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普遍性とは対極にある笑い

芸術の三要素として、
「普遍性」を挙げました。

私がこの言葉を意識したのは、
お笑い芸人を目指していた
20歳の頃です。

子どもの頃から
お笑いが好きで、
いろんなものを観てきました。

学生時代にテレビで
放送されていた
バラエティ番組は
もちろんのこと、

古い番組でも
当時はレンタルビデオで
借りて観たり、

大人になってからは、
DVD を買って
観ていたんですよね。

そんな中で多くの発見がありました。

例えば、'80年代の
漫才ブームの頃のネタ、

あるいは、それより
少し後の時代に流行った
『オレたちひょうきん族』を
観たんですね。

『オレたちひょうきん族』
'81~'89年にフジテレビ系列で
放送されていたバラエティ番組。
ビートたけしや明石家さんまが
出演していた。

ビートたけしや
明石家さんまは、
私が学生時代から
いろんな番組で観ていて、

好きな芸人でしたし、
『ひょうきん族』も
もちろん伝説の番組として、
知っていました。

観たことはあった
気もするんですが、
幼い時代だったので、
ほとんど記憶がありませんでした。

(そして、私は
 裏番組『加トケン』を
 観て育った)

'80年代の
漫才ブームの頃のネタも
『ひょうきん族』も

私が20歳の頃、
DVDになっており、
期待に胸を膨らませて
観たのですが、

私にとっては、
思っていたほど
おもしろく
感じなかったんですね。

決して、おもしろくない
というわけではないんですが、

やはり、これらのネタや
番組は当時の時代の
空気感があってこその

おもしろさだったのだろう
と感じました。

なんせ、漫才といえば、
時事ネタが定番ですし、

『ひょうきん族』は
「楽屋オチ」みたいなネタも
多いんですね。

楽屋オチ
楽屋に一緒にいる人には
わかるネタ。
身内にウケるネタを指す。

例えば、自分たちが
所属する事務所の
社員のマネとかですね。

私もお笑いを目指すくらい
興味を持ってはいたので、
事務所のことは
知っていましたが、

さすがに、そこの社員のこと、
しかも20年も前のことなので、
さっぱりわからないんですね。

でも、これはこれで、
当時は新しかったのだと
思うんです。

そして、視聴者の人たちも
わからないなりに、

毎週観ていると、
積み重ねでわかる部分が
多くなってきて、

段々、おもしろくなる
ということだったのでしょう。

こういうお笑いの手法は、
『ひょうきん族』に限った
話ではありません。

例えば、今でも、
明石家さんまの番組、
特に『踊る!さんま御殿!!』

あるいは
『お笑い向上委員会』のような
たくさんのキャストが
出演するような

トーク番組では、
最初に司会者のさんまが

出演者と「お決まりのパターン」
みたいなものを一つ作って、

それを何度も繰り返し、
番組の中で使います。
(「こする」という)

これも「楽屋オチ」に
似たところがあるんですね。

この場合は、
「楽屋オチ」よりも
さらに発展させた形で、

番組がはじまったところから、
出演者と視聴者(お客さん)の
共通認識を確立させて、

即興の「おなじみ」を
作っているんです。

明石家さんま本人も
どこかで語っていましたが、

こういった
「お決まりのパターン」を
くり返すことによって、

うまくいくと、
笑いの波が
大きくなるんだそうです。

『ひょうきん族』の頃は、
おそらく、毎週の放送を通じて、
そういったお決まりのパターンの
種植えをし、

徐々にそれがお茶の間に
浸透していき、
番組を盛り上げる
という手法だったのでしょう。

これは『ひょうきん族』に限らず、
のちの世代の
とんねるずの番組などでも、

「楽屋オチ」のネタが
多かったことと、
共通しています。

こういったお笑いのパターンは、
事前の共有認識がないと、
なかなか難しいものです。

はじめて観る人には
おもしろさが
今ひとつに感じられたり、

時代が経ってしまうと、
通じなくなってしまうんですね。

これは「普遍性」とは真逆の
「時代性」が強い、
あるいは限定的なローカルの
笑いのパターンです。

私がお笑いの中に
「普遍性」を見つけたのは、
同時代の別のお笑いでした。

次の記事では、
そのことについて
書いてみます。

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