カープダイアリー第8294話「ペイ、これからも我々はずっと一緒です、旧広島市民球場のマウンドでもマツダスタジアムでも、大切なファンの心の中でも…」(2023年6月19日)

黒田博樹アドバイザーがグラウンド外で涙を見せたのは、自身がメジャー挑戦を決意した2007年オフ以来だった。

前日18日、北別府学さんの通夜で広美夫人ら遺族にあいさつしながらこらえきれなくなった。

「僕自身はコーチと選手という間柄で、同じユニホームを着せてもらいました。たくさん、ほんとうにアドバイスをいただいて、その中でピッチャーとして、そしてエースとしてね、そのアドバイスひとつひとつが、DNAとなって自分の体の中に染みこんでいったと思いますし…、北別府さんの遺志をこれから僕たちが次の世代、次の世代へとね、継承していかなといけないなと改めて強く思いました」

一緒に北別府さんに寄り添った新井監督。昭和、平成、令和、そしてその先の未来へ。思うことはふたりとも一緒だった。

「小さなころから、北別府さんが投げる姿というのをテレビで、ずっと見てきましたし…最初にお会いした時にすごくファン目線だったのを覚えています。北別府さんが天国からずっと私たちを見守ってくれていると思いながら試合を戦っていきたいと思います」

新井監督の現役時代からの口グセは「お天道様が見ている」だった。またひとつ、大切な“目”がそこに加わった。

同郷の松山も目から涙が溢れた。

「球場に来ていただいた時もすごく気にかけてもらっていたので…。早く元気な姿を見たいなと思っていたのですごく残念です」

その遺志をマウンドで引き継ぐ面々にあって20番をつける栗林はやはり特別だ。未来志向。新たな決意を噛み締める日になった。

「入団した時から目標であって、高い壁だったのでそれは今でも変わらないですし、北別府さんのカープ愛というか、そういうものを背負って北別府さんに20をつけて良かったと言ってもらえるような活躍、成績を残せたらいいかなと思います」

この日、広島市中区の玉泉院中央会館で営まれた葬儀には球団関係者ら191人が参列した。

柔らかい笑顔の北別府さんの遺影に大きなHのマーク。棺は赤。旧市民球場の外野席の写真にはカープファン。そのグラウンドをイメージした花の祭壇は、正にエース北別府のマウンドでの立ち姿、だった。

もしも北別府さんの雄姿に会いたいならば、旧広島市民球場跡地を訪ねるといいかもしれない。ひろしまゲートパークと名前を変えたイベント集客施設群の中に、ホームベースとピッチャープレートの位置はそのままになっている。加えて当時の三塁側、原爆ドームと対峙する位置にある「勝鯉の森」では、衣笠祥雄さんも戦後復興の灯火となったこの空間を見守っている。

旧広島市民球場で北別府さんとともにカープの80年代を牽引した山本浩二さんは語り尽くせない言葉の中から“続投”を希望した。

「早すぎるよね、ペイは若すぎるわ、ええ…。黄金時代で共に戦った、戦友だしね。いろいろ症状を聞いているとね、よくがんばった。もう…楽になったやろうから、あっちへ行って楽なピッチングをしてください」

カープが初めてリーグ優勝した1975年オフにドラフト1位指名された北別府さん。同年、初の打撃タイトル・首位打者になった山本浩二さん、さらに同年生まれの黒田アドバイザー。

それぞれの世代でそれぞれの思い出が詰まった旧広島市民球場もまたきっと「あっち」の世界で歓声の中に包まれる。

そしてやはり同じ空間で「我が選んだ道に悔いはなし」の言葉と共に現役を引退した大野豊さんが親族、関係者が悲しみに暮れる中、友人として仲間として、プロでは1年後輩、年齢では2つ上のライバルとして、カープOB会を代表して、声を詰まらせながら弔辞を述べた。

謹んで友人、北別府学君のご逝去を悼み、ご霊前にお別れの言葉を申し上げます。

北別府君、いや選手時代と同じようにペイと呼ばせてください。一緒にカープのマウンドを必死で守ってきた大野豊です。

ペイ、早すぎるよ。悲しいし残念でならないよ。

OB会でいっしょに野球をしたり、こどもたちを指導したりして、楽しくやりたかったのに…。

現役時代はライバルでもあり、また助け合いながらお互い一目置く良き友人でしたね。

ペイの精密機械のようなコントロールを身につけるには、また投手としての考え方など、多くのことを学ばせてもらい、成長することができました。

感謝しています。ほんとうにありがとう。

昨年の3月21日のカープレジェンドゲームの時、ペイは我々と一緒にマツダスタジアムのマウンドにいました。

背番号20のユニホームを、私は着て満員のファンのみなさんに見てもらいました。

覚えていますか?

一緒でした…

これからも我々はずっと一緒です。

カープ球団初の、200勝投手北別府学、その雄姿を忘れることは決してありません。私の心の中でずっと、居続けています。どうぞ、安らかにお眠りください。

…ぺい、さよなら

令和5年6月16日
広島カープOB会長 大野豊

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