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ラフティング世界選手権日本大会回想記⑤

世界選手権は公式練習3日間、レース4日間のスケジュールで行われたが、公式練習の前日にほとんどのチームが現地入りして、選手の登録・試合で使うビブと記念Tシャツの配布、accommodationの確認などを行った。正直この日が一番疲れた。と言うのも、こちらに登録している宿と別の宿を勝手に自分たちで手配して、こちらに登録している宿をキャンセルしてほしいと言うチームが複数、尚且つその宿からの輸送の手配もお願いしたいなど、ワガママ放題言い出すチームが続失した。当然そんなことは認められないので、最終的に彼らが自分たちで予約した宿に電話して事情を説明し、そちらをキャンセルして、我々が手配した宿に入って貰った。イタリアチームは空港近くでキャンピングカーを借りて期間中そこで寝泊りすると言って聞かないので、それは認めたが、結局あまりにも自由に止まるところをコロコロ変えていたので、地元のラフト会社の事務所の駐車場を使わせて貰ってことなきを得た。

選手として出場していた頃は大会が始まるとあっという間に終わってしまう感じがしていたが、運営側での1週間はとてつもなく長かった。大会期間中の昼間は基本的に本部の隅っこに無線機を6-7台置いてその前に座って過ごした。競技運営・セーフティー・Jury&ジャッジ・IRF役員・輸送・市役所・サブ会場など各方面から無線が入る。聖徳太子ばりに日本語と英語で入る無線に対応する。タスクは付箋に書いて目の前のガラスに貼り、解決したら捨てる感じでこなしていった。レースの進捗は無線でのみ確認していたので、1週間で選手達が漕いでいるところを見たのはダウンリバーのスタート1組だけだった。

競技初日の前日は雨で、コース近くまで降りる道が濡れていた。市役所から観客を瀬の近くまで入れるので危ないのではないかと言われ、非常に悩んだ。寝ようと思っても頭が動いていて寝られず宿を午前2時ごろ出て会場に向かい、観客の動線のトレイルを確認に行った。滑りやすい場所、危ないところを確認し、スタッフの配置を増やす事にして市役所のお偉いさんを説得し、何とか観客を瀬の近くまで入れることができた。

競技2日目はユースとジュニアのスラロームだったが、競技を終えた選手が観客も多く見ている前で5mくらいの岩から川に飛び込んでいたのを、誰かが警察に通報し、警官が本部に来た。こう言う事は僕らの業界では普通のことだが、一般の人から見たら自殺行為にも見えるようで、すぐにセーフティチームに無線を入れ止めさせた。飛び込んでいたのはNZの女子チームだったようで、コーチをしていた友人がわざわざ謝りに来てくれた。

翌日のオープン・マスターズのスラロームは通称「曲がり戸」と呼ばれる小歩危セクションでも一番テクニカルで落差のある瀬を使った。僕が出た世界選手権と比較しても一番難しい瀬でのスラロームだ。この瀬でのスラロームはどうしても僕がやりたかったことの一つだった。この日、この競技を見に推定3000人くらいの人が集まり、またまた警察からの指導が入り、競技会場へのシャトルバスの運行を昼過ぎに止めなければならなくなった。警察からはこれ以上人が増えたら危険なので、まだ人が増えるようなら競技を止めてもらうと強く言われ、苦渋の決断だった。お昼を買いに本部会場まで来ていた僕の家族も、レース会場に戻れなくなった。ただ幸いにも本部会場に大型のオーロラビジョン車を用意していたので、直接見られない人たちもそこで競技を楽しむ事は出来た。

大会期間中、競技スタッフ、セーフティ、通訳、ボランティア、市役所職員、輸送スタッフ、地元や協賛企業・学生ボランティアなど1日に300人くらいのスタッフが稼働していた。学生のボランティアが30人くらい来ていたが、何日目だったかこちらが雇っている輸送スタッフに学生ボランティアが悪態をつき、僕のところに苦情が来た。学生達は単位のため、来たくもないのに来ている子達もいて明らかにやる気のない子達もいた。事情を聞き、学生ボランティアを集めて話をした。
「僕らはこの一週間のために3年準備してきた。世界中から集まってくれた仲間をもてなす為、スタッフみんな頑張っている。君たちは単位のために来ているのは知っているし、そこにモチベーションがないのもわかっている。でもこちらは命をかけてこの大会を成功させようと本気でやている。もしやる気がないのなら迷惑だから帰って欲しい。学校には僕から話をしておくから」
学生達は黙り込んで話を聞いていたが、結局一人も帰ることはなかった。後で大学の先生が来たので事情を話した。先生にもやる気のない子は明日から来させないように念押しした。

本部にいてスタッフからの一番多かった苦情はランチが届かないと言うことだった。特に最初の2日間は酷くかった。3日目からはとにかく、指定の時間と場所に正確にランチを届けるように指示をした。それからは穏やかな声で、ランチを受け取ったと言う無線があちこちから入った。とりあえず人は飯を食わせておけば文句を言わないということを学んだ。

続く


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