カープダイアリー第8291話「北別府学さんと共に、かつて日本シリーズで名勝負を繰り広げた西武を完封、そして床田が残したその”面影”とは…」(2023年6月16日)

北別府学さんが長い闘病生活を終えたことは、すぐに関係者らに伝わった。午後0時3分、死去。2020年1月20日、北別府さんがスタジオで成人T細胞白血病を告白したのは広島ホームテレビだった。同局の夕方ワイドは番組冒頭で訃報を伝え北別府さんの人となりを詳しく報じた。

マツダスタジアムは半旗になった。肩に喪章をつけた選手たち。新井監督はメディアの取材に応じてこう言った。

「私がカープに戻ってきた時にお会いしてご挨拶したところ、がんばりんさいよ、と優しく言っていただいたのを思い出す」

「天国で北別府さんが見守ってくれていると思いながら、きょうから選手たちとプレーしたい」

黙とうのあと始まった試合は床田vs隅田、両左腕の投げ合いで四回まで互いにゼロ行進。五回、末包、堂林に連続ソロが出て七回以降は床田vs西武ブルペン陣となった。

結果、試合の流れを最後までコントロールしたのは床田の方。内野ゴロアウト実に15個。115球を投げ5安打完封でチームの交流戦成績をまた8勝8敗の五分に引き戻した。

試合後、お立ち台に上がったのは堂林、床田、末包だった。

「まずは堂林選手、末包選手がホームランを打ったあとの打席でした、どんな狙いで?」と聞かれた堂林は自ら北別府さんの話を始めた。

「きょうはまず始めにカープ球団のOBの北別府さんが亡くなられました。こうやって勝利を届けることができて、良かったなと思います」

新井監督もテレビカメラを前にこう言った。

「試合前すごくショックだったんですけど、きょうの試合、北別府さんが見てくれていると思ってみんなで頑張りました」

カープ関係者、OBもファンもずっと北別府さんの闘病生活のことを気にかけてきた。ご家族にとっては大切な父親であり夫であり、大切な時間であり…

家族写真や動画などがSNSやマスメディアを通じて紹介されるたびに誰もが“復帰登板”することと信じていた。

実際、2020年7月には退院できるまでに回復した。さらに2021年3月には広島ホームテレビのスタジオ出演も再登板した。

しかし2022年春には人工透析が必要になり、ほどなく敗血症も患った。体力が低下していく中、嬉しいニュースを耳にすることになる。
 
第104回全国高校野球選手権広島大会。7月の熱戦、注目の3回戦「広陵-英数学館」は2対1で英数学館が勝った。
 
2018年より北別府さんが外部コーチを務める英数学館のエース末宗興歩は重量打線と真っ向勝負。189センチの主砲、真鍋慧に適時打されたのが唯一の失点で、9回完投135球、1イニング平均15球は現役時代の北別府さんを彷彿とさせる内容だった。
 
北別府さんは2011年からは知人の援助を得てブログでも情報を発信してきた。野球の話、趣味の園芸の話、ファンとの交流。
 
2015年3月には自身が監修する「北別府ファームプロジェクト」もスタートさせた。広島県北部の山県郡安芸太田町町営市民農園「筒賀ふれあい農園ありんこ」を舞台に、都市と農村が共存・共栄のための、里山活性化プロジェクト。自然派グルメなどを通じて市民農園の活性化などに取り組み、子どもたちに集まってもらってのスポーツ活動も好評だった。
 
そんな北別府さんも213勝をマークした現役時代はプロに徹し、ある意味怖れらる存在だった。
 
他球団の野手とは話もしない。投手であっても、そういうケースは多々見られた。内角を突くシュートと外スラ。左右の幅を使って攻めるピッチングスタイルだから仲良くはできない。後ろで守っているナインは「1点もやらないという気迫、仮に1点取られたら2点目は絶対にやらないという強い意思がいつも伝わってきた」と振り返る。
 
だからエラーでもしようものなら大変だ。
 
1992年9月13日の巨人戦。1対0リードの五回、川相昌弘の中前打を前田智徳が後逸して同点ランニングホームランにした。
 
1対1の八回一死から右翼席上段に決勝2ランを放った前田智徳はベースを回っている最中に涙を浮かべ、そのあと守備に就くまで泣いていた。
 
同年7月16日の中日戦で北別府さんは通算200勝を達成した。前年リーグ優勝を果たした当時のカープナインは、そういう張り詰めた空気の中にいた。
 
床田の完封劇によって西武は6連敗となった。その結末をマツダスタジアム放送ブースで見届けたプロ野球解説者の辻発彦さんは同じグラウンドに立っていた時代を回顧した。

「北別府さんとは同世代(1学年下)ですが、出身も同じ九州だし、思い出はたくさんあります。日本シリーズでも対戦していますから…」


 
精密機械と呼ばれた北別府さんの投球スタイルは、実は以外な数字も残している。
 
19年の現役生活で515試合に投げ与四球656。1試合平均で与四球2を切れば一流と言われる中にあって「1・89」と低い。
 
ところが死球数通算は逆に球団歴代最多の99個。…と言うことは「精密」にぶつけていた、ということか…
 
バッテリーを組んで幾多の勝利を積み重ねた達川光男さんは、この日たくさんのメディアから取材を受けたがすべて遠慮してもらったようだ。語ることのできるような精神状態ではなかったから、だろう。
 
 
そういえば北別府さんが200勝目指してひたすらマウンドに上がっていたころ、ナゴヤ球場での試合のあと中日ベンチに折れたバットが残されていて、たまたま目にしたグリップエンドにはその日の先発投手の背番号が…
 
北別府さんばりの「精密」投法を披露した床田も無四球かつ2死球で1年ぶりの完封勝利を手にした。新井監督が「北別府さんが見てくれていると思ってみんなで頑張りました」というのは偽りのない真実であり、球団レコード213勝の精神がそのまま引き継がれたことになる。

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