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ポスターが炎上する本質的な問題点を整理する

ポスターの炎上について,Twitter上で様々なやり取りがされています.

しかし,いろいろな意見を持った人が,それぞれの立場で意見をしていることから,今回の炎上における本質的な問題点が分かり難くなっていると感じました.

今回はポスターの炎上に関して,本質的にどこに問題点があるのかをTwitter上で見られた意見や,ネット記事を基に整理したいと思います.

私の立ち位置

私の立ち位置は今回のポスターは公共で問題があるほど過度に性的ではないという立ち位置です.

まず私が定義する公共で問題のある過度に性的のラインを明確にします.公共で問題のある過度に性的なラインは,電車などの公共の空間で憚られる性的な恰好です.理由は単純で,公共空間において暗黙の内に許されている格好であれば,表現上で出現しても何ら問題ないと考えられるからです.過度に性的なラインの例を明示しておくと,下着姿や性器の露出が当たります.水着も海やプールなど限定的な場で許されている前提であるため,基本的にはアウトだと考えています.

この前提の上で今回のポスターを見てみましょう.今回のポスターは上記で定義している表現は表れていません.今回主に問題とされていた皺について,この皺がプリーツスカートで発生する皺かと言えばそんなことはないと思います.しかし,あの皺の表現で問題にされているようなVラインの強調と太ももが強調されていることは,タイトなスカートを履くことで似たような状態になります.このような状態はビジネスカジュアルの服装でも普通に見かけることです.以下の写真のような形ですね.

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また,スカートに限らなければ,ホットパンツやスキニーパンツの場合も同様に,Vラインと太ももが強調される場面は日常生活で見かけることです.

そのため,Vラインが強調されている今回のポスターの皺は,日常生活で見かけることであり,過度に性的なラインではないと考えています.

このように記述すると,表現が現実的でないという指摘があるかと思います.イラストの場合,写実的に描くわけではなくデフォルメで描くため,皺の形や強調の仕方が不自然ということはあると思います.実際イラスト指南のサイトを見てみると,今回のポスターのような皺の書き方が勧められていますし,イラストレーターの方も同じような趣旨で解説されています.よって,日常生活で見かけるものを描くために,今回のポスターのような表現になったことは問題の無いことであると考えます.

Twitter上で見られた意見の整理と考察

私の立ち位置を明確にしたうえで,今回色々な観点で論じられていたポスターに対する意見を分類して整理します.

今回私が見た意見の下で分類をすると,大まかに分けると3つの分類が出来ました.

1.描写の非現実性

2.表現の主体性

3.表品との関係の無さ

4.エロ記号

これらそれぞれを見られた意見を参照して考察してみます.

1.描写の非現実性

まずは,スカートの描写が非現実であるという指摘です.

これに関しては今回のなされている描写は全く現実的ではないと思います.足と比べたときにスカートの横幅に余裕があり,足を前に出していたりしないため,普通はあのような皺が出来ることは少ないと考えられます.

ただし,そもそもイラストであって,写実的に描く目的がある絵ではないため,現実的な描写である必要性はないと考えられます.これは他の漫画やイラストでも同様のことがいえるため,今回のポスターが非現実的な描写であるから批判されたわけではないでしょう.

そのため,イラストが非現実的であることは今回の炎上において本質的な問題ではないと言えます.

2.表現の主体性

次は表現の主体性という話ですね.これはたびたび議論になる点で,現実の女性がセクシーな服を着ていることは,個人の主体的な決定によっておこることであるが,イラストの場合は女性という属性を利用して,性的な表現を行うものであり,女性性の主体性が存在していないから問題であるという主張ですね.

この主張に関しては様々な切り口がありますが,今回はイラストは主体的でないのかという点を掘り下げます.

まず,服を着るという行為は実用性の観点もありますが,ほとんどは自己表現として服を着ます.そのため,服を選んで着るという行為はイラストを描く行為と表現という意味では類似しています.この前提の上,服を着る行為とイラストを描くことを分解すると,

服を着る事
表現者:服を着ている人
表現物:服装

イラストを描くこと
表現者:イラスレーター
表現物:イラスト

となり,どちらも主体的な表現者が自らの理想とする表現物のために,表現を行っていることが分かると思います.この場合,「自分が着たいから着る」ことと,「自分が描きたいから描く」ことが同じことになります

つまり,イラストの作者が意図的に性的な表現をしているわけでなく,例えば立体的に書くために皺を書いているのだとすれば,現実の女性が意図的に性的な服を着ているわけでないと主張するのと同じように問題の無いこととなります.いうなれば,「このイラストは性的だとと捉えるあなたのような人のために描いているわけでない.」との主張が正当性を持つことになります.従って,作者の意図がどうであったかが問題であるため,部外者が性的であると騒ぐこと自体がナンセンスとなります.

3.商品との関係の無さ

次は今回の商品と女性性や性的な表現が関係無いという指摘ですね.

この点は関係がないという点をどう定義するかということに尽きると思います.例えば,今回のポスターに使われているキャラクターはミカンが好きで,アニメの舞台になっている沼津市の特産品であるみかんとのコラボという関係はあります.

そのため,CMなどで女優や俳優を使ったりするよりも比較的関係があると考えられます

そもそもCMでタレントを起用する理由は,CMに起用したタレントのイメージを印象付けるためであり,商品とタレントが直接関係がある場合は少ないと考えられます.

またCMの内容が商品と関係がないという指摘についても,映像とは直接商品が関連しないことはよくあることです.例えばBOSSのCMも映像自体はあまり缶コーヒーを関係がなく,別のメッセージを提示しています.そして映像の最後に缶コーヒーを飲んで〆るという流れです.ただ,印象とはとても残りますし,比較的評価の高いCMだと思います.

そのため,商品とあまり関係がないという点に関しては,CMの目的が印象に残すことであるため,そもそも商品とCM内容の関連がないことは特段問題の無いことであると考えられます.

4.エロ記号

最後は今回のポスターが性的であることは自明で,それはポルノに使われる要素,つまりエロ記号があるからであるという主張ですね.

まずエロ記号という言葉自体が全く聞きなれない言葉です.Twitter上で調べてみると,エロ記号という言葉がTwitter上で初めて出たのは2008年の6月22日で,エロ記号に準ずる概念がTwitter上で一気に広まったのは,駅乃みちかの絵が炎上した時からでした.

ネット上で探ってみると,下記のような記事に当たることが出来ました.

エロ記号という概念を整理すると,もともとの用法としては性的な行為と菅れづけられるような記号的な表現のことを指していて,時代が進むにつ入れて,性的に感じられる表現のことを指す言葉に変化していると考えられます.今回は便宜上エロ記号のことを「性的な行為や性的な表現物と関係づけられる表現のこと」と定義しておきます.

さて,ここからが本題でエロ記号とは果たして性的な表現なのでしょうか?

エロ記号とされる表現は直接的に性的な表現ではありません.なぜなら,性器や性行為そのものを描いているわけではないからです.そのため,エロ記号によって性器や性行為が想像されるからエロ記号は性的な表現足りえるのだと言えます.

エロ記号について分かりやすい例だと”ダブルピース”があると思います.ダブルピース自体は特段性的な表現ではありませんが,性的な表現の一つとして用いられたことで,ダブルピースが性的な表現と関連付けられることは非常に多いです.

ただ,このダブルピースは写真を撮るときに普通に行うことであるため,ダブルピースのみが性的というわけではありません.ダブルピースが性的な文脈を含んだ場合や,性的な表現とダブルピースが関連付けられて記憶されている場合に,性的に感じられるものです.そもそも性器や性行為を表現しているわけではないので,文化差や知識差が表れる表現であるのは明白です.

そのため,エロ記号が性的に当たるかどうかには,1.そもそもエロ記号と性的な関連を記憶している.2.性的な文脈とともにエロ記号が使用されている.といった条件が必要になると考えられます.

従って,ポスターなどの性的な意図が特段無い場の表現であれば,エロ記号=性的とは基本的にはならず,エロ記号と性的な関連を記憶していて,エロ記号を見ることで連想が起こって,性的であると感じるのであると考えられます.それは果たして性的な表現といえるのでしょうか?少なくとも私は公共空間という理由で規制されるような表現ではないと思います.

今回の炎上における本質的な問題

今回の問題の本質は公共空間で表現できないような,性的な表現の幅が広がると,現実の女性も性的な表現に当たるような服装をすることが憚られることです.この点が最も本質的な問題だと考えます.今回のポスターなら,タイトなスカートは性的と思われるから履かないようにしようと思う人が出てくることが考えられます.それは,社会からの抑圧です.

そして,現実の女性だけでなく,表現者も炎上を恐れて表現の幅が狭くなってしまいますし,広告などを出す人のガイドラインも厳しくなり,様々な所に労力を割く必要が出てきます.

こういった抑圧を行わずに寛容になることが,自由な環境を作るのだと私は思います.歴史的に見れば抑圧された時代が長かったのですから,人類が考え得る最大の寛容さを試した方が,人類の進歩にはいいんじゃないかと私は思います.

まとめ

今回の記事はラブライブのポスターが性的で炎上したことに対して,私は問題がないという立場であったため,ネット上で見られた意見を分類し,私なりに考察をし,問題の本質を探るための記事でした.

分類された意見は1.描写の非現実性,2.表現の主体性,3.表品との関係の無さ,4.エロ記号の3点がに分類することが出来ました.それぞれの意見を考察すると,公共空間から表現をなくさせるほどの根拠がある意見ではないと考えられました.

最後にこのような炎上は表現者の萎縮を生むだけでなく,日々生活する私たちの服装的表現を制限するものになりかねない点が,このような炎上の本質的な問題点です.人類の進歩のために寛容になることが重要だと考えられます.

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