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過去から学ぶ

Facebookの過去の投稿で、初めてマーシャルに来て帰国したというのが出てきた。6年前の2月末から一週間の日程で、ここEbeyeと首都のMajuroに来ていた。社長とサブコンの部長との3人での出張で、会社に入って3ヶ月しかたっていなかったこともあり、今考えると全く役に立ってなかったと思う。

Majuroでは少し時間があったので、ホテルの近くにあった博物館に行った。博物館にはマーシャル人の歴史やアメリカがやった水爆実験に関する展示もあった。偶然にもその日は1954年にアメリカがビキニ環礁で水爆実験をやった日だった。


ビキニから移り住んだ人の子孫もEbeyeで暮らしている

出張を終えて、経由地のグアムで乗り継ぎ便まで時間があったので社長にどこか観光に連れてけとせがまれ、この出張で最大のタスクだったことを思い出す。70代の社長を海のアクティビティに連れて行くわけにもいかず、かなり悩んだが、グアムの太平洋戦争の博物館に行くことにしてレンタカーを手配した。

ほとんど貸し切りだった資料館

アメリカ側から見た太平洋戦争に関する展示を一通り見て最後の展示は戦後28年間戦争が終わったことを知らずジャングルに潜んでいた横田さんのコーナーだった。それを見て社長が横田さんのいた穴を見に行こうと言い出し、急遽場所を調べ向かうことにした。横田さんがいた穴は日本人向けのちょっとしたテーマパークの様になっていてちょっと拍子抜けしたが、実際、彼が潜んでいた穴はすごく小さかった。ここだけの話、立ち入り禁止になっていた穴に実際に入ってみたが、中は人一人が潜む分の大きさしかなかった。

横井さんが暮らしていた穴

グアムから祖国に帰国した日本兵は全体の7%しかいなかったらしい。マーシャルやミクロネシアでも多くの日本人が亡くなった。これには兵士だけでなく移り住んでいた女性や子どもも含まれる。
太平洋戦争から80年が過ぎ、日本は平和が当たり前の世の中になっているけど、こういう平和は当たり前じゃないんだってことを改めて思い出した。平和な世の中も戦争も人間が作り出す。どんな未来にするかは人間の選択だ。戦争をしないことをこの80年間日本人は守ってきたけど、これを続けて行くのが、今生きている僕らの責任だと思う。

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