自死がダメな明確な理由

2年前、ADHDを患っていた20代男性がバイクで日本一周を果たしたが、そのゴール地点のダムで自殺をした件がTwitterで流れてきた。死ぬ理由はオレにはわからない。ただ、もう苦しみたく無いし悩みたくも無い。と呟かれていたのを見るとそれまでの人生が相当に辛いものだったというのが想像出来て胸が苦しくなったのを覚えている。

私がADHDの診断をされたのは4年前。学生時代、社会人時代、何かと恥をかき続けたりしてきたが、45歳までどうにか生きてこれた。こんな実力不足、社会不適合な人間がここまで来れたのはひとえに周りの人たちのおかげでしかない。ただやはり、どうにもならずに塞ぎ込むときや絶望することも一度や二度では無いし、あまりにもやることなすことが、大失敗続きで死のうかと考えたこともあった。今まで生きているのは自ら死ぬのが怖かったからに過ぎないし、これから何があっても生き抜くのは家族の為以外に無い。

それと自死がダメな理由はもう一つ明確に存在する。自死した人の関係者の動揺が想像をはるかに超えるからだ。10年前、近しい人がそれを選んだ。出会って3か月程度だったが、あの時の何とも言えない心のざわめきは10年経っても忘れることが出来ない。有志の弔花を持ってご実家を訪ね親御さんにご挨拶させてもらったが、あれだけの重い空間と流れる時間、何より親御さんの表情を思い出す度に、こんな罪作りなことは無いと感じてしまう。それだけ周囲に深い悲しみや傷を残すのだ。非常に冷酷な言い方かも知れないが、自死は重罪だ。

いやいや、もう十分傷付いてきたし誰からも嫌われてるし、失敗ばかりで迷惑掛けっぱなしだし、生きてる意味無い。何より自分一人が消えたって誰も悲しまないし、むしろ社会のゴミが消えるならそっちの方がマシじゃん。そう思ってる人に言いたい。
私もそう考えていた。しかし、実際死なれるとその考えはガラッと変わる。
とんでもない重罪の加害者になってはいけない。今は心の底からそう思える。社会のゴミでも必ず一人は悲しむ人がいる。その一人を浮かべながら1日を生き延びることが出来ればまずそれでOKだ。



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