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人生は旅だから"知らない街で逢いましょう" #寅さんのように

僕は映画の「男はつらいよ」の寅さんみたいになりたいと、いつも思っている。親戚の姪っ子の結婚披露宴で、嬉し哀しくて酔っ払って大声で泣いて、披露宴をメチャクチャにしてしまうようなダメな大人でいたい。

更に出来れば「今頃どこに居るんだろうねぇ。まったく。元気ならいいんだけどねぇ」とか言われたりして、ついでに「なんだかメチャクチャだけど、アレだね。なんか居ないと寂しいねぇ」って言われたら、最高な人生だと思う。最高な気分であちら側へいけるだろうな。

なんでそんな事を想うようになったか、幾重にも重なった心の澱を書こうと思ったんだけど、時計を巻き戻すのには時間がかかる。かなり大変だ。だからこの機会に書き残して置こうと思った。元気で動き回れる残された時間もそう長くないから。

人生は旅。旅は人生。知らない街で逢いましょう。

サマると池松は「寅さんLife」をスタートします。なんの得もないハナシだけどお付きあい頂けたら嬉しいです。とはいえ「寅さん」って言っても知らない人も多いだろうから、まずは下記の解説をどうぞ。

池松潤(いけまつじゅん)
情報発信学/ 講演家/ アウトプットLAB主催 / サイボウズ式第2編集部所属。慶応義塾大学卒業後、大手広告会社員時代に雑誌コラム連載・ビジネス書を執筆。※登壇・イベント情報は⇒コチラ


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『男はつらいよ』とはテキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも失恋するか身を引くかして成就しない寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描く。
Wikipediaより
松竹映画『男はつらいよ』シリーズは、山田洋次原作・脚本・監督(一部作品除く)・渥美清主演で1969年に第1作が公開され、以後1995年までの26年間に全48作品が公開された国民的人気シリーズです。

そもそも「男はつらいよ」は、山田洋次脚本・渥美清主演で68年に全26話のテレビシリーズとして誕生しました。

これは渥美清が少年時代に見てきたテキヤたちの思い出を語ったところから、山田洋次がイメージをふくらませたものでした。最終回、主人公のフーテンの寅がハブに噛まれて死んでしまうというエピソードに視聴者からの抗議が殺到したため、脚本を手掛けた山田監督が映画化を思いつき、69年8月27日に第1作を公開したことから、シリーズの歴史が始まりました。83年、“一人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ”としてギネスブックに認定。日本中から愛される作品として、渥美清さんが亡くなるまで作り続けられました。

誰もが笑い元気になれる日本人の心の原風景を描きつづける本シリーズは、主人公の名前から、作品自体が「寅さん」の愛称で呼ばれることも多く、現在まで幅広い世代から愛され続けています。
▲松竹映画『男はつらいよ』公式サイトより

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もう10年以上も前になる。厄年だったころ入院して離婚して仕事もやめて灰となった。転がり込んで世話になった友人は親切だと思ったらそんなのじゃなかった。踏んだり蹴ったりで運も詰んだなと思った。その他にも色々ありすぎてヒトに会いたくなくなった。たまたまwebで見つけた乗り捨てたレンタカーやトラックを運ぶ仕事をやったりしてた。何をやっても感じないし感情が湧かない。『水曜どうでしょう』を見るときだけに平穏があった。だから今でも『水曜どうでしょう』が好きだ。この頃の話がきっかけで大きな出版社の編集者に出会い小説を書くようになった。だから人生なんてどうなるかわかりません。

その体験の断片を #教養のエチュード賞 で書いたのが「限りなく絶望の果てにある希望」でした。紙に書く文章とnoteに書く文章は違うなぁと感じていたけど、noteに純文学的な文章を書いたのはこれが初めてでした。これがきっかけで嶋津さんと出会いうことになりました。まさに「Connecting the dots」 (点と点をつなげる)です。(※参考→Jobs伝説のスピーチ


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東日本大震災後のある日、墓参を済ませて京都・三条河原のスタバで夕陽が沈むのを眺めてました。ふとセンチメンタルになったからでしょうか、祖先のことを知りたくなって、戸籍謄本を辿ってみました。

平成22年に戸籍法施行規則の一部改正がされて、除籍簿、改製原戸籍とも保存期間は150年に変更されたのですが、それ以前は80年しか保存されません。それより昔を辿るにはお寺の「過去帳」を探すしかないのでした。僕は戸籍謄本の先を辿る、あてもない旅に出たのです。

タクシーもいない田舎の駅を降りると目指す町まで30分くらい田んぼを貫く道を歩きます。そしてなるべく大き目なお寺を探しました。

静まりかえったお寺に入ると、お堂の横にある社務所兼自宅の玄関を見つけました。呼び鈴らしきボタンが見当たりません。ごめんくださ〜い!と大きな声を出しました。戸籍謄本を見せて「祖先を探しています」と尋ねると、感じのいい奥さまらしき方が住職を呼んできてくれました。

再度、説明をすると『嗚呼。。。たしか。。あなたのお婆さんにはお会いしたことがあります」と住職は古い過去帳を持ってきてくれました。ビックリしました。知らない町で知らないお寺に飛び込んで祖母を知る人に出会う。こんな事ってあるんだなと。

住職に案内されてお墓参りをさせてもらうと、その町史が図書館にあるはずだと教えてくれました。また駅までとぼとぼ歩いて、電車で大きな駅まで行きました。市図書館で町史を調べると江戸時代に祖先がどんな事をしていたのか分りました。

塩や煙草を扱っていた事は祖母から聞いていたのですが、江戸時代は庄屋のような存在だったのでしょうか。明治時代に入ると銀行をやっていたようです。ルーツを知ることは、自分の中に何かを見つけるような体験でした。あの日から何かが変わったように感じます。

過去の事を知ることで少し気が楽になったというか、どうせ一度の人生ならば東京を離れて違う町に行こうと思いました。馴染みの老夫婦の営むBARで「どこの街が楽しいかなぁ」と話していると「LCCが飛んでれば地方にベタに住まなくてもいいじゃないだろうか』とか(ちょうどBoing787が就航した頃で、空のプリウスが飛べば運賃も下がるだろうと言われてました)「国立大学がある街はメシが旨い」とかハナシをしていると『まぁ行けばわかるし、行かなきゃわからない』と思いました。

とりあえず北から順番に旅をしよう。札幌、仙台、新潟、神戸そして福岡。少しずつ巡ったのですがどの街も素敵でした。どの街も良かった。特に港町・神戸は情緒があって良かった。しかし最後に訪れた福岡の「明るい風」とでも云いましょうか、ラテンな陽気な空気にホッとして月に一回・1週間ほど逗留するようになりました。(いきなり移住したワケではありません)

福岡に友達が居たわけではありません。お店も全然知りませんでした。でも「よか。よか。呑んでいきんしゃい」と言われるとその明るさに惚れて、この街に部屋を借りる事にしたのでした。「ホテルやウイークリーマンションに泊まるより安いから借りたら」と勧められた理由がわかりました。1LDK:3万円/月~あるのです。物価は東京より3割くらい安い感じがしました。


ちょうどその頃(2014年)は、消費税が上がるタイミングだったので自転車ロードバイクを買う事にしました。買ってすぐに自転車屋さんのツーリング企画に誘われたんですけど、その繋がりで自転車仲間が増えました。(自転車はもともと乗っていた訳ではなく、退院したあとのリハビリ程度でした)

誘われるがまま『ハードに乗る世界』にハマって、仲間がどんどん増えました。そこから数珠つなぎのように登山仲間⇒トレッキング仲間⇒キャンプ仲間と輪が広がっていったのです。九州中に200人以上広がりました。人生何が起こるかわかりません。

趣味から広がった福岡移住ライフですが、それが良かったんだなぁと後でわかりました。ちょうど同じ時期に「スタートアップを立ち上げるため」に福岡に来た人達は5年もしないうちにほとんどの人が東京へ戻ってしまった事を最近聞いたからです。そんなハナシを聞けるようになったのも不思議な縁や繋がりからですけど、人生は何がどう転ぶかわかりません。

地方都市には都会とは違うスクール・カーストのような『街のカースト制度』とも云える「ヒトの格付け」みたいな風習あります。まずはどこの学校を出たかとか、どこの会社か?とかです。そこから始まる色々は、まるで江戸時代の藩の価値観に近い。

僕は肩書とか過去の栄光とかには意味がないと思ってるので、この辺にはまったく共感しません。この感覚が全くないのですが(なんの意味もないし)そーゆー人が世間に少なくないことも良く理解しています。特に既得権益がある企業に多くいますね。

たまたま、街のカースト上位にイヤな思いをさせられなかった。だからこの街に長くいられたんだなとわかりました。趣味の世界にカースト制は無いから。

例えば、この前までフラットに仲良かった人が、急に飛ぶように売れて『前の自分とは違うんだぞ』的な変わり方をする場合があります。やっぱり「格」みたいな感覚は「自分はおまえとは違う」って動物・オスの優劣の感覚なんだろうな。例えばクラファンで●●●●万円集めたとか、Abemaプライムに出たとか、インフルエンサーと対談して仲良くなったとか。この辺を『格』なんだと考える人がいるということでしょう。自分には関係ないけど。

東京を離れて、知らない町で生活すると目に見えないものが見えてきます。新しい体験は生きる楽しさを増やしてくれました。


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ところで、歳を重ねていくときに気を付けたいのは「成功体験の比率を下げるための努力」を惜しまないことです。過去の成功体験ほど面倒なものはありません。ほとんどの場合、成功体験があるから現在があるのですから。

成功体験は、会社組織ならば評価や役職や年収に直結しています。人生とガチにリンクしてるわけです。そして年寄りには、新しい成功体験を導入するインセンティブがありません。よほどの好奇心がないと、新しい成功体験に挑戦しようとは思いませんから。過去の成功体験は「新しい発見」を阻害し、「余白」を塗りつぶしてしまいます。コレが老害の一歩目です。

だから意図的に「新しい成功体験を積み重ねることでその比率を下げる」心持ちが必要です。(まぁ。青春時代の成功体験はなかなか拭えませんが、比率をさげることはできます)若い世代と楽しく過ごす為にも新しい挑戦を続ける事が大事です。

僕は自転車ロードレースに40歳半ばから挑戦したことでその事を体得しました。16Kgの減量もしました。プロ選手と一か月以上オフトレで3000Km以上走りこみにタイまで合宿にいきました。フランスのレースに出るために4週間、屋根裏部屋にホームステイしてノルマンディを毎日200Km以上走りました。どれも新鮮な体験で得難い経験を積みました。

それらの経験で、得難い事だったのは知らない町で生活するがとても大事だと言うことでした。洗濯したり、食材を買って料理をしたり、病院に行ったり、営みをする事で違った景色が見えてきます。それは観光とは違います。


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知らない町で生活する。「ちょい住」とか「アドレスホッパー」とか僕には似合いません。いつまでとか決めてませんけど『寅さんLifeスタイル』でいきます。まずは東京の下町から。大阪も行こうと思います。その先はまだ決めてません。こんな事書くと「ああ福岡にいないのね」とか言われるのが予測できますね。

でもね。私には神出鬼没という生まれつきの才能があります。天が与えてくれた資質です。何処ででも楽しく生きていけます。角打ち小谷酒店でたまに吞んだくれてますからご安心を。(仲さんと最初に会ったとき呑んだ店です)ま。お店や野遊びは福岡生まれの人よりも詳しいです。たぶん間違いなく。知らんけど。

そんなわけで、嬉し哀しくて酔っ払って大声で泣いて笑ってメチャクチャなダメな大人でいますのでよろしくお願いします。僕には寅さんのように妹が(兄弟)いないから、公衆電話からかける相手もいないんだけどね。

人生は旅。旅は人生。知らない街で逢いましょう。

奮闘努力の 甲斐も無く
今日も涙のぉ~
今日も涙の 陽が落ちる 
陽が落ちるぅ~♪

※映画『男はつらいよ』主題歌より

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