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ラフティング世界選手権日本大会回想記②

2015年6月、日本選手権にIRF:International Rafting FederationのJoe会長が視察に来ることが決まった。関西空港にJoeを迎えに行き、四国まで車で移動した。レース前にレース4種目それぞれで使う予定のセクションを視察して貰った。当時の僕の英語力はかなりヤバかったので、案内には友人のニュージーランド人Lincolnも同行してもらい英語で説明して貰った。

Joeは吉野川に関して高評価を貰っていて、これまでの日本代表チームの実績も加味すると日本での開催に問題ないと言うことは言われていた。なので、日本選手権終了時に、2017年日本での世界選手権開催をアナウンスすると伝えられた。市役所の世界選手権推進室の二人にはすぐに伝え、お祝いのくす玉を用意し市長にも日本選手権の閉会式に参加頂くよう段取りした。

これで後戻りは出来なくなった。当時、テイケイの監督をしていたし監督をしながら大会の責任者:オーガナイザーが出来るか?その問題もあった。2015年、インドネシアでの世界選手権で表彰台に上がれず、監督を解任になり、元々監督だったAが監督に返り咲き、僕はコーチとしてチームに残ることになった。監督は降りたとは言え、選手達を地元開催の世界選手権で勝たせることは変わらず、どうマネジしていくかも課題だった。

2016年UAEでの世界選手権はAの独断で参加が見送られた。ここでは詳しく書かないが、2017年テイケイが優勝出来なかった要因の一つになったことは否めなかった。

僕自身はUAEでの世界選手権には翌年の準備のため、大会運営の裏側を学ぶ為、IRFにお願いして大会期間中、運営サイドのミーティングにも参加させて貰い、ジャッジとしてレースにも関わった。ジャッジは20人くらいのチームで世界中から集まったメンバーで構成され、ここで動きの良いジャッジを見極めることができた。レースを運営する上で、ジャッジの存在も大きく、日本大会ではIRFから最高のジャッジを派遣して欲しかったので、その見極めも重要だった。UAEに到着した時にHead judgeのEricと空港で一緒になり、彼ともコネクションを作ることができた。カナダ人の彼は元々カナダ代表としてレースにも出ていたし、その後IRFの仕事をしていたことも知っていたので、人柄を含めて信頼できる男だ。その時、日本大会でもHead judgeをお願いしようと決めた。UAE大会の運営の中心にいたRowanは日本に長いこといて顔見知りだったので、出来るだけ行動を共にして彼からも色々教わった。毎日行われていた運営チームのミーティングにもobserveさせてもらえたのはとてもラッキーだった。もちろんUAEは人工コースで選手の輸送など考えなくて良い点は、日本大会よりもよりシンプルだが、それでも運営上のトラブルは毎日あった。

続く

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