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Mojo Hannah

ナノミーターズのレパートリー解説は、こちらに引っ越します。

レパートリーの中には、作者がアラン・トゥーサン(ナオミ・ネヴィル)ではない曲がありますが、その中の一つです。

Song Detail

Lyrics


おまえの髪を4本手に入れる
それと5ドル札1枚
それを封筒に入れ投函する
ある女へ送るんだと
友達が教えてくれた
ガンボ作りとワニ獲りの名人
死人を飛び跳ねさせることだってできる

ハンナという女の話だ
ルイジアナにいる
その女はモジョ使い
それを俺のために使ってくれる
俺の不幸を何とかしてくれるんだ
だからあの娘は俺のところへすぐに戻ってくる

派手な刺繍の服は着ていない
男物のズボンを履いている
ときどきちょっと一口飲んでいる
腰には45口径
南部中にその噂は広まっている
土曜日の12時に
ブードゥーの男のところへ行くんだ

モジョ・ハンナ、国中で最高だ
モジョ・ハンナ、世界でも最高だ

NanoMeters Version

1972年7月にリリースされたアーロン・ネヴィルのバージョンです。
Sansu の制作で、プロデューサーはアラン・トゥーサン、マーシャル・シホーンで、Mercuryからリリースされています。
トゥーサンのシーセイント・スタジオはまだできていないので、どこで録音されたかは不明です。

この盤で作曲者は F. コーバー、G. ゲインズ、R. ゲインズとなっていますが、これは嘘です(後述)。
また、ミーターズがバックを務めているとの記載も見かけますが、そのエビデンスはありません。これはなんの根拠もない私の感想ですが、ドラムはジガブー先生ではなく、ジェームス・ブラック先生のように思えます。ベースもジョージ・ポーターではないような。ギターはノセンテリっぽいけど。

Song Writers

作曲者はバーバラ・ポール、クラレンス・ポール、アンドレ・ウィリアムスで、1962年4月20日に著作権登録されています。
この三人はMotownのソングライター/プロデューサーのチームで、クラレンス・ポールは十代のスティービー・ワンダーの師として知られています。

First Recording - Henry Lumpkin

ヘンリー・ランプキンがコーラスグループ、ラブトーンズとともに吹き込み、モータウンから3枚目のシングルとして1962年にリリース。この時のタイトルは「Mo Jo Hanna」です。
残念ながらチャート入りすることはなく、ランプキンもMotownを去ったようです。

https://youtu.be/D_ZXKxizbTk

Other Covers

Marvin Gaye

1963年9月9日に録音されたライブ盤「Recorded Live Marvin Gaye On Stage」に収録。

Little Esther Phillips

1964年には、もはやリトルとは言えないエスター・フィリップスにより吹き込まれ、シングルがリリースされています。A面です。
ここで曲名表記が「Mo Jo Hannah」となりました。

Betty Harris

ベティー・ハリスはフロリダ出身のシンガーで、1963年に Jubilee からの1枚目のシングル「Cry to Me」でHot100で23位、R&Bチャート10位。続いての「His Kiss」は、そこまで順位は上がらなかったのですが、とりあえずチャート入りしました。
これらの2曲はバラードでしたが、1964年6月に出したのがアップテントの「Mo jo Hannah」。アレンジはミュージカル界の大物アレンジャーであるゲイリー・シャーマン。でも、これはチャート入りしませんでした。
そして、その年のうちにニューオーリンズの Sansu へ移籍し、アラン・トゥーサンと会うわけです。
8年後にアーロンがこの曲を吹き込むきっかけは、これじゃないのかなと妄想しています。

もちろん、トゥーサンはチャートへアンテナを張っていたでしょうが、あまり振るわなかったこの曲を知ったのは、ベティ・ハリスが持ち込んだシングル盤だった、というは話として面白いですw

Tammi Lynn

そして、もう一つ、きっかけであると言えそうな事実があります。
タミ・リンはニューオーリンズの隣のゲート・タウン生まれのシンガーで、なんとアラン・トゥーサンの同級生です。60年代初めころには、タミ・リンというステージネームで歌っており、ハロルド・バティステのAFOレコードと契約し、ツアーに出ていたそうです。そのころ、AFOのレコーディングにはトゥーサンもちょくちょく出ていますので、もちろん交流はあったでしょう。

その後、1965年にジェリー・ウェクスラーが彼女をスカウトし、Atcoからシングルを出すようになります。そして、1971年7月に「Mojo Hannah」をアトランティックの外郭レーベル Cotillion よりリリース。

この盤はチャート的にはまったくふるわなかったのですが、ニューオーリンズ出身者として、かの地ではそれなりに聞かれていたと想像できます。

The Neville Brothers

アーロンが吹き込んでから10年後、1982年にTipitinaでネヴィル・ブラザースがライブ録音をしています。
ここで歌っているのは長兄アートで、アーロンはコーラスに徹しています。

せっかくなので、それから10年近く後ですが91年のライブ映像を貼っておきます。



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