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「ランキング化」は、コアを削り出す作業

少し前に
「私が芸術を愛する理由」
という記事を書きました。

私の中では
「芸術はなんでもアリ」で
「勝ち負けがないのが
 おもしろい」という話でした。

そんな私が一方では、
「好きな曲」と題して、
ランキングを付けたりしています。

これは大きな矛盾ではないか、
というのが前から
自分でも気になっていたので、
釈明(言い訳)させてください。

私は個人的に、
こういうランキングを作るのは、
好きですし、

他人が選んだものを
見るのも好きなんです。

それはなぜだろうと考えると、

「選択する」というのは、
ある意味「研ぎ澄ませる」
ことだと思うんです。

そう考えると、
このように100曲選ぶとか
10曲選ぶという行為を
することによって、

その人がそのジャンルに
求めている本質が
見えてくるんですね。

そこがおもしろいと思うんです。

例えば、私が
「好きな洋楽100」で選んだ
上位10曲を改めて聴くと、

やっぱり、私にとって
音楽は「サウンド」なんだ
というのがよくわかります。

歌が入っている曲でも、
歌詞や歌声というよりは、
それもサウンドの一つで、

そのサウンドが自分にとって、
好みかどうかが
非常に大きいんですね。

逆に言うと、
どんなに素晴らしい
歌詞であろうと、

どんなに素晴らしい
メロディーであろうと、

奏でられている音色が
「いい!」と思えなければ、
私にとっては
「好きな音楽」ではないんです。

なので、私が選んだ
100曲を見てもらうと、
よくわかると思うんですが、

選んでいる曲は、
ジャンルも年代もバラバラです。

でも、私にとっては、
どれも大好きな曲なんですね。

正直なことを言うと、
どれも甲乙つけがたいです。

そこを敢えて、
順位を付けるのが、
おもしろいと思うんですね。

無理やりにでも
順位を付けることによって、
自分が何を求めているかが
理解できるからです。

つまり、本来の芸術に
優劣や順位はないですが、
それを受ける側には、
選択肢があります。

世の中に100曲の曲が
あったとしても、

その100曲すべてを
聴くことすら難しい人も
いるかもしれません。

一方で、100曲では、
まだまだ足りないくらい
もっと聴きたい人も
いるでしょう。

そういった選択肢の違いは、
受け手それぞれの価値観に
委ねられています。

多くの人が求めるものは、
世の中で、
高く評価されるでしょう。

しかし、それはあくまでも、
一般的な話であって、

世の中の人全員が「いい!」
と思うからといって、
あなたも「いい!」
と思うかはわかりません。

最初は「ちょっと苦手かな?」
と思った場合にも、
長く付き合うことによって
良さがわかる場合もありますし、

ずっと苦手なままの
場合もあるでしょう。

ある時は好きだったものが、
年月が経つうちに
飽きてしまうことだって
ありますよね。

そういうことなんです。

優劣や勝ち負けはなくても、
そういった個人の好みは
どうしても付きまとうものです。

だから、誰もがそれを
仕事にすることは
できないんですね。

誰でも音楽を
奏でることができるし、

こうして文章を
書くこともできるし、
絵を描くこともできます。

でも、それで生計を立てる
となると、
話が変わってきます。

なぜならば、
それは単なる芸術ではなくて、
ビジネスの世界だからです。

当然のことながら、
ビジネスの世界には
優劣もあれば、
勝ち負けもあります。

個人(受け手・消費者)の
収入や時間に
限りがあるからです。

なんだか話が
それてしまった気がしますが、

私がこの記事で
言いたかったのは、

ランキングのように
選ぶ作業をすることは、

自分にとって、
自分の「コア」を見つめる作業
だということです。

そして、
芸術に勝ち負けはないですが、
それをビジネスにする場合は、

当然、「売り上げ」のような
勝ち負けが生じる
ということなんです。

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