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グランディングのイメージ力が難しい

著名人や有名人そして成功者と言われる人は
瞑想をしている。
そんな書籍も数多い。
その効果は心をやすらぎへ導き
直感的な部分や発想へといざなってくれる。
アーティスト活動をしている人も
活動の中で瞑想状態になることもあると言う

そして今では
テクノロジーが発展した現代でも
瞑想は人気である。
忙しい人ほど活用している。

そんな私は瞑想がなかなかできない。
忙しいからではない。(笑)

瞑想を始めてしばらくすると様々な事が蘇る。
私の場合は過去のことなどではない。
どちらかと言えば今である。
あ!あれしなきゃ。
これを忘れていた。

時には洗濯の干し忘れに気がついたり…
誰かに対して何かを渡さなきゃ!と思いついたり
時にはやっぱりあれが必要だ!と買い物に出かけたり。
なので、すぐ行動に移して瞑想にはなっていない。(笑)
いや、今、
大切なことを伝えてくれているのかもと
行動に移す。(笑)。

私の頭の中のハードディスクは小さい。
そう思えるのは若い時から
すぐ忘れてしまうからだ!(笑)

私は真剣に物忘れが酷いと悩んでいても
私を知る周りの人は
どうでもいいと思っていることだから忘れるのだから
気にしなくてもいいと言う。
確かにどうでもいいと思っている。
いや、大切なことだけでいいと思っている。
私の頭の中のハードディスクに残すものは…

私はiPhoneを使っている。
iCloudの容量がどんどん減ってゆく
その度にいらないものを捨ててゆくのだが…
それを私の頭は常にしている感じである。(笑)

実はこの文章も
書き終わると忘れる。

なので、しばらくして読み返すと
自分の文章に驚くことがある。(笑)
それほど吐き出したものに対しても
どうでもいいと思っているらしい。(笑)
現実に残せばそこに執着していても仕方がないといえば
どうでもいい事である。
(私にとって…(笑))

そんな私でも、あれこれ学ぶことがある。
今読んでいる書籍でも(ハトホルの書)
瞑想やグランディングの話は出てくる。

グランディングについての話の前に
敬意という言葉が目につく。
基本が愛と言われているが…
愛の気持ちを持って…
いやはや愛とは難しい。

所見では敬意の気持ちで接するのではないか?
どんな気持ちか?
尊敬や尊重の気持ちを示すとある。
敬意を示す
敬意を払う
敬意を表すと辞書にある。

グランディングとはこの地球に
ズドーンと自分の体と地球の中心まで
プラーナ管で繋げるイメージなのだが
思えばそうなるから
そうなっているらしい。

今、存在している地球
今、暮らしている県
今、活動している地域
今、寝起きしている自宅
今、目を閉じグランディングしているこの部屋
この空間。

瞑想にはグランディングがつきものである。
そしてこの地球にしっかり根付かせないと
地に足がつかない状態になるらしい。
重要なポイント。
それがグランディング。

その大切な地球
その大切な地域
その大切ないつも歩く大地
その大切な部屋
敬意を払ってみよう。

言葉にすればありがとう!
行動に移せば掃除(断捨離)
広がれば、部屋から近所の掃除(断捨離)
になるのではないだろうか?

癒やしの世界と言われるスピリチュアル
自分を癒やすことだけではなく
歩く植物と言われる人間も
自分を癒やし
部屋を癒やし
街を癒やし
そして共存という目に見えない
生態系に繋がっているような気がしてならない。

私は大自然のエネルギーは視えないが
人間が森を散歩すると
無条件で森が人間にエネルギーを与えていると言う。
それがマイナスイオン効果
森林浴の効果なのかもしれないが実際に心地よく
リフレッシュする。

話はここから深くなる。
その森に対して美しいとか気持ちよさを感じたり
するとよりエネルギー(波動?)は流れ込むらしい。(笑)

森?木々?そのものに意識を向けるからなのか?
よりエネルギーに包まれると言われている。

心からの感謝の気持を伝えたら…
どうなるか?もうおわかりだろう。
あなたの想像におまかせしよう。(笑)

では、ここで
森にあるゴミが目に付きそれを持ち帰ったとしよう。
ゴミにも色々あるが缶は缶が集まる場所へ
ビニールはビニールの集まる場所へ
ゴミにも敬意を行動に…
エネルギーはどうなっているだろうか?

森は喜び
ゴミも喜び
敬意の行為がエネルギーとなって
繋がり合ってゆくのではないかと想うのは
今日の朝の散歩でのゴミ拾いで感じたものでした。
全てのものは振動している。と言われている。
存在している全てのものに…

話は戻して
グランディングなのだが・・・

イメージグランディングよりも
行動グランディングのほうが私はしっくり来ている。

確実に大地に敬意を払っている行為とはなんぞや!
自分が住んでいる部屋に敬意を払っている行為とはなんぞや!
自分の為でもあるのだが、
全てに共存の為なのではないか?と思う
グランディングについてでした。

私達は歩く植物である。
そう想うとシンプルに共存できる。
ありとあらゆるものに対して互いを認め
人間だけが特別と言う意識が剥がれ
出来ることを行動することで
共存関係が成り立ってゆくのかもしれない。

そんな私は
瞑想が長くできない人間である。(笑)












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