カープダイアリー第8471話「限りなく透明に近いドジャーブルー、エースの条件」(2023年12月23日)

米国フロリダ州マイアミにあるマイアミ・マーリンズの本拠地、ローンデポ・パークで開催されたWBC決勝。米国を振り切った日本が3大会ぶり3度目の優勝を果たしたのは、日本時間で3月22日のことだった。あれから9カ月…

大谷翔平と山本由伸。

栗山ジャパンの二枚看板は、来シーズンからドジャーブルーに染まる。日米の街角にクリスマスのイルミネーションが輝くこの時期、新たなドラマの幕が上がる。

12月7日に広島東洋カープとのアドバイザー契約を更新した黒田博樹さん。新井貴浩監督を支える「総監督」の声も聞こえてくる。

1975年、カープが初めてリーグ優勝した年に生まれた黒田博樹さんは77年早や生まれの新井貴浩監督の2学年上。ともに大卒でカープのユニホームに袖を通し、エースと主砲に成長する過程で同期した。しかしチーム力は上がらず、旧広島市民球場のスタンドにも閑古鳥。2005年には15勝&43発でタイトル奪取もシンクロしたが、山本浩二監督最終年となったチームの順位は最下位だった。

「優勝争いがしたい…」

当時、Bクラス常連だったチームから新たな舞台へ…カープファンのことを思い、ゆえに後ろ髪を引かれる思いで2008年オフ、やはりふたりは同時に広島をあとにした。

そして2014年オフ、「カープを優勝させたい」と、またふたり揃って“広島帰還”を果たし、復帰2年目の2016年、カープファンに25年ぶりのリーグ優勝をプレゼントした。

カープエース時代の黒田博樹さんは「メジャーに特別な興味はなかった」と話していた。またドジャース入りが決まったあとも「ただ、やらなきゃいけない気持ち」だけに支配され、“やってやるぞ”という類の高揚感とは無縁だったという。

日本人選手のメジャー挑戦を取り巻く環境は、2000年代初頭と今とでは大きく異なる。それでも日米双方による今回の華やか過ぎる大谷・山本ドジャース移籍報道と比べれば、黒田博樹さんのそれはずいぶん悲壮感に満ちたものであったようだ。

「エースの条件とは何か?」

海を渡る前にそう聞かれた黒田博樹さんは「ファンに信頼されるピッチングをすること」と即答した。

カープファンは当時、その剛腕、その”男気”に心底惚れ込んでいた。

だからFA宣言することを決断して、旧広島市民球場で番記者らに囲まれた時には涙をこらえることができなかった。

そうまでしてドジャーブルーのマウンドに立つからには、今度はロサンセルスのファンに認めてもらうだけ…

それはドジャース入りを自身のインスタグラムで発表した大谷翔平も一緒。

「生涯ドジャース」を宣言したその文面には、野球人生の全てを注ぎ込む約束が綴られている。

And to all Dodgers fans, I pledge to always do what’s best for the team and always continue to give it my all to be the best version of myself.

……

2008年4月4日午後7時過ぎ、(日本時間5日後前11時過ぎ)、敵地のサンディエゴで黒田博樹さんはメジャーデビュー戦のマウンドに上がり見事、初勝利を掴み取った。開幕から4試合目のことだった。

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