カープダイアリー第8549話「3・11がマツダスタジアムに来るたびに」(2024年3月10日)

マツダスタジアムに中日を迎えての3連戦最終日。冷たい風に半旗がはためいていた。
 
東日本大震災からあす3月11日で13年目。試合前には黙とうが捧げられた。
 
新井監督は優しい心の持ち主だ。他人の苦労や悲しみを自分ごととして受け入れることができる。
 
……
 
2011年3月11日。マツダスタジアムでは巨人とのオープン戦が行われていた。その最中に巨大地震が発生して想像を絶する大津波が押し寄せた。
 
記者席にあるテレビ画面では、お台場の高層ビルの屋上で火の手が上がる様子が伝えられた。もちろんグラウンドではそのまま試合は続行された。
 
試合後のグラウンドでは野村監督の指示の下、東出と梵がノックを受けた。広島の日常にはこの時点では大きな変化は見られなかった。しかし翌日、土曜日のチケット売り場には「オープン戦土、日中止」の案内が出され、グラウンドではカープとソフトバンクの合同練習が行われた。
 
震災発生から6日後の3月17日、セ・リーグは「予定通り25日開幕」を発表した。メディア複合体の巨人が主導して導いた結論であることは明らかで、球界を揺るがした2004年の再編騒動に次ぐ“激震”の始まりとなった。
 
当時、プロ野球選手会を率いていたのが阪神・新井貴浩選手会長だった。
 
当時、カープの選手会長は新井選手会長との間にホットラインを持つ石原慶幸。開幕戦に関するインタビューをこの時、ナゴヤドームで受け「やれる状態ではない」と言い切った。
 
翌18日、新井選手会長は大阪市内での会見に臨み「開幕戦延期を要請しました」と切り出した。ファンのため、自分たちのため、球界のため、球界再編に待った!をかけたプロ野球選手会の意思は、原子炉メルトダウンを含む未曽有の大災害を前にして、またひとつになっていた。
 
けっきょくプロ野球は紆余曲折を経て4月12日に開幕した。この日のスポニチ紙面で新井選手会長は呼びかけた。
 
「プロ野球がひとつになって開幕へ。ひとりでは何もできないことを、観客席に人がいないこと、募金活動での声援に思い知らされた。でも野球には人々を元気にする力がある。特別な1年が始まります」
 
同日、政府は福島第一原発について、国際評価尺度で見て最も深刻なレベル7に相当することをやっと認めた。「原子力の平和利用」という耳障りのいい言い回しの下、メディアの力を使い日本に原発を広めたのは元読売新聞社主の正力松太郎氏だ。

……

一塁ベンチから半旗を見上げながら、新井監督は何を思ったか?少なくともこうして、今もプロ野球が多くのファンに支えられ、たくさんの笑顔とともにその日常があることの大切さを、心の中で噛み締めているのではないだろうか。

1万8904人のスタンドからは、この日も各選手に応援歌が送られ、二回、ジェイク・シャイナーにオープン戦19打席目のヒット(二塁打)が飛び出した時にも大いに沸いた。

投げてはトーマス・ハッチが本拠地初登板で3回4安打1失点。「きょうはカットボールがうまく操れた。チェンジアップはどんなカウントからでも投げられるようにしたい」

九回を3人で片付けた栗林は「ファンのみなさんの声援も大きいんで、すごい投げやすかった…」と頼もしかった。

試合後、新井監督は20番の守護神復活を明言した。理由のひとつは「去年、九回に悔しい経験をしたからこそ、同じ九回でその悔しさを晴らして欲しい」というもの。

新井監督は厳しいけど、優しい。

2024年プロ野球開幕まで、あと19日…

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