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ありがとう

祖父が亡くなった。

母の誕生日。

私たちが会いに行った、数時間後。

夏ぶりに会った祖父は、全力疾走したあとみたいに息が切れて、口で息をして、ひとことも喋れなくなってた。
身体も痩せて、靴下もだぶだぶとしてて、服の下は抜け殻みたいだった。

でも、喋れなくても苦しそうでも、それでも意識がはっきりしているのはわかった。
それがなおさら、なんて声をかけたらいいのか、どう接したらいいのかわからなくさせた。
私だけでなく、その場にいるみんながそんな感じだった。

娘である母も「会いにきたよ」の言葉をかけたきりで、何もできずにいる中で、自分が前に出るのは躊躇われた。
一言も声をかけることができないまま、本当に何もできないまま、そろそろ帰ろうか、となったとき、来客でみんなが祖父のところから離れた時間が少しあった。

今しかないと思って、そっと手を握ってみた。
祖父にはもう、握り返す力はなくて、天井を見ていて目もあわなかったけれど。
私は私で、また来るね、なんて言葉が精一杯で、ちゃんとしたお別れも言えなかったけど。
勇気を出してよかったなと思う。

帰宅後、私は間に合わなかったけれど、訪問看護の方から、今日が山場だと連絡を受けた母が最期を看取ったと聞いた。
私たちが会いに行った、ほんの数時間後のことだった。

じいちゃん、みんなに会いたくて頑張ってたんだな。
こんなことってあるんだな。

じいちゃんが会いたがってくれてたのはわかってたのに、ろくにお見舞いにも行かないで、本当にごめん。
どうしたらいいかわからなくて、曖昧に微笑むしかできない居心地の悪い時間が嫌で、日程のあわなさを理由に随分はぐらかしてきた。
でも、ただ元気な顔を見せるだけでよかったのかもしれないね。

じいちゃん、苦しいのにぎりぎりまで粘ってくれて、最期に機会をくれて、本当にありがとう。
怒りっぽくて、よく悪態をついていたけど、孫の私には激甘だったよね。
じいちゃんの私の名前を呼ぶ声はいつも嬉しそうで、この人は私のことが本当に好きなんだなあと幼いながらに感じてた。

向こうでは先に逝ったばあちゃんと穏やかに過ごしてください。
ありがとう。

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