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Ooh Poo Pah Doo

このタイトル、まったく意味ありませんw

クレジットではこれを歌ってヒットさせたジェシー・ヒルの作曲となっていますが、ヒルが自分のバンド、ハウス・ロッカーズを率いて演奏していた飲み屋で共演した「Big Four」という酔っ払いのピアニストが歌っていた曲です。その飲み屋で彼は歌詞を紙袋に鉛筆でメモしていた、とヒルのバンドメンバーの証言があります。この話はけっこう有名で、いろいろな書籍やサイトに載ってます。「Big Four」の名前などはまったく知られていませんが、当時、酔っ払い界隈では知られていた人らしい。イントロをデイブ・バーソロミューから借り、自分のバンドで演奏するようになったとヒル自身が語っています。

すぐにこの曲は界隈で人気になり、レコードにしようと思ったけど、どうしたらいいかわからなかったので、とりあえずデモテープを作り Ric and Ron というレコードレーベルのジョー・ルフィーノに話を持ち込んだそうです。ルフィーノは興味を示さなかったけど、最近始めたばかりのジョー・バナシェクのレコード会社をミニットを紹介してくれました。

バナシェクの回想によると、聞いてほしいと訪れたヒルが持ってきたテープはボロボロだったけど、それを聞いて「これは面白いかも」と共同経営者のラリー・マッキンリーに言ったそうです。

1960年1月、ニューオーリンズのヒット曲製造工場であるコジモ・マタッサのスタジオを押さえ、ジェシー・ヒルとハウス・ロッカーズとプロデューサーとしてアラン・トゥーサンでこの曲を録音しました。トゥーサンは当時ミニット・レコードの設立時の新人発掘オーディションで契約したばかりの22歳。プロデューサーとしての初仕事です。

トゥーサン自身この曲について、「あまり好きじゃなかった。曲としてもうちょっと表現豊かじゃなきゃダメじゃないかと思っていた」と語ってます。しかし、その後のこの曲の売れ行きをみて「その考えは間違っていた」と。

ビルボード・ポップチャートで28位、R&Bチャートで3位、80万枚を売り上げる大ヒットです。単純でも、オシャレじゃなくても、ヒットする時はヒットする、ということでしょう。

新生ミニットにとっては初打席でホームランみたいなもの。

トゥーサンの初プロデュースといっても、実際はオブザーバーみたいなもので、ヒルとハウス・ロッカーズにピアノで参加したようなものです。でも、乗り気じゃなかったとはいえ、トゥーサンのピアノは珍しく力強く、ハウス・ロッカーズのデヴィッド・ラスティのテナーサックスとともに気合入ってます。ちなみにドラムはジョン・ブドゥー、ベースはリチャード・ペイン。ギターのアルヴァン・シャイン・ロビンソンはこのあと独り立ちします。

ジェシー・ヒルはもともとドラマーでした。若いころはプロフェッサー・ロングヘアのバンドで長いこと叩いていたそうで、あの特異なビートについていけてた訳ですから、泥臭いグルーヴはねっからなのでしょう。

そのあとのハウス・ロッカーズではジョン・ブドゥーをドラムに迎え、ヒルは歌とタンバリンに専念しました。

ヒルのビートは独特で、この曲もエイトビートでカバーされることがほとんどですが、どう考えても8分音符ではハマりません。基本は2ビートで取って、8分音符と付点8分が混在するというかポリリズムというか、微妙に揺れています。

この感じはジェリー・ロール・モートンからプロフェッサー・ロングヘアへ繋がるビート感です。この辺り、表現できるといいなあ。

この曲のカバーは多くて聞き切れませんが、とりあえずNOLA絡みのみ紹介。

トミー・リッジリーのは、ゴスペルっぽくたっぷり引っ張ります。そして、歩くのではなく、ダンスビートですね。


ジェームス・アンドリュースとトロンボーン・ショーティーの兄弟。
TVドラマTremeの音楽として録音されたもの。ブラスバンドによるマーチングで、ちょっと速めだけど歩く感じ。


最近発見したワンダ・ルーザンのは、かなり私好み。
ビートは現代風8ですが、遅めのテンポでゆったり歌う感じです。最後にヒューイ・スミスが降りてくるところがやられました。
この人、けっこうなベテランでサッチモなどと共演したこともある人です。今はニューオーリンズの芸能事務所のCEOとのこと。
さすがです。さっそく真似させてもらいます!

(2023年4月に加筆)

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