カープダイアリー第8406話「短期決戦、赤い心で日本一に挑むⅢ、新井さん体育祭団長兼県工主将魂」(2023年10月14日)

広島の秋空の下、勝者を宣言したのは新井監督だった。

「まず私のあいさつの前に選手を代表して、きょうもナイスピッチングでした最優秀中継ぎ投手、島内より皆様にひと言お礼申し上げます」

沸き上がる満員のスタンド、戸惑う島内。思わず帽子を脱ぎマイクの前にやってきた“きょうのヒーロー”は新井監督からひと言耳打ちされ、意を決したように言った。

「えー…まず本日は応援ありがとうございました。(スタンドから歓声)しっかりと甲子園でも…勝ってマツダスタジアムに帰ってきます!応援よろしくお願いします」

後半は声が裏返りかけていた。背番号43はもう、これで甲子園のマウンドでも大丈夫だろう。

「島内さん、ありがとうございました」(整列したナイン笑い)

3万人の目が25番を見つめる中、誰もまだ見聞きしたことのないあいさつが始まった。

「きのう、そしてきょうと超満員のマツダスタジアムで選手の背中を押していただきありがとうございます。おかげ様で強いベイスターズを倒してファイナルの切符を掴み取ることができました。(スタンドから拍手)これも本当によくがんばってくれた選手のおかげだと思っています。甲子園では今年のスローガンでもありますがむしゃらに、そしてカープの全員野球で、高校球児のように戦ってきたいと思います!(大歓声)また、この超満員のマツダスタジアムで野球ができるように、そして皆様にたくさん喜んでもらえるように頑張ってきます、行ってきます!きのう、きょうとありがとうございました」

カリスマとは違う。もちろん独裁とも違う。強いて挙げるなら「がむしゃら」応援団長。だからグラウンドとスタンドの気持ちをひとつにすることができる。広島工時代、体育祭機械科団長だったり、小学5年生で運動会応援団長だったことはあまり知られていない。

敗れたDeNA三浦監督は自らの責任だと番記者らに話したが、赤く染まった空間で自在にプレーする敵陣に対して改めてホームの何たるかを感じたはずだ。今季、マツダスタジアムより多くの入場者数を記録した横浜スタジアムなら、違った結果になったのではないか、と…

第1戦、延長11回3x-2サヨナラゲーム。この日は2対2の八回に決勝の2点が入って4-2。合計20イニングで3点以上入った回はなし。DeNAの得点は2点が2回だけ、カープは1点が5回、2点が1回だった。際どいイニングの連続で、もし横浜だったら青コーナーの判定勝ちだった???

実はこの日、午後1時のプレーボール前から勝利の女神が一塁側ベンチに腰を下ろしていたであろうことを、多くのDeNAナインは知らないはずだ。試合開始に間に合うように、旧広島市民球場に残る勝鯉の森では市民らの手による恒例の清掃活動があった。もちろん「日本一」を願ってのことだ。

1975年10月15日、48年目前のこの日、悲願の初優勝を遂げたのは「赤ヘル旋風」だった。

主砲・山本浩二。昭和時代のファンにとっての神様は旧広島市民球場時代に2度、チームを指揮して「粗い新井」を主砲に育て、さらに監督のバトンも繋がせた。

CSファーストステージ第2戦の中継局は広島テレビ。始球式のマウンドに「浩二さん」が上がると、「5分前に」に“出場”を命じられた SEIYA SUZUKI が打席に立った。

サプライズ演出は新井監督の得意技、2月の日南紅白戦で大瀬良と森下にスタメン紹介をさせて以来、新ユニ披露会見、NHKの開幕直前セ監督対談特集など節目、節目では“勝負手”を」打ってきた。「ファンの笑顔」が何より大切。それが新井野球の原点だ。

それで言えば今回の2連戦開始前にその“演出”は始まっていた。

マツダスタジアムであった共同会見で新井監督は「今永君は本当に素晴らしい投手」と相手の顔をのぞき込むように言葉を続けた。

「お褒めの言葉は全て忘れて、緊張感を持って…」と今永は返したが、新井流の独特の間合いが、戦う前から青コーナーに繰り出すジャブになっていた。

言葉通り「緊張感」を胸にマウンドに立ったはずの左腕はしかし、初回で28球も投じるハメになりその25球目で痛打された。打球は赤いライトスタンド一直線。2月、日南でのロングティ鍛えたあの時と同じスイングで強烈パンチを繰り出した龍馬。強い陽射しの中、一塁を回って右手を突き上げる姿はまぶしかった。

ヨーイ・ドンで菊池が9球、野間が8球粘って二死無走者。龍馬も3度ファウルを打ち8球目で真っ直ぐを仕留めた。今永がコントロールより球威重視になったところが、この勝負の肝だった。

今永と投げ合う森下は曾澤のリードに頷きながら5回無失点で期待に応え、六回一死三塁のピンチを招いたところで大道の救援を仰いだ。

レギュラーシーズンで散々、相手クリーンアップと対戦して剛腕化した大道は真っすぐ6球で大田、牧をフライアウトに仕留めて見せた。

その裏、先頭の大道には代打末包。「空に向かって打て!」巧く振り上げた打球はレフトプレミアムテラスに舞い降りた。

打席当たりの柵越え割合が驚異的な数字になっている末包は「全部の球を打とうとしても今永は難しいので、割り切っていけ」という首脳陣からの指示をそのまま実践した。初球、低目のチェンジアップがボールになり2球目も同じ球が来た。センター返しのイメージを持ちながらうまくヘッドをぶつけるスイングができた。

「浩二さん」から四番の何たるかを学んだ新井監督はそのノウハウを SEIYA SUZUKI に引き継いだ。末包は「誠也さん」と「新井さん」の二人から飛ばす術を伝授された。

特別ルームでその一発を、たこ焼きを食べながら(広テレ、そこも映す!?)見届けた SEIYA のリアクションは不明だが、2点目の放物線が上がった瞬間、ベンチの新井監督はまた藤井ヘッドとシンクロしていた。

八回のマウンドには発熱のため出場登録を抹消された矢崎に代わり中崎が上がった。結果は救援したターリーも打たれて2点を失い試合は振り出しに。こうなると今度はベテランの力が大事になってくる。八回の無死満塁で代打田中広輔が文句なしのライト前タイムリー。一死から秋山もレフトへ犠牲フライを上げた。

第1戦に続きこの日も“新井さんの神采配#がズバズバとはまった(女神がいるから当然か?)。戦前からキーマンになることが想定されていた大道の使い方、末包と田中広輔に加えて六回右飛に終わった四番堂林の代打松山の”3打数2安打2打点“、六回と八回の無死一、二塁での龍馬の送りバント…

逆にDeNAディフェンス陣はこうした新井采配に対応しきれなかった。真っすぐ勝負の大道には2試合とも抑えられたし、二度目の龍馬のバントの時には上茶谷が三塁に投げて犠打野選になった。

もっと言えば三浦采配はことごとく裏目に出たことになる、連投の上茶谷はイニング跨ぎでの失点だった。同じ八回の攻撃では島内から先頭の楠本が四球で出たのに、普段まったくやってこなかった大田の送りバントがうまくいかず結果は空振り三振で、続く牧と宮崎はここでも150キロを超える真っすぐの前にフライアウトに終わった。

話を新井監督の高校時代に戻すと、当時も広陵は県内最強だった。その「広陵に勝ってみんなを驚かせる」と新井主将兼四番はナインを鼓舞した。県工も春夏5回ずつの甲子園を経験した名門だが、やはり古豪広陵の方が上手で、中井哲之監督が「広陵史上最高の内野手」とした二岡智宏やエース福原忍がいた。

3年夏の広島大会3回戦、結果は二岡との四番対決を制して4対3の勝利!しかし続く西条農戦に敗れ甲子園の土を踏んだのはプロになってからだった。

そう、大きな相手に挑み、そして「みんなを驚かせる」のも新井流の極意。タイガースファンの洗礼を受けながらの敵地に乗り込んでもその思いを貫くことができるか、どうか。勝ち上がってくるのは「新井さん」だと予想していた岡田監督の懐に飛び込み、「高校球児」野球が勝てる確率は、いったいどれぐらいあるのだろうか…

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