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世界選手権日本大会回想記③

世界選手権を開催するにあたりやりたい事がいくつかあった。もちろん大会を運営する上で一番大切なことは無事故で終えると言う事だが、せっかく世界中から人が集まるので、ただレースをするだけでなくそれに絡めて色々できたら面白いんじゃないかと言う思いがずっとあった。大きくは以下の項目。

①地元ユース(U19)チームの結成
②地元の人たち(特に子供達と選手の交流事業)
③コンパクトな大会運営
④レースに特化したボートの開発

①地元ユース(U19)チームの結成
ラフティング世界選手権では年齢別に4つ(ユース:U19、ジュニア:U23、
オープン:年齢制限なし、マスターズ:Over40)のカテゴリーがありそれぞれ男女に分かれている。日本では大学生のチームが多いのでU23のカテゴリーができた事で彼らが国際舞台でレースを経験する機会が増えた。実際このU23からプロを目指す若者もいる。

地元のユースチームを作る目的はいくつかあった。一つは純粋に国際的なレースを日本の若者に味わって貰いたかったと言う事。もう一つは地元の子どもが出ればその子の親や学校の友達、メディアも注目してくれると考えたからだ。この計画は最初からスムーズにいった訳ではなく、いろいろな反対意見も出て、協力者もなかなか集まらなかったが、地元出身でラフティング会社で働いていたTomoちゃんが地元の池田中学校、池田高校に話をしてくれて協力を得ることができた。さらに元リバーフェイスの碧ちゃん、現役の阿部ちゃんがコーチを引き受けてくれた。男女でチームが組めるだけの人数が集まり「Trakt」が結成された。僕も何度か練習にお邪魔したが、ほとんどのメンバーが初めてパドルに触るところから、最終的には見ている人たちに感動を与えるチームに成長した姿は、僕の予想を遥かに超えるものになった。

②地元の人たち(特に子供達と選手の交流事業)
地元中学生と参加チームの交流事業は、推進室からもプッシュして貰って結局4チーム(UAE, Australia, Brazil, Nepal)が協力してくれた。一番初めはUAEが井川中学校を訪問してくれたのだが、彼らの正装である白いトーブを着てきてくれたこともあり、大きなインパクトを子どもたちに与えてくれた。1時間ほど生徒たちと交流し、彼らが帰る時には全校生徒と職員が見送ってくれて、選手たちも喜んでいた。
続いてAustraliaは全校生徒20名足らずの西祖谷中学校を訪問して生徒たちと交流した。ほとんどのチームメンバーが元同僚だったこともありよく知る選手たちだったが、普段は陽気な彼らが、いかにも国の代表です見ないな顔をして真面目に生徒たちの質問に答えている姿はなかなか面白かった。
Brazilチームは池田中学校を訪問した。この姿はテレビの取材も入り少し放映されていたが、体育館に琴や折り紙、習字など日本文化に触れるコーナーがいくつも設けられ選手たちは思いもいにそれぞれのアクティビティを楽しんでいた。習字で書いたものは、用意してくれていた台紙に入れて選手たちにプレゼントされた。途中自然発生的にいつものサンバのノリで生徒たちと選手が一緒に踊ったり、カポエラをしたり、お互いの文化に触れる時間になり大いに盛り上がった。
Nepalは山城中学校を訪問し、生徒たちが踊りなどを披露、一緒にゲームをしたりグループごと分かれて選手と話をしたりしていた。僕は打ち合わせが入っていて中座したが、僕にとってはネパールでも一緒に合宿し顔見知りの選手たちもすごく喜んでいて後でお礼に来てくれた。

③コンパクトな大会運営
最終的に23カ国73チームが参加したこの大会。男女合わせて8カテゴリーあり公式練習を合わせて1週間で終わらせるスケジュールを組んだ。このスケジュールを現実にするには、競技中の選手の移動・ボートの運搬などをスムーズに行う必要があった。そんな時、市役所の方から上がったアイディアが地元で盛んな林業で木材の運搬に使っている架線を使ったもの。ボートを空中で輸送する方法だった。これをスプリント・H2Hとスラロームの会場に設置することになった。業者の人を交え、支点の支柱をどこに立て、ラインを張る位置、ボートの吊り下ろしをする場所、選手とボートの動線、安全性などを何度も話し合った。
他にも宿舎の分配や選手の移動にも気を使う必要があった。メイン会場のWest-Westでさえ、バスを止められるスペースに限りがあり、プラス観客用のバスの運行も行っていたので、ここはJTBのスポーツイベント運営のチームに入って貰った。彼ら曰く、こんなに難しいオペレーションは過去に経験したことがないと言っていた。バスの確保も1年以上前から行った。と言うのも同じ時期に愛媛で国体があり、徳島など四国内をはじめ関西方面のバスも駆り出されることがわかっていた為、早めに手を打つ必要があった。手元に当時の資料がないので正確な数字はわからないが80台くらいの大型観光バスを手配した。

④レースに特化したボートの開発
世界選手権では通常、主催者側でボートを用意するのが通例だった。IRFから借りることもできたが、せっかく日本でやるなら日本メーカーのボートを使いたかった。日本でラフティングボートを作っている会社は数社あるが、消防や警察も使っているアキレスに話を持っていった。実際は販売代理店の山田さんにアキレスの方を紹介頂いた。ルール上、長さや幅、チューブの大きさなどは大きく変えることができないので、レース向きとして、ボートの中のチューブ、スォートの形状を工夫できないか依頼した。と言うのもラフティングレースでは選手がより力を発揮し、尚且つボートから転落したりしないようにスォートの空気を抜いてその下に足を入れ体を固定すると言うのが普通に行われていた。ただこれによりボートの剛性が落ちることも確かで、元々持っているボートの性能が落ちていた。なので、スォートの空気を抜かず、本来のラフトボートの性能を保ちつつ、アスリートのパフォーマンスを引き出す、そんなボートにしたかった。技術者の方の協力で新しい形状のスォートが開発された。その間、何度も試作品を作って貰い、工場に足を運んだり、試乗させて貰って最終化して貰った。もっと細かい話をすると、ボートのフロアの空気室についている調整弁:プレッシャーバルブは通常の市販品よりもより空気が入るものに変更して貰った。これは空気が入りすぎるのを防ぐための弁で、ボートの剛性を上げたいと言う要望に答えて貰って、レースで使うボートはメーカーが出せるギリギリ上限まで空気を入れることができるプレッシャーバルブに変更して貰った。選手たちにその思いがどれくらい伝わっていたかわからないが、アキレスの協力なくしてはあのボートはできなかったので、本当に感謝している。

続く













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