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ねぎらい上手になりたい

ねぎらう。労う。
とっさに出る一言に人間力が表れる気がする。
本日も宜しくお願いします。

何事も当たり前ではない

仕事でも日常生活でも当たり前は無い。必ず誰かの仕事で社会は成り立っている。
電気ガス水道等のインフラ、衣食住、完全な自給自足だとしても、住所登録や年金等で社会にはお世話になっているはずだ。
仕事の成果も同じである。誰かの協力を必ず受けていることを忘れてはいけない。
まずはそれを理解する事である。
この現実を理解しないとねぎらいの言葉は出てこないだろう。
「お疲れ様」「さすがですね」「ご苦労様です」「大変でしたね」「いつも有難うございます」「助かりました」
ねぎらわれると報われる。良い気持ちになるし、やった事を認められた気がして自信がつく。それがまた良い循環を生み出す。

お金を支払う立場だとしても

勘違いしてはいけないのは、お金を払う側の立場を強調して威張る事である。
こっちは客だから宜しくというスタンスは良くない。稀にこのようなお客様と接する事があるが、いつでもこの立場を強調してくる。
「安くしてくれよなー」「これはサービス?笑
」「よそに頼む事もあるから、宜しく」とか。
ビジネスだから仕方ないが、コミュニケーションには相応しくない。
このお客様のためにやってあげようという気持ちが失せるからである。
だからこそ、こういう態度は取らないようにしている。外食の時やコンビニでも。
嫌な接客やサービスであれば2回目をしなければ良いだけだからだ。

イケオジはねぎらうタイミングが上手い

ねぎらいの言葉やタイミングが上手い人がいる。この人は社内のみならず取引先や協力会社からも信頼されている。
一方、お金にセコい人やねぎらいが下手な人は周りからの評価も低い。
面白いのはどちらも本人が気付いていない事である。周りからの評価が低い人は、誰からも指摘されず、このコミュニケーションが正しいと思って行動している。悲しいかな。

まずは身近な人から始めよう

家族や同僚など身近な人から、ねぎらう事を意識してやってみようと思う。
これを積み重ねると自然なタイミングが身に付くだろう。
小さな配慮や心遣いがいつか自分に返ってくる気がする。もちろん、そのためにするわけではないが。

父の日に娘から。これも一つのねぎらい。報われるぜ。


押忍。
peace。

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