高円寺の古着屋


何もない状態で出てきて、最初に始めたのは高円寺の古着屋のバイト。あの頃は尖っていたので、色んな事を否定したかったように思う。思考回路がこれ!ってだけだったし、過剰に自信もあった。他から見ればどおってことなくても若気の至りというヤツだ。服装指導とか、自我の強い人間を否定する行為は精神的によくない。だって、悔しいって思うもん。同い年だけど、先輩だと敬語使わなきゃいけないとか当時は意味がわからなくて、それよりも、もっとラフに楽しくやったほうがよくない?って思ってた。スタッフ間の仲の良さってのはストレートに売り上げに響くと思うんだけどな。今思えば、すごくすごく恥ずかしい。何を知ってるんだ。そこを堪えて堪えるんだ。


大手や有名(ブランドネーム)が欲しいように私もそれが欲しかった。所謂バイトしていた所が自分の願う場所じゃなかっただけに不満が募った。
勤めたいと思っていたところは求人を募集していなかったので、それでも来る日をまとうとした。私は何も動かずただ黙って待つ事ができるような大人じゃない(当時20歳)。果たして20という数字は大人なのだろうか?
日々を楽しく丁寧に過ごすところから、ほんとにそこに本質は眠っている。


不安は棘になり自分を刺しにくる。自分を守るためにも「余裕」や「安定」を盾とする。目に見えないものはどうあがいても見えない、聞こえない。でも若いころ特有の ” トゲ ” も必要だと思うのだ。いや、無駄ではないと思うのだ。今が続いている限り。

真心ブラザーズさんの『 頭の中 』という曲を当時の自分に聞かせてあげたい。そして走らなくても、明日は必ず来る事、おびえなくても日は昇る事を目を見て手を取って教えてあげられていたらな、と思う。


これを読んでくれてる人の中で、棘が刺さって痛いと感じている人がいるのならば、手を握って抜いてあげて欲しいと願う。



さあ今日も。




#エッセイ #随想録 #故郷東京 #処女作




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