カープダイアリー第8274話「デビュー戦のダルビッシュから札幌ドームで完封阻止の激弾一発…新井監督が交流戦に燃える訳」(2023年5月29日)

交流戦を前に、カープファンの期待が高まっている。『新井語録』は、自分たちにとって、応援する人たちにとってマイナスになる情報を決して発信しない。

なぜだろう?

それは新井監督自身の人柄、気質、そして大学野球以降の経験によるものだ。

体の大きな人は弱気、優しい、控え目…という説がある。新井監督は小学3年生の時にはすでにいじめっ子から友達を守る立場になっていた。

広島工時代には最後の夏にキャプテンとして、無敗の広島王者だった二岡、福原のいる広陵を倒した。その気概を胸に進学した駒大での4年間。上下関係が極めて厳しく、また活躍の場も限られた。

駒大の先輩、野村謙二郎の口利きもありドラフト6位で入団したカープには、達川監督の下、チームをまとめる駒大の大先輩にして鬼軍曹の大下ヘッドがいた。

猛烈な練習量のため「ベッドに入って目を閉じた瞬間に朝が来る」日々が続いた。大下ヘッドの方針で一軍の打席に立ち、内野守備にもついたがミス連発。そんな「懐かしい日々」の一部が切り取られてマツダスタジアム大型スロープ横で紹介されている。

その中には入団1年目の1999年、旧広島市民球場で二軍戦に出場して「ストライクを見逃した」ためホームベースに正座させられた時のものもある。だがスマホで何でも情報が入る今の時代には昭和の“軍隊方式”はそぐわない。駒大方式をそのままプロの世界に持ち込んだ野村監督とは異なる手法を新井監督は選択したことになる。
 
パ・リーグ勢を相手に、緒方監督の最終年と佐々岡監督の2シーズン(1シーズンはコロナ禍で中止)で3年連続最下位…プロ野球関係者やメディアから再三「交流戦対策」を問われてきた新井監督の考えはこうだ。
 
「カープ自体が交流戦をあまり得意にしていないと言われていますので、その交流戦をどのように戦っていくかがポイントになると思いますね、(間髪入れず)私はぜんぜん関係ないと思ってますけど、そんなの…」
 
「気が付いたら終わっていたということが、なるべくないようにしたいなと思っています。ですから、こちらの方から結果を気にすることなく、どんどん仕掛けていければいいなと思っています」
 
「開幕からやっているようにゾーンの中で勝負してもらいたいな、と。カウントを悪くして長打を打たれるケースが今まであたっと思うので、そのあたりも私たちスタッフがピッチャー陣の背中を押していければいいなと思っています」
 
今のファンやメディアはもう忘れているか、あるいは新井監督の交流戦エピソードを知らないだろう。
 
読売グループのドン、渡邉 恒雄(当時は巨人オーナー)を中心に画策された球界再編の翌年、2005年に始まった交流戦。山本監督の下で03年、04年と2年連続で「ポスト金本」に挑み跳ね返された新井監督はこの年、開幕1、2戦目でベンチスタートとなった。迎えた東京ドームでの第3戦、「四番ラロッカ」の故障により「六番サード」でスタメン出場の機会が巡ってきた。
 
結果は第1打席、左翼線後方看板直撃弾。第5打席は右への決勝2ラン。
 
これで息を吹き返した新井監督は4月だけで計9ホーマー。5月、6月の交流戦では計5発を放ってホームランキング(43本塁打)への礎を築いた。6月15日の札幌ドームではこの日がプロデビュー戦のダルビッシュから九回、中越えソロを放ち完封を阻止したのである。
 
新井監督は自分のこうした経験をメディアや選手に伝えることはしない。その分、いろいろな言い回しで交流戦での戦いがいかに自分たちにとってプラスになるか、を語り続けている。
 
もう新井監督がパ・リーグのてごわい投手陣を相手に打席に入ることはない。
 
でもその代わりに秋山、龍馬、坂倉、田中広輔、松山、菊池、上本らが自分が追い求めていたものを体現してくれる。韮澤、林、中村貴浩らが強い気持ちで打席に入ってくれると信じている。
 
広島地方気象台はこの日、中国地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より8日、前年よ13日も早い。
 
これでマツダスタジアムでの交流戦開催時には雨の影響を受ける可能性が高くなった。“青空”ばかりではない中での交流戦でどんな結果が待っているのか?
 
大事なのは入りの6試合。昨季はマツダスタジアムでロッテに1勝2敗のあと福岡PayPayドームでソフトバンクに3連敗して、パ・リーグ勢から見下ろされて戦うことを強いされ惨敗に終わっている。

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