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自分には才能があることを信じて、毎日手を動かしてほしい|グラフィックデザイナー 長友啓典


「信じられるデザイン」展では、雑誌『ゴロー』のグラビア「激写」シリーズを掲げた長友啓典さん。「グラフィックデザインが一番面白い時代を生きてきた」と語る長友さんに、激写シリーズ(*)制作での工夫や、デザイナーを志す人たちへのメッセージを伺った。
*「信じられるデザイン展」に、長友さんは小学館刊『GORO(ゴロー)』(20歳代をターゲットにした総合男性誌)の連載「激写」を挙げています。写真家の篠山紀信さんが女性たちをモデルに撮影したグラビア写真のシリーズ連載です。

アンダーヘアをめぐる大人たちの攻防

僕は、'39年に大阪で生まれました。グラフィックデザインを手がけてから50年以上になります。今回の「信じられるデザイン」というテーマを聞いてぱっと頭に浮かんだのが、「表現の自由」ということでした。僕は語れるほどの戦争体験はないけれど、その後の言論の自由、民主主義の自由と叫ばれた中に生きてきた。

しかしながら、雑誌『ゴロー』の「激写」シリーズを手がけていた'70〜'80年代、女性のアンダーヘアは出してはならないという縛りがあったんです。そして皆が、異を唱えることもなく従っている。しかも、'90年代に入るとなし崩しで「ヘア解禁」になり、大股開きがまかり通るようになった。

日本人の国民性なのか、右向け右と言われたら全部右に向くでしょう。「自由」とかなんとか言っているけれど、表現の範囲はいつの間にか誰かに決められてしまっている。そのこと自体が「信じられない」気持ちでした。

とにかくゴローの激写班では、「毛が写ってる」「いや、これは影だ」なんてやり取りが日常茶飯事。女性の下半身が写った写真をルーペで覗き込みながら、大の大人が頭をつきあわせて大真面目に討論していたわけですよ(笑)。

実際問題として表現に規制があるのであれば、その中で最大限のことをやろうというのが、制作側のテーマとしてありました。結果、ライティングに凝ったり、全身をメイクしてみたり、アングルを工夫してみたり。いわゆる「ヌード写真」の美しさとはどういうことかを考え、話し合いながら制作していました。

フォトグラファー、デザイナー、スタイリスト……、ページ制作にたずさわる皆が、被写体の女性をどんな場所でどんなライティングでどんな構図で撮ったらいちばんきれいに撮れるのか、そんなことばかり考えていましたね。みんなで取り組んだ創意工夫、それを信じて毎回ページを作っていったんです。

コンセプトが先にありきでは、絶対にうまいこといきません

撮影は篠山紀信さん。あの人は、「ヘアを出さない」縛りがあるならばそこにはいっさい反抗せず、縛りの中で最高の表現をしようとします。これが荒木経惟さんだと、縛りをどこまで破れるかに挑戦しますよね。アラーキーさんは力技で、篠山さんは薄皮をはぐようなアプローチ。いずれにしても、女性のエロティシズムをチャーミングに表現することに心血を注いでいたという点では同じです。

「激写」のモデルは、タレントのこともあれば街でスカウトした学生さんやOLさんのこともありました。一般の方の場合は「20歳になる記念に撮りませんか」とか、いろんな口説き文句で。そうして一度うなずいてもらったら、今度はスタイリストさんや僕、写真家らのスタッフと一緒にお茶やご飯を食べながら話するわけですよ。そこで、モデルさんの嗜好や考え方、家柄なんかがわかってくるんですね。

その過程を経ているからこそ、撮影のときに写真家とモデルの間に信頼関係が生まれます。例えば、「激写」の第一回目に出てもらった歌手の山口百恵ちゃん、彼女は撮っている最中にグッとカメラに迫ってくるんですよ。撮る前と撮っている最中に信頼を築けたから。そうしたら撮る方も彼女に寄っていけるようになります。

撮影するときに初対面で、よろしくお願いしますの挨拶だけではなかなかそうはいきません。やっぱり事前に話をするのが何より大切。相手のこと、自分たちのことを知ってもらって初めて信頼ができ、撮れる絵が変わっていくんです。

篠山さんがよく言っていました、写真家はマッサージ師と同じだって。コツとツボを押さえること。ツボを押さえてよい気持ちにさせたら、男も女もいい表情になるというんです。特に女性は、気持ちよくさせて撮るのが一番いいと言っておられましたね。逆に、被写体を怒らせていい表情を得るという、著名な報道写真家の方もいる。それもひとつの撮り方ですけどね。

いずれにしても、いかに最高の状況に持っていくかがコンセプトにつながるということ。コンセプトが先にありきでは、絶対にうまいこといきません。自分たちが考えた枠にはめ込んでしまうということだから。

ゴローを作っていた当時、米国で出版されていた『プレイボーイ』や『ペントハウス』などは、女性のモデルが正々堂々と、あるべき姿で立っているわけです。作る方は楽やなぁと思っていましたが、実際日本でもヘア解禁になると、なんだか作る楽しみも減ってしまった気がして。そういえば先日ね、ある外資系企業勤めの女子と話をしていたんです。ヘンな話だけれど、欧米の人はアンダーヘアをちゃんとカットしてる人が多いんだって。それが欧米女性の常識なんですよという話を聞いて思いました。「今日の非常識は明日の常識なんですかねぇ」。

センスは鍛錬の賜物である

「グラフィックデザイン」という言葉は、「世界デザイン会議」が'60年に東京で開催されたときに市民権を得ました。「図案」という肩書きの先生が「商業デザイン」になり、「グラフィックデザイナー」になり、「アートディレクター」になり……。僕らの世代がデザインの一番おいしいところを見てきたな、という気がしています。

特に'60〜'80年代は映画、演劇、アートシーンに躍動感のあった時代。ミニコミ誌がたくさんできて、デザイナーやライターなどが新人から入りやすい時期でした。映画監督を志す人、漫画家を目指す人も入り交じり、毎日どこかで喧嘩があるような。異種格闘技の中で皆がもまれていく感じです。

桑沢デザイン研究所在籍中、また卒業後には、田中一光先生にお世話になりました。先生が僕に言った言葉に、「デザイナーは、1に体力、2に体力、3、4がなくて、5に才能」というのがあります。体力──肉体的にも精神的にも、体力がなければ続けられませんよ、やっぱり。

よく、色のセンスは持って生まれたもんだとかいうじゃないですか。あれだって、訓練、鍛錬。子どもの頃に漢字の書き取りをやるでしょう。でも、色の描き取りはしませんもの。僕、田中一光事務所で徹底的にやられました。あるとき「テニソン」という米国のタバコを先生が出して、「長友くん、この色を出してみなさい」と言って出かけていきました。パッケージに赤い線があるのですが、ラッキーストライクとは違うちょっと特徴的な赤で……。

それを作るのがまた大変なんですよ。作っているとき、塗ったとき、乾いてから、それぞれの色が全然違う。そのために赤い色をバケツ一杯分作ったことありますもん。その中で、「この色は夕陽の色だな」「朝日の赤だな」といった、赤の中のグラデーションを覚えていくんです。それが、僕の自信になっていった。

その積み重ねだと思うんですよ。だから職人さんが親方にたたかれながら、むちでしばかれながら技を習得する、というのと似てるようなもんやと思う。僕らの仕事は、ある意味やろうがやるまいが自由やから、自分でやらなしょうがないでしょ。だから大変なんです。

「続ける理由」を考えて、毎日手を動かし続けること

黒田征太郎とK2を設立して、約40年で100人以上のOB、OGが巣立っていきました。僕は古い人間だし、彼らには何も言いませんよ。でも、例えば売込みにきたイラストレーターの人たちにはこう言っています。「画を描く人は、手で描かなければダメ。1日1枚でも2枚でもええから描きなさい」と。1年経ったら500枚、1000枚描けますよね。そうして3年続けてきたやつを持ってくれば、絶対に食えるようにしてあげると言っている。

でも、この40年間、持ってきた人はひとりもいない。みんな圧倒的に描かないんですよ。頭で描いて適当にこなしているから、本当には伝わってこない。コンピューターもいいんですが、僕は、手を動かして描かないことには伝わらないと信じています。運動でも、ダッシュを何本こなすとか、地味で退屈なことばっかりやるから身に付くわけでしょ。

僕は桑沢で浅葉克己と同級生なのですが、彼は1ミリの間に筆で10本、線を引いていました。毎日、毎日それをやっているから、今の浅葉があるわけですよ。横尾忠則さんなんかも、とにかくしょっちゅう描いてた。そういう人たちはちゃんと残っていくんですよ。

そうしたルーティンを自分で勝手に止めるのは楽なんです。やれ風邪をひいたとか、怪我したとか。右手を怪我したら左手で描いてもええやないか。それくらいしないと何かはつかめませんよ。

描くことに限らずですが、毎日続けているとスッと何かが降りてくることがある。子どものときの逆上がりと一緒です。言われるままに地面を蹴って、腕を引き寄せて……。何べんやってもできなかったことが、何かの拍子にふっと回れるようになるんです。そうするとしめたもの。それと同じやと思うんですよね。

何かをやろうと思ったら、そうしたらええ、というだけの話。それが「止める理由」をいくつも考えてしまい、なかなかできるもんじゃない。だから「続ける理由」を考えること。単純でいいんです。一軒家を建てようとか、1億円儲けようとか。続ける理由を考えてやっていったら、本当に幸せな人生を過ごせるんじゃないかという気がしますね。

才能がない人なんて、いない

学校に行ったりするスタート地点では、みんなそれぞれ才能がある。でも、その才能が自分ではわからないんですよ。いろんなことをやることによって、ようやく何かが見えてくる時がくるから、自分には才能があることを信じてほしい。才能がない人なんかいないんだから。

才能は、一気に開花することはないの。やっぱり年月がいる、自分の成長と共にセンスと才能を伸ばしていくことは、日頃のルーティンの仕事やと思う。だからそれは忘れずにやってもらいたいなというのはありますよね。デザインだけじゃなくて、違うことをしようというのもそうですよ。

僕、このあいだ同窓会に行ったんですよ。みんな70歳過ぎてます。早稲田大学出て、50年以上家業のかばん屋さんをやっている同窓生がいるんですけれども、もうこの年になったら引退ですよ、普通は。でもそいつ、同窓会でこう言ったんです。「ノルウェー製のかばんがすごくいい。10年後にノルウェーに店を出す」と。

70歳過ぎてもこんなオッサンおんねんな、とうれしくなってきてね。それはやっぱり、自分でコツコツコツコツとやり続けてきたからこその発想。実年齢と肉体年齢と精神年齢は全部違うからね。

20歳代は20歳代のおもしろさもあるし、それが30歳代とバトンタッチして自分の中でやっていけるかということですかね。デザイナーになったから、デザインをやり続ける必要もまったくない。デザインの学校で教わったことは、どこでも生かされることやと思う。70歳過ぎてもまだやろうっていう人がいるんだから。

みんなも、ちゃんと飯食って、3度、3度ちゃんとやっときゃ、なんかええことありますよ。楽しく生きるということですね。……というのがわたし、今日皆さんに話したかったことでした。■


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