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「思考は現実化する!?!?」

今から数十年前にナポレオンヒルと言う人が、「思考は現実化する」と言い始めた。

その「進化形」と言うか「発展形」が「エイブラハムの教え」なのだろう。

「思考」と「現実」の間に何らかの相関関係は、果たして有るのか無いのか?

こういう人生の最重要項目は、学校では教えてはくれません。

人類は、無知蒙昧を旨として、奴隷とか兵士とか家畜同然に生きて来たし、それで良かった。 

「思考は現実化する。」

「へー、そうなんだ。」
「んな訳無い。」

受け取り方は千差万別十人十色です。

これは極めて重要な事を言っているのだと真摯に受け止め得るのは何%ぐらいだろうか?

「思考は現実化する。」 

詰まり、「現実は、思考化する。」とは言って無い。

また現実を「望む現実」と「望まない現実」にはっきりと二分してもいない。

人々は、「望まない現実」を甘やかし、大目に見すぎたかもしれない?

例えば人はお金について語り、お金についての願望を語るが、実は「お金の不足、不安、心配を日々語っている」ゆえに、不足と欠乏を引き寄せる。

もしお金が沢山あれば、人は素直に「自由と安らぎを感じ」、お金の不足状態には、不快·不安·失望の感情を抱く。

この感情のナビゲーションシステムを利用して、「欠乏、不足、欠如について見ざる言わざる聞かざるを終始徹底していく必要がある。」

ついつい日常会話で、「お金の欠乏や不足」「健康の不足」「幸せの不足」を語ってしまっていたかもしれない。

貧しさや貧困や貧乏が社会から根絶できないのは、その「欠乏や不足や欠如」についての蔓延している日常会話なのです。

「私は不足について一切語らない」、そうした徹底ぶりが無いから、自分の人生に貧乏や貧困感は日常化して、「豊かな人生への移行を妨げているのです。」

貧しさについて、語らず聞かず「不足や欠如」にフォーカスしないよう徹底しないから、貧乏が居坐り日常化しているのです。

不足や不満は口にしない、そして「豊かさについて語る」、これで人生の豊かさは間違いなく具現化されて来る。





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