【イケモミ】サトウ様
「サトウ様ですね、お待ちしておりました」
扉を開けると、そこには黒いワンピースを着こなした女性が立っていた。
その人はショートカットがよく似合っていて、同時にどこか知的な雰囲気を醸し出していた。
「外は暑かったでしょう、そちらお持ちしますよ」
PCの入った手提げバッグを受け取り、玄関から向かって右側の部屋にサトウ様をご案内する。
「当店のご利用は初めてでしょうか?」
「いえ、以前に1度だけ」
「そうですか、では間単にご説明をさせていただきます」
そう口にすると、ソファーに腰を落としたサトウ様が僅かに背筋を正した。
「この後、サトウ様にはシャワーを浴びて頂きます」
「はい」
「そしてシャワー室に置いてあります簡易的なショーツを身に付けてから、またこちらの部屋に戻って頂きます。その後、準備が整ってから施術開始とといった流れになります」
「なるほど、分かりました」
まだ慣れていないであろうお客様の緊張を解くように、柔らかな口調で流れを伝えると、サトウ様は二つ返事でうなずいた。
「それでは1度退室致しますので、何かご不明な点が御座いましたら声をかけて下さい」
失礼致します、そう言い残して部屋を後にしようとすると「あの、領収書をお願いします」という声がボクの背を撫でた。当店をご利用されるお客様で、領収書を切るお客様はなかなか珍しい事だった。
「かしこまりました、ご用意しておきます」
サトウ様に向かって笑みを浮かべる。そして着替えを待つ為に一旦部屋の外へ出ると、ボクは領収書に押すシャチハタを買うためコンビニまで急いでダッシュした。
「君の名前はなんて言うの?」
シャワーを浴び終わったサトウ様に領収書を渡すと、唐突な質問が投げられた。
「あ、えっと、赤城響です」
「それは知っているんだけど、そういう事じゃなくて」
そう言うとサトウ様は、ボクの顔を覗き込むようにジッと見つめて「君の本名だよ」と口を窄めた。
「本当は言えないんですが…、まぁ苗字は領収書に押した印鑑でバレてますもんね」
「あ、あれ本当の苗字なんだ」
サトウ様は一瞬驚いた表情を見せると「まぁ、そりゃそうか」と独り言のように呟いた。
ボクはサトウ様の肩を揉みながら「えぇ、あれに続いて名前は○○と言います」と、首の付け根辺りに向かって呟いた。
「ふーん、それって本当の名前?」
「もちろん、こんな事で嘘はつきませんよ」
するとサトウ様はしばらく黙り込んだあと、またボクの方に向き返り「似合うじゃん」と言った。
「その名前、セクシーゾーンにも居るよね」
「あぁ、いますね」
「うん、教えてくれてありがとう」
「どう致しまして」
「…本当は誰にでも教えてるんじゃないの?」
「疑り深いですね、お客様には基本的に教えませんよ」
…そもそもボクは、自分の名前があまり好きじゃありませんから。
その言葉にサトウ様は「ふーん」と漏らすと、またしばらくの間、口を閉ざした。
「では、次はうつ伏せでお願い致します」
肩・首のマッサージが終わった所で、背中の指圧を行なう為に次の体制を指示すると、口を閉ざしていたサトウ様は急にグルッとこちらに身体を向け「○○くん、言いたくない事を言わせてしまって、ごめんなさい」と一言。
そして次の瞬間には顔がくしゃっとなるような笑顔で「でも、改めて教えてくれてありがとう、私は君の名前、好きだな」と言い残し、目を細めた。
なるほど、知的な女性が見せる無邪気な笑顔というのはこうも魅力的なものなのか。ボクは照れ隠しにそんな事を考えながら、ふと振り返ったサトウ様のガウンがはだけている事に気がついた。
「あの、サトウ様」
「なんでしょう」
「お言葉は嬉しいのですが、その…」
ボクはサトウ様の乱れたガウンを直しながら「…乳が見えてますよ」と呟き、それに気付いたサトウ様と一緒に顔を赤くした。
「本日はありがとうございました」
“恋人感覚マッサージ”の施術が終わった後、サトウ様は「もうここには来れないかなぁ」と呟いた。
その表情は、夏祭りの帰り際に見せる子供達の表情によく似ていた。
「またいつでもいらして下さいよ」
「うーん、タイミングが合ったらね!」
笑いながら放たれたその言葉に、温度が灯っていない事は、きっと本人も気が付いていただろう。
きっともうサトウ様が、イケモミをご利用される事はない。
ボクはそれを感じていながらも「えぇ、お待ちしています」と業務的な言葉を返した。
きっと、知らないふりをするべきだった。
扉を開けた瞬間の懐疑的な思惑は、少しの会話で確信に変わっていた。
確かにボクは過去、目の前の女性に背中を押してもらった経験があった。
SNSの発言を気にかける程度に、サトウ様を必要とするファンの1人だった。
しかしそれはボクの事情であり、少なくともサトウ様は1人のお客様としてイケモミを訪れてた。ボクはGDセラピストとしての役割を全うしなければならなかった。しかし施術ではサトウ様が望んでいるものを与えられず、あまつさえ一方的な感謝を押し付けただけだった。
だから目の前のサトウ様が靴を履き終えた頃の「今日は来て良かった」という言葉は、ボクから表情を奪うのに十分過ぎる程だった。
「そう言ってもらえると救われます」
「え、なんで?」
「…今日は緊張し過ぎてしまい、普段通りのマッサージが出来なかったものですから」
「ほお」
「大変、申し訳御座いません」
ボクはその場で、深々と頭を下げた。
「うーん」
するとサトウ様はその場で考え込むような表情を見せた後、ボクの方を見向き「やっぱり、変な人だよね」と一言。
「言われるでしょ、変わってるって」
「え、まぁ」
「ふふ、でしょうね」
PCが入った手提げバッグを肩にかけながら、サトウ様は踵を返し玄関の取っ手に手をかけた。
「今日は来て良かった、これは本心です」
そう言った後、ボクの目を正面から見向き「頑張って下さいね」と、くしゃっとした笑みを浮かべた。
次の瞬間、自分が取った行動をボクは覚えていない。
ただ気付いた時には、サトウ様の顔が目の前ほんの数センチの所にあった。
「あの、誠に勝手な話なんですが」
「ふふふ、うん?」
「その昔、ボクに勇気をくれてありがとうございました」
「相変わらず口調が固いなぁ」
「あなたは気苦労が人よりも多いと思いますが、負けずに頑張って下さい」
「うん」
「応援しています」
「ふふ、ありがとう」
「それじゃあ、さようなら」
「ありがとう、お互い頑張ろうね」
そう言うと、サトウ様はひらひらと手を振りながら、扉の向こうへ消えていった。
ボクがまだイケモミで働き出す前から憧れていた人は、黒いワンピースがよく似合う女性だった。
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