack

※Slackを使った事の無いヒト向けのMEMO
ビジネス・コラボレーションツール「Slack」はチャットツールだがLINEとは違う。2017年11月日本語版公開、日本では、50万人以上の日間アクティブユーザー、15万人以上が有料プランユーザー。(2018年6月末時点)




③これからのメディア・6つの視点
「note✕日本経済新聞」は、どんな視点から見れば、その可能性や面白さが理解してもらえるのか?下記の図、「四角い箱」(ネット空間)にある「スマホ」(PC)を「6つの視点」で捉えてみました。

① 読者の変化(読み手と書き手の際の不透明化)
②記者の役割の変化(ジャーナリズムの進化)
③グローバル環境の変化(FT買収など)
④情報インフラの変化(輪転機・写植からクラウド・UI/UXへ)
⑤隣接市場の変化(GAFAとAPIエコノミー)
⑥事業環境の変化(経営者視点)


この意図は目次的なものでは無く、よく見かける「新聞社の経営数字は?」とか「広告売上は?」とか「部数は?」という「評論型」「批評型」のハナシとは違うよ。という事です。そういう情報は、検索すれば出てくるので、他のヒトに任せたいと思います。

ひとつ一つ詳細に書いていくと、ほぼ論文になってしまうので、特に書き残しておきたい点をピックアップしていきます。




④「読む新聞」から「使う新聞」へとnoteの関係
今まで、新聞は輪転機が無ければ、テレビ局は、放送設備がなければ、レコード会社は、レコード録音スタジオがなければ、仕事をする事は不可能で、大組織で取り組むものでした。情報発信は、限られた選ばれた人の役割りで、なかばある種の特権だったのだと思います。


SNSによって誰でも情報発信できるようになりました。世の中には「虚偽の情報」「マウンティングした情報」「間違った解釈の情報」「思い違いの情報」など様々な情報が氾濫しています。情報の取捨選択には「ネットリテラシー」が欠かせません。マスメディアでさえ誤報や、鵜呑みにできない情報を発する時代です。

情報が溢れると、情報を取得するルートは個人個人で設定が異なるようになります。みんなが「新聞」を読む時代ではありません。アプリやツール毎に、細切れになった「情報」(記事+その他)を読んでいます。そうすると、自分と同じ考えの人や、著名な人のハナシしか「読まない」「信じない」「考えない」という「情報のタコツボ化」が起きているのではないでしょうか。これはアルゴリズムかもしれませんし、各自の設定や好みの問題かもしれません。それは、柔らかいフィルター・バブル(泡の幕)で包まれたある種の理想郷のようにも見えます。不快な「異なった解釈」には触れず「好む情報」だけに接している事が、それほど良い状況だとは思えません。異なる解釈や意見に対する「思考」や「ストレス耐性」は下がる一方なのではないかと考えます。

これら「情報のタコツボ化」は、上司と部下。先輩と後輩。世代間による考え方の違いなど、多くの行き違いを生み続けているように思えてなりません。この問題は、目に見えにくいので新聞記事にもなりにくいと思います。それら「思想の断絶」とも言える、「そもそも的に違う」状況は、いつまで続くのでしょうか。


●「使う新聞」とSNSの関係(第1形態)
「独りで読む・考える・シェアする」
ネット以前の新聞は、独りで読んで、解釈して、学んだり、納得したりして、半径5メートルで会話をする程度だったのではないでしょうか。それが、URLをSNSに貼ってシェアしたり、コメントを添えたり出来ることは、距離が離れた人とも「情報を共有」できる便利なツールに違いありません。特にTwitterなどSNSによる拡散機能が発達したことが大きいと思います。日経新聞の記事をエバーノートにクリップしてシェアする利用数や比率がどの程度なのかは分かりませんが、ツールが揃っているのは便利ですね。かっては新聞記事を、誰かに伝えて共有する手法は、アナログ的に「新聞記事の切り抜き」コピー用紙を渡す事でした。IT系企業の若い世代には信じられないでしょうが、まだまだ国内でアナログ派が主流の会社に存在する事象だと思います。


●「使う新聞」とニュースピックスの関係(第2形態)
ニュースピックスにピックアップされる事で、「他人の意見も読む」事が出来るようになりました。「なるほど」とか「へぇ」という気分が増えて、記事の味わい方に「幅」が出来たのだと感じます。仮に、自分に大した意見が無くても判断の足しになる事は魅力的ですし、自分の解釈が他とどの程度違うかも目安になります。無意見でも、ちょっと賢くなった気分に浸れるなど、過去に無かった機能だと思うのです。しかし、肩書社会の名残りが大きく、「誰が言ったか」が大事な要素です。


●「使う新聞」とnoteの関係(第3形態)
「使う新聞」第2形態を通過点とすると、第3形態に進化するといいなと思っています。ネットで「考えている背景や、人柄が透けて見える」状況です。「他人の意見も聞く・考える・意見を語る」。単に肩書だけや、いいね数だけでコメントに興味関心を引くのではなく、「意見や解釈の内容」が交わることで、知識が深まったり、解釈の視点が広がる事です。
noteユーザーならピン!と来るかもしれませんが、長文や、「何本も書かれたものを読む」経緯を経て得られる「新しい関係性」です。これは※「今までネットで主流とならなかった空間」かもしれません。

※「今までネットで主流とならなかった空間」→これを安易に「コミュニティ」とは呼びたくありません。コルクラボ、箕輪編集室、はあちゅうサロン、朝渋など様々な「オンラインサロン」や「コミュニティ」が出現していますが、それらは変化する一過程で、現在の「コミュニティのイメージ」であり、誤った印象を避けたいのです。


ネットの本質は、繋がる事ですが、「砂の一粒」」のような存在(意見や解釈)と「星の一粒」のような存在が出会えるのが「ネットの素晴らしい出来事」ではないかと思っています。「星の一粒」が繋がる事は、それぞれにとって強力な「自分ごと化」であり、そして「エンゲージメントが深まる」ことに繋がるのだと考えるからです。noteそのものに、既にこの文化があると思います。

※「砂の一粒」」のような存在(意見や解釈)とは、弱者やマイノリティというイメージより、過疎地の視点とか、挑戦者の視点などという「少数の視点」というイメージです。

そして「独りで読む・考える・仲間に話す」から「他人の意見も聞く・考える・意見を語る」ようになると、「使う新聞」は「情報知」から「集合知」へ飛躍するのではないでしょうか。



■「書き手が読み手」であり「読み手が書き手」であるnote
noteは読むだけのヒトも大勢いますが、書くヒトも大勢います。正確な数値は存じ上げませんが、「書き手が読み手」であり「読み手が書き手」であり、その事によって「実際に会うまでに、かなりの情報共有ができる」サービスになっています。「情報発信したいヒト」を応援するサービスなので、必然的にその環境を好むヒトが集まっているといえます。


「読む新聞」読者の思考様式は、「使う新聞」顧客の思考様式」と違うのではないでしょうか?
「読む新聞」=日経読者は、「意識的に情報は摂取するもの」
「使う新聞」=日経顧客は「意識的に情報は取捨選択するもの」
という違いがあるのではないかと思うのです。

前者・「読む新聞」=日経読者の仕事感覚は、「技は盗むもの」「情報は集めるもの」「独占にこそ力が生じる」という成功体験で出世してきたと思います。「使う新聞」=日経顧客の仕事感覚は、「情報は溢れている」「最短コースを選択して時間を使う」「独占より共有に意味がある」という価値観で仕事していると思います。この2つの価値観の違いを、まずは受けとめないと、「使う新聞」とnoteの関係(第3形態)は「は?何のことだ?」状態に陥ると思います。

「使う新聞」とnoteの関係(第3形態)とは、この、「書き手が読み手」であり「読み手が書き手」というnoteユーザーと、「使う新聞」=日経顧客との交流が始まると、どのような化学反応が起こるのか?と思うのです。

もちろん「読む新聞」=日経読者との交流を否定するのでは無いのですが、思想や価値観の違いを予めレクチャーする「仕組み」や「段取り」(オフ会などリアルで出会うなど)を経ないと、考え方の「違い」が理解できず、ただただ「違和感」が大きくて、科学反応は起りにくいと思います。



■補足:礼儀1.0と2.0について
「読む新聞」=日経読者と、「使う新聞」=日経顧客を、の思考様式や価値観の違いを分かりやすくする為に、あえて乱暴に比較してみましょう。

「読む新聞」=日経読者→礼儀1.0
「使う新聞」=日経顧客→礼儀2.0

●礼儀1.0とは
相手を重んじる。自分の時間を犠牲にし、時間を相手のために使う。直接会う。スーツなど服装をわきまえる。
●礼儀2.0とは
相手の時間を奪わないようにする。電話しない。リモートで済ませる。

●礼儀1.0とは、相手のために「自分がいかに時間を使ったか」に価値がおかれています。「あなたのことを想ってます」を伝える為のマナーであり、そのために「時間をかける」ことが良しとされます。飲食接待、手土産、ゴルフ接待などが代表的な例です。

・もらった名刺は偉い順に並べる。1番偉い人の名刺は名刺入れの上に置く
・名刺交換するときは相手の名刺より低く渡す
・乾杯のビールは相手より低くする
・会議や食事会で相手・目上の人が、座るまでは座らない
・暑くても、勧められるまでジャケットを脱がない
・お茶を出されても勧められるまで飲まない、勧められても上司が口をつけるまで飲まない
・お客さんを出口玄関までお見送りする、見えなくなるまで待ち、最後にお辞儀をする

●「礼儀2.0」とは、いかに「相手に時間を使わせないか」が大事で、相手を重んじていない訳ではありません。国内では常識とされる良しとされる「マナー」は、世界各国によって違うものに似ているかも知れません。

・検索すること、Facebook、LinkedIn等でその人について事前に調べ、共通の話題を見つけておく。
・「その人が好きそうな話題のきっかけを準備しておく」などの配慮。新しいマナー、気遣い。
・会議中でもスマホで、わからない単語などを調べる
・「決断できる相手がいる」ミーティングをする時は、コチラ側にも「決断できる人」を同行する。
・シリコンバレーなどへ視察名目なので、質問とメモだけで帰ってくる。など相手の貴重な時間を無駄にしない。
・時間を奪われるというのは大きな損失
・相手を重んじるからこそ、時間を取らせない




●礼儀1.0と2.0の違いはなぜ起こるのか?
「最新版にアップデートする事が大事」と思って仕事をしているヒト(礼儀2.0の人)と、「生き残りをかけた椅子取りゲームには今まで大事にしてきたパワーこそ大事」と信じて仕事をしてきたヒト(礼儀1.0の人)の間に「思想の断絶」や「行き違い」が生じるのは仕方ありません。

「ここは日本だ!」「オレが偉い!」「これは大本営発表と同じだ!死守せよ!」という文化の「会社組織」では「思想の違い」は悪です。この「硬直化した日本的システム」を、どうすれば「なめらか」に出来るのか?これは全国的にまだまだ現在進行形の日本経済の課題と言っても過言ではないでしょう。

大事な事は「変わるべきものは変え、変わってはいけない事を大事にする」事と同時に、「異なった思考様式をチカラでねじ伏せる」のではなく「お互いの幸せを引き出す英知とちょっとした勇気」を「井桁のように」積み重ねられるかだと思うのです。

・時間こそ、有限な資産で最も重要である。
・そもそも、情報爆発しているので情報は取捨選択が大事である
・相手に何かを伝える手段(Slackやamazonテレビ会議アプリなど)が圧倒的に増えた。
・そもそも、暗黙知を知る「場」がない
・そもそも、同調圧力に対して「価値」を感じていない





⑤新聞とnoteから見た「読者変化」の違い
前述の「使う新聞」とニュースピックスの関係(第2形態)を振り返ってみます。これらの魅力は、自分にとって興味のある「ビジネスマンA氏」(例・CEO、著名人など)の意見を知って、自分の考えに投影させる事で、賢くなった気分になれる。それが今までに無かった機能だと思います。もちろんコメントや解釈を論ずる「記事」や「コラム」が無ければ成立しません。

この「読者変化」で気になっているのは、「読者は記事に対して受動的」なのに「自分は能動的」だと錯覚しやすい事です。むしろ錯覚に気がつかず、「いいね」する事で参加感を満たしている方が多いのではないでしょうか?そして「使う新聞」(第2形態)は、コメントするビジネスマンに対してある種の「承認欲求」を煽り、エンゲージメントを上げるには最適なスタイルだと思います。「いいね」数が多くなったり、「著名人」から反応をもらう事で自分の承認欲求を満たす事は、否定できない人間の欲です。



気になっている理由は、「承認欲求」を満たすために最適化されたサービスが、果たして、理想とするイメージなのか?それはニュースピックスが「収益的」(自己目的)の為に望んでいるだけではないだろうか?そして大事にしたい顧客が、本当に求める姿であるか?という点です。

自分はニュースピックスは便利だと思いますが、その先にビジョンや思想を感じません。そこには「野心」を煽るだけで、ビジネスマンに本当に必要な「知恵」や「解決案」が内在するようには思えないからです。そして、コメントなので比較的短文になるので、要点をまとめた正論や、鋭いコメントが増えます。そういう場は、異なる意見を発信しにくいものです。そして結果的に「さも賢そうな意見」が並ぶ事になり、「意識高い」感が充満した構造空間になっている気がするのは自分だけでしょうか。いや、野心や意見の鋭さを否定しませんが、それが偏られた「自己満足」的な世界に終わるような気がしてなりません。コメントが「自分の会社を動かす事が不可能」の弱さのはけ口として、欲求のすり替えが行われている様に見えるからです。まぁ。全てとはいいませんけども。(サービスデザインが難しいのは、こういう症状が説明しずらい点だと思います)



「会ってみて素敵だな」と思えるビジネスマンには、「美意識」というか「思想」や「哲学」が滲みでるものです。欲張りと言われたら身も蓋もありませんが、ニュースピックスのサービスデザインはそこから程遠い感じがします。これは、自分が古い価値観のままだからでしょうか。様々な意見があると思うし、現在進行形の部分だと思いますが、「使う新聞」(第2形態)が、このままの選択肢だけでいいのかなぁと感じています。



●「使う新聞」「他人の意見も聞く・考える・意見を語る」(第3形態)とnoteの関係。
そこで思うのは、「使う新聞」(第3形態)は、「長文などの情報発信者」が参加することで、第2形態の「自分は能動的」だと錯覚しやすい点を「避けられる」のではないだろか?と思うのです。言い換えると「視野を広げる機会の喪失」と「能動性の喪失」を避けるとも言えるかもしれません。

ネット上に「人格形成」をするような「情報発信」(長文など)をしているヒトであれば、著名でなくても「考えている事」や「思考様式」は透けて見えてきます。noteは、ネット上に「人格形成」しやすい環境が整っています。

「承認欲求」を満たすために最適化されたサービスではなく、ヒトとは異なる意見や、考えを問う事で、お互いの違いを確認して、解決策を見出していけるのではないかと考えるのです。

「使う新聞」(第3形態)には、第2形態とは違う「ビジョン」や「価値観」が必要だと思います。そこで大切なのは、どのような価値を「サービスデザイン」するかです。それはサービス提供主体者の、サービス提供思想に及ぶことで、外野がとやかく言う事ではありませんが、「もしそこに、広い意味で貢献できたら幸い」と思うnoteクリエイターは多いのではないでしょうか。




⑥情報インフラの変化を振り返る(輪転機・写植からクラウド・UI/UXへ)
新聞を「新聞紙で読む」ための情報インフラは輪転機でした。スマホで読むためのインフラはサーバーであり、現在ではクラウドになっています。しかし、情報インフラを目にしたコトがある人は少ないのではないでしょうか。

※ご参考までにどうぞ。
日経新聞ができるまで


かっては製版するには写植が必要でした。ひとつ一つ写植を人間が手で拾い、紙面をデザインしていました。それをコンピューターでするようになっても、フィルム化して輪転機を回すことには変わりありません。

日経新聞・工場見学申し込み

サーバーにデータをあげて、PCやスマホで見る場合、画面上のデザインや、そこで得られる「感触」をデザインするのがUI/UX。写植とは違い、手に取ってハメこむ訳ではないので、プログラム・スキルとデザイン・スキルなど様々なスキルが必要。情報インフラが変わる事で、新しい技術や、その人材マネジメントを編み出す事が会社の無形資産となり、価値を産み出しています。それは文字よりも、映像の方が伝わりやすいのではないでしょうか。

かってはサーバーは買ったり、借りたりするものでした。しかし、現在ではAWS(amazon web service)のように、「使うもの」に変化しています。目に見えないサービス。ますますイメージが掴みにくいのではないでしょうか。


AWSの動画は見つける事が出来ませんでしたが、Googleのはありました。ご参考までにどうぞ。

Inside a Google data center (※字幕を日本語にすると翻訳されます)



⑦日本経済新聞社の事業変化


昔の新聞は、鉛でできた活字を一つひとつ手で組み合わせて作っていました。日本経済新聞社は、全世界は初めて新聞をコンピューターで作った会社です。72年に大型コンピューター・IBM360で、鉛を使わない新聞制作システムを稼働させました。開発に約10年かかった大プロジェクトだったそうです。当時はワープロも普及していない頃。プリンターで漢字をプリントアウトすることだって夢のまた夢でしょう。いまでは当たりまえの禁則処理や、日本語特有の印刷ルールを0から考えて、プログラミングして、紙面レイアウトを考えるなんて狂気さえ感じます。そこには「コンピューターを使って世界最高のものを作る」という強い信念があったのでしょう。まず、「何をしたい」というビジョンがあり、それを実現するためにコンピューターを道具として使うという人間力の高さに敬服します。

新聞制作のコンピューター化は、日経だけが先行したわけではありません。朝日新聞も同時期にコンピューター化を進めていました。しかし、朝日新聞はコスト削減が主眼で、新ビジネスを構築する視点がありませんでした。記事を新聞に印刷して終わりではなく、データ蓄積して販売する新事業の考えは、本質を見抜く力があり、ビジョンが無ければ出てこないでしょう。現代のインターネットさえも、予見しているように見えます。要するに「最後はヒト」だという事です。故・圓城寺氏のDNAが、日経には脈々と流れている気がしてなりません。

30年以上前の本「メディアの興亡」杉山隆男(著)に詳しく書かれていますので、おススメします。

わずか38歳の若さでIBMの日本現地法人のナンバー2、営業担当副社長に昇進した椎名は、その挨拶のため日経本社に圓城寺専務をたずねている。
「新聞社はもう情報を印刷しているだけではダメだ」
「現状の新聞経営はムダだらけ。魚に例えればおいしい真ん中の身しか食べていない。頭から尻尾まですべて食べるようにしなければ」
圓城寺はそう言って、たとえば情報を電話線にのせたらどうだろうかと話しかけてきた。そして、その電話線にのせるためにもコンピュータで新聞をつくることがどうしても必要なのだと言うのだった。
「いつの日か、日経は新聞も出していたのか、と言われるようになりたい」
コンピュータで新聞をつくることが最終目的ではない。「新聞をつくる」だけの新聞社を、「新聞もつくっている」新聞社につくり替えてしまうこと、それが圓城寺の「コンピュータ活用論」の言わば精髄であった。

メディアの興亡 杉山隆男(著)より抜粋引用
1986年刊 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作

日本経済新聞社の強みは、「他社とは違うビジョン」や、その経営スタイルや、ブランド力にありますが、さらに本質を突き詰めていくと「株価が上下する情報」に代表されるように、「資本主義経済」が求める「ビジネス情報」に立脚している事だと思います。新しい事業に挑戦する姿は、他社とは明らかに違うのがわかります。



⑧6つの視点で考える「note✕日本経済新聞」
視点⑥「経営者の視点」まで遡ってしまうと「デジタル化」と「グローバル化」になってしまい、あまりに茫漠としてしまいます。競争環境にnoteや新サービスは、どのような関係性や貢献をするのか?その辺を少し考えてみたいと思います。


例えば、日経新聞・電子版では、『Financial Times』が使っていた指標を独自に改良して、エンゲージメント指標にしているそうです。詳細は存じ上げませんが、コホート分析※などと併せて「noteや、共同開発する新サービスはそれらに良い結果をもたらす」もの、そうあってほしいもの、として捉えているでしょう。

※コホート分析:利用者の定着度や行動の推移の分析。サブスクリプションの見える化とも言える。Googleアナリティクスで誰でも無料で使えるようになった。ネット・マーケティング分析には必須のスキル。下記noteはとても参考になります。


そこで、もう一つの目安は、「エンゲージメント」というより「エンゲージメントの深さ」にあるのではないかと思うのです。そこには、2020年の5G到来には、「文字」「写真」だけではありません「動画」も組み合わさってくることも考慮される点だと思います。

「note✕日本経済新聞」が共同開発する新サービスは「エンゲージメントの深さ」にどのような影響を及ぼすでしょう。いや、むしろ現状のnoteサービスや、note利用者の「エンゲージメントの深さ」を考えると、共同開発する新サービスは、新しい「価値」を生み出し、より良い影響や結果をもたらすのではないでしょうか。

それから、共同開発する新サービスを、ジョン・リディングCEOや、ライオネル・バーバー編集長などFinancial Times側が、この共同開発する新サービスに、どう興味を持つのか?もしくはどう位置付けるのか?要するに「アナログなヒト」でも容易に理解できる「要素」(影響力のある視点や意見)を考慮する事も、サービスデザイン戦略に含まれるかもしれません。下記の動画は、大変勉強になります。ご参考までにどうぞ。


※日経チャンネル 2018年1月29日
学生応援プロジェクト「これからのジャーナリズムを考えよう」
ライオネル・バーバー英フィナンシャル・タイムズ編集長 講演部分


記者の役割りは、データ・ジャーナリズムなど、エンジニアやプログラマと一緒に記事を作る新しい仕事の仕方も出てきました。言うまでも無く、ジャーナリズムは、データ・ジャーナリズム手法を得て進化しています。そして、世の中には、グラフィック・レコーディング、UXライター、という今までに無かった職種が誕生しています。

記者が客観者である事は変わりませんが、エンジニアやプログラマと一緒に記事を作る新しいジャーナリズムに、noteクリエイターは、コラボレーションできる事があるのではないでしょうか。noteには、UI/UXデザイナーやサービスデザイナーが数多く存在していて、情報発信しています。日経の方、日経顧客の方が、従来の垣根を越えて彼らと触れて交流することは、何か新しい化学変化を産み出すかもしれません。そして、それこそ「新しい経済」そのものではないでしょうか。

そして、前述・糸井さん・渡辺さん対談で「日経新聞の読者で終わるんじゃなく、せっかく電子版によってメーカーと顧客の関係になる」と日経・渡辺さんがおっしゃっていましたが、そこからの延長線に、ひょっとすると「日経のあの記者の記事・特集がスキ!という顧客との新しい関係」が生まれるのかもしれません。的確な言い例えがまだ見当たらないのですが、そのようなものがアタマに浮かぶのです。記事を「評論」や「批判」をするだけの、今までの情報発信者では無く、ましてや「フェイク・ニュース」でも無く、何か新しい価値を産み出す「能動的な思考様式」がnoteクリエイターには備わっていると感じるからです。


データジャーナリズム(Data journalism)は、調査報道の手法の1つ。大規模なデータの集合体をフィルタリングし解析することで、新たな発見や解釈を作り出すことを目的としていて、データ駆動型ジャーナリズム(Data driven journalism)とも言われています。

データが瞬時に把握できて、データの効果的なビジュアル化による情報は、コンテンツの差別化といえます。このように、記者が考えたシナリオやアイデアを、デザイナーやエンジニアがその意図を良く理解してデザインやインフォグラフィックに落とし込み、無駄を省いたコンテンツに仕上げていく。このプロセスが、コンテンツの完成度と魅力を高める付加価値の高いノウハウになっています。

日本経済新聞 電子版のサイト「日経ビジュアルデータ」では、記者とデザイナーとエンジニアが作り上げている新しいジャーナリズムの世界だと思います。


1つのコンテンツで1万7000件以上シェアされる日経ビジュアルデータの秘密




⑨「note✕日本経済新聞」は何をもたらすか
「note✕日本経済新聞」の具体的な「両社で新サービスの共同開発」については、進んでいると思うので、とやかく論ずるまでもありません。そこで、「両社で新サービスの共同開発」された後に、何が生じるのか?を考えてみます。


●ビジネスのソフト化が進むのではないか?
「会って見ないとわからない」から「会う前にネット上である程度知ることが出来る」へ。
SNSで会社の手前「情報発信できない」のは、誹謗中傷や、炎上など「安心できない」状況から生じていて、今でも続いています。別段「匿名」だけを否定するのではありませんが、「会う前にネット上である程度知ることが出来る」場所が生まれる事で、ビジネスマンの活躍できる「フィールド」が広がると良いなと思います。

「礼儀1.0」+「会って見なないとわからない」という状況は「工業社会」における「納品主義」に重ね合わさって見えます。これからは、「物納しないとダメ」という「目に見える物質・至上主義」から、「PDFとかデータをダウンロードするからネットでOK」+「礼儀2.0」へビジネスが移行していき「ビジネスのソフト化」が進むのではないでしょうか。まぁ。青臭い考えかもしれませんが。日経顧客とnoteクリエイターの「化学反応」は「伝統的な会社員」に影響を与え、少しは変えるかもしれません。


●「とりあえず話を聞こう」が「やってみよう」に繋がりやすくなるのではないか?

その昔、米国で会話した忘れられない会話があります。

「ビルゲイツの功績は何だと思う?会社を大きくした事や、莫大な財を作った事だと思ってないかい?本当に大きな功績は、年長者が若いもんに会った時に、そいつのハナシを聞くようになった事なんだよ。あ!?ひょっとすると、こいつビル・ゲイツになるんじゃないか?ってね」


「やってみよう」を「伝統的な日本の会社」で実現するのは難しい。だから「日経がやってます」というアイコンは影響が大きく、大切な事だと思うのです。それが「とりあえず話を聞こう」という事になり、やがて「やってみよう」につながってゆくのではと。結局、最後は「ヒト・人・ひと」なのですが、それもアップデートして「新しい概念」や「新しい関係性」になっていくといいですね。「空気」という圧力に敏感に反応して易きに流れるのではなく、より善き未来を託すために案じたり、察していたいものです。

「note✕日本経済新聞」の新サービスは、鉄骨やコンクリートで出来るモノではありません。目に見えない「サービス」です。これを言い例えると、「映画からテレビに移った時代」のように、何が正解で、何が間違えなのかわからない状況に似ています。テレビが出現した時代は、誰も正解が分かりませんでした。映画の大監督や有名製作者は、全国の広告ネットワークでCMがあれほど儲かるビジネスになるとは想像も出来なかったでしょう。そして、テレビ局には新聞社から出向した若い人たちや、放送作家や外部ブレインも交えて、半ば野放し状態で色々な挑戦をしていました。

そんな時代に重ねあわせると、自分がいまこの時代に生きているのが不思議な感じもします。だからこそ、「新しい視点」や「新しい関係性」にアップデートして、過去の経緯との違いを「図解」や「見える化」するなどして、noteクリエイターの端くれとして微力ながら役に立っていきたいと思います。



■おわりに
昔の日経本社ビルの玄関を入ると左側に「太陽樹」という喫茶店があった。新ビルではタリーズコーヒーになっています。当時その昭和の香りがする喫茶店は、カンタンな打ち合わせや、ちょっとした休憩に使う憩いの場でした。日経の方は編集部記者・広告営業部・広告整理部・経営企画部・秘書の方など様々な方と知り合う機会に恵まれました。そして白金や、永田町にあった頃の日経BPにも行きました。日本経済新聞は、テレビCMで見ていると素敵な女性が出たり、カッコいい颯爽とした「大手町の新聞社」のイメージですが、自分にとっての肌感覚は違います。誤解を恐れず遠慮なく言うと「泥臭い」感じであり、「大手町駅というよりも、神田駅を感じる」会社という趣きだったのです。いや、スマートな方もいらっしゃいますので、全てとは言いません。大手町には、読売新聞、産経新聞などがありますが、言うまでもなくその生い立ちも社風も全く違います。新聞社だからといって似たり寄ったりでは無いのです。

その中で、自分にとって日経とは、想い出深い言葉と共にありました。
ある夏の暑い日でした。とある日経の方の言葉を忘れません。

「情報とは、情けに報いると書きますから…」

人の信頼関係は、数字や文字だけで言い表せるものでは無い。20歳代の頃の自分に、大きな影響を与えた言葉でした。noteで、こんな話を書くのも何かの縁というか、これも「時代の流れ」のなせる「何か」なのかもしれません。その「何か」とは、テクノロジーとでも言いましょうか。昨日出来なかった事を、今日可能にするのは「テクノロジー」なのだと。だからこそ「テクノロジーをリスペクトする」事が大事だと改めて深く感じるのです。

まぁ。なんとも長々と書きましたが、実際にリアルで会ってお話した方が何十倍、何百倍も楽しいですね。それは間違いないのですが、「何も書かないよりも、書いた方が伝わる」と思います。そんな #平成最後の夏 でした。

では


追記

12/1(土)から「note」上に「COMEMOマガジン」としてサービスをリニューアルされます。

(以下引用抜粋)

noteとNIKKEIはユーザー層が異なるため、世代や興味関心も異なります。しかし、多くのイノベーション事業がそうであるように、考え方や世代、価値観の異なる者同士が交差する地点「出島」には、新しいものが生まれます。COMEMOをnote上に展開することで、日経ユーザーとnoteユーザーが集まる出島の役割を担います。

COMEMOのビジョン
個人の発信を通じて、ビジネスパーソンの視野を広げ、つながりを生み、次なるリーダーを創出する

[COMEMOの価値]
発信者:日経ユーザーに広く自分の知見を届けられる
閲覧者:ビジネスに関する知見が得られ、共通の社会課題を持った人同士で交流ができる

[ミッション]
(1)発掘する:ビジネステーマにおいて、専門知識を持つ知見発信者を発掘します
(2)届ける:日経電子版や日経新聞の場を使い、ビジネス関心層に知見を届けます
(3)つなげる:リアルイベントを開催し、テーマに関心のあるビジネスパーソンをつなぎます。

日経電子版や日経新聞への露出について
COMEMOマガジンに掲載された投稿の中から、これまでどおり日経電子版や日経新聞に掲載させていただきます。


ますます面白い事になってきました。今後が楽しみです!

★Twitterで感じている事や、notteに書く手前の関心をつぶやいています。



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