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揚げ蕎麦、板わさ、日本酒、そして、ざる蕎麦。 #手紙小説

これはもう届かない先輩への手紙。そして才能あふれるクリエイターが僕を最後まで守ってくれた手紙。あの日の記憶を綴っておきたい。

池松潤(いけまつ・じゅん)
コミュニケーションデザイン / noteクリエイター/文筆家 慶應義塾大学卒・大手広告代理店を経てスタートアップの若手との世代間常識を埋める現役57歳。登壇・雑誌コラムなど⇒ https://lit.link/junikematsu



板わさとは、切った「板かまぼこ」に醤油とわさびを添えて食べるやつで、かまぼこが高級料理だった時代の名残りらしい。

スーツを羽織ったビジネスマンが、混みいったハナシをするために、蕎麦屋に昼酒をひっかけに行くなんて、酒も呑まない若い世代には想像するのも難しいかもしれない。時代遅れでもいい。桜が咲く時期が近づくと、昼下がりの蕎麦屋に独りでいくのが行事みたいになっている。

「揚げ蕎麦、板わさ、日本酒。あと最後にざる蕎麦」

午後の陽射しが射し込むテーブルで、所在なさげにチビリちびりと呑む姿は黄昏れている。カッコ悪い。それでも蕎麦屋に行く。あの日を忘れないために。



「ちょっとさ。おまえ蕎麦にでも付き合えよ」

「わかりました」

会社をやめてからしばらくして、銀座の奥まった場所の古い蕎麦屋に呼び出された。決して高い蕎麦屋ではない。どちらかと言えば、ひなびた感じのする蕎麦屋だった。

それは僕への思いやりと、後悔のかたまりから来る、いわばお詫びを伝える場だったのだ。

「揚げ蕎麦、板わさ、日本酒。あと、ざる蕎麦」

静かに酒を酌み交わしたのを憶えている。決して仲が良いというわけではない。歳は二周り近くも離れている。しかし妙に気があって、彼の部屋には週に一度は行っていた。経済のこと、組織のこと、偉そうなハナシを彼は喜んで聞いてくれた。上司と部下というよりも、歳の離れた先輩と後輩って感じだった。利にさとい広告業界では珍しく極めて純粋な関係だったと言える。イマの言葉で言うとヴァイブスがあっていたのだろう。

それから40を超えたころ、オトナの事情とか複雑に絡みあって、最終的に僕が会社を辞めることを決めたとき、彼の部屋へ一番に行った。あの頃のボクは複数の上司がいて、彼もその一人だったけど、少し線が細い上下関係だった。

「聞いてるとは思いますけど・・・そんな訳でやめますわ。やってらんねぇって感じです。で。後ろから矢が飛んでくると思うので、背中の方はよろしくおねがいします」

「・・・そうか。うん。わかった」

彼は何か言おうとしたが、飲み込んで短く言っただけだった。でも部屋を出るとき、直立不動になって、深く頭を下げてくれた。ボクは何も言えず部屋をあとにした。あれから数ヶ月。蕎麦屋で、何の意味もないハナシをしている。蕎麦が出てくるころには、こわばっていた空気も少しは温まっていた。

「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。ですよ」

それは、彼が若い頃に書いたキャッチコピー。もう誰も知ることもない、古い広告のキャッチコピーをボクは知っていた。詩人・高村光太郎の詩集「道程」の冒頭から引用したものだ。自らの進む道は自分の力で切りひらいていく。その歩みが人生という一本の道となる。彼の生んだ名作と言える広告だった。

「うん。すまなかったな・・・」

「・・・分け入っても 分け入っても 苦い山。です」

種田山頭火(たねだ・さんとうか)の「分け入っても 分け入っても 青い山」。道なき道を分け入ってどんどん進んでも、青い山ははてしなく続いている。ってのを、皮肉って言ったのだけど、彼は苦い顔をして笑っていた。

せめて彼の気持ちに応えるコトバを伝えたかった。そして必死に生きていることを伝えたかった。仕方がないコトとはいえ、すこし恨み節も混ざっていたかもしれない。いや。大いに混ざっていた。愛情があふれて、憎さ百倍といったところだろうか。心の関係は深いほど、愛憎も深くなるのかもしれない。

それから数年後に、ボクの波乱万丈な人生の1ページの裏側で何が起こっていたのか、大企業の醜い姿を知るコトになるのだけど、彼の生んだキャッチコピーのとおりに、ボクは次のページへ進んでいたのだった。

あの日、彼はその真相を知っていて、すべてを呑み込んで詫びたのだろうか。それともチカラがあったにも関わらず、守りきれなかったことに悔いがあったのだろうか。そのどちらでも良い。今となっては大組織によくあることの一つ。アレよあれよと波間に消えゆく泡のようなもので、それも今となってはどうでも良い出来事となってしまった。そんな記憶を遺してもなんの意味があるのだろうか。



「はい。お蕎麦。おまちどうさまです!」

日本酒を呑み干してから、蕎麦を思いっきりすすった。わさびを入れすぎたようだ。目から流れた汗を拭いて、また蕎麦をすする。


「揚げ蕎麦、板わさ、日本酒。あと、ざる蕎麦」

午後の陽射しが射し込むテーブルの後ろから、あの日の声が聞こえたような気がした。

先輩。ボクは元気に生きてます。もう出逢うことは無いけれど、あの空の向こうに蕎麦屋があれば、またよもやま話を肴に、真昼間から蕎麦と酒を酌み交わそうじゃありませんか。

ではまた


#手紙小説



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