カープダイアリー第8505話「中井監督の広陵センバツ3年連続切符、113年ずっと強いのは、直近の宗山塁ら無限に広がる絆のおかげ…三次プロ野球伝続編Ⅸ」(2024年1月26日)



サクラの広陵の季節-


3月18日に開幕する第96回選抜高校野球大会の出場校を決める選考委員会が大阪市内であり、出場32校が決まった。中国地方からは広陵と創志学園(岡山)が選ばれた。昨秋の中国大会を制した広陵は3季連続で甲子園の土を踏む。


選考委員会は、主催者(毎日新聞社、日本高校野球連盟)が委嘱した選考委員で構成される。選考委員は、高校野球に長年かかわってきた人たちや、野球選手・指導者としての経験が豊富な人材で、担当する地区大会の試合を視察することが条件とされている。


今回の選考員会では異例の言及があった。


北信越地区を担当した選考委員は、能登半島地震の犠牲者への哀悼の意などを表明。大会理念に「野球を通じて生徒たちに純真明朗な気風を吹き込むとともに、国民の希望の灯をともしたい」という願いを込めて大会が誕生したことが明記されていると紹介した。


加えて壊滅的な被害が出て先の見えない状況が続く石川県輪島市にある日本航空石川など北信越の3校を含む全32出場校の選手へ向け「被災された方々の希望の灯となるようなはつらつとしたプレーを甲子園で見せてくれることを期待している」とのメッセージを発信した。


大会理念にある「国民の希望の灯」は時代とともに形を変えてきたはずだ。


センバツは1924年(大正13年)に始まった。日露戦争(1904、05年)、第一次世界大戦(1914~18年)を経て、そのころの日本は世界の列強国に追いつこうと必死になっていた。1918~1922年のシベリア出兵にも参加した。


日本の満州侵攻(満州事変)は1931年。そこから大日本帝国は国土を焦土にする1945年へとひた走る。


広島野球の歴史。それは旧制中学から始まった。最初に野球会(部)ができたのは広島中(現国泰寺高)で、明治22年(1889年)頃のことだった。日清戦争(1894年)の5年前、というタイミングになる。日清戦争では広島の宇品港から出兵して行った。広島は莫大な国家予算が投じられて軍都として発展、結果、原爆で壊滅する。


広島野球の”祖”広島中は、第一次世界最中の1915年に大阪の豊中グラウンドに10校が集まり始まった全国中等学校優勝野球大会(国高等学校野球選手権大会の前身、1948年から学制改革により現行の名称)に出場した。


広島中よりおよそ20年遅れで部ができた広陵中(現広陵高)は大正15年(1926年)の第3回センバツ大会で初の全国制覇を成し遂げた。そこから数えて98年目で広陵は3年連続27度目のセンバツ出場切符を手にした。27度は参加32校中、最多だ。


1年生の春から1番をつける高尾響と、主将の只石貫太。昨年、春夏の甲子園の舞台に立ったバッテリーを軸にして、広陵は21年ぶり4度目の日本一を目指す。


高校野球ファンに強烈な印象を残した試合がある。昨夏の甲子園、終戦記念日翌日の8月16日(15日の予定が台風の影響で1日延期)にあった慶応との2回戦だ。


高尾響は延長10回、152球完投!そして3対3の延長十回に3点を失い敗退、となった。夏の甲子園の歴史に残る名勝負だった、と言っていい。互いに”らしさ”満点だった。


勝った慶応はそのまま勝ち上がり107年ぶり2度目の優勝を果たした。優勝ブランク過去最長だった。


107年の時を経た慶応は大正時代とはずいぶん違う風貌になっていたはず、だ。令和の時代のナインはサラサラ髪に色白であったりした。今時の高校生はサッカーもバスケもみな個性的なヘアスタイルの場合が多い。野球のスポーツ刈り、5厘刈りは時代遅れ…???


だが、広陵ナインの髪型は未だ昭和的だ。それでいて100年スパンで、ほぼずっと強い。なぜそうなのか?


1990年4月、27歳で監督になった中井哲之さんはその理由を「独特の絆のような、広陵の人間にしか分からない血のようなものがあるからでないでしょうか?」と話す。自らも広陵で3年間鍛えられ、指揮官としてもこの春で35年目を迎える。すでに春は2度、頂点に立っている。


この日の夕方、広島ローカルニュースでは各局とも「広陵センバツ決定」のニュースを厚めに報じた。広島ホームテレビでは広陵グラウンド(広島市広島市安佐南区)からの中継の中でナインや中井哲之監督にマイクを向けた。


その中で「プレッシャー」について聞かれると、中井哲之監督は「広陵の監督という重たいものがすごくあります」と答えた。さらに「どう向き合っていますか」との問いには「やるしかないと思っていなすし、このやろーと思っています」と返した。


1911年(明治44年)創部の広陵はこの春で113年目を迎えるがそのうち1/3近くを中井広陵が占めている。


そこから巣立った教え子たちがカープほかプロ・アマ球界で、社会人として数多く活躍している。そして卒業後も後輩の指導のために先輩たちがグラウンドに戻ってくる。


その中で今、一番注目されているのが今秋のドラフト1位候補、明大の宗山塁、ということになる。その宗山塁の中学生時代に、三次の街中で打撃練習場を提供した指導者もまた中井哲之監督の教え子で…と広陵の「独特の絆」は無限大の広がりを見せるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?