ついに言っちゃおうと思った話③
前回の話
この私の主張は、同じ子育て世代でも、まだまだ賛同を得られない雰囲気を感じている。
けれどだ、
交通事故並みの体の侵襲がある産後に!
本来自分と赤ん坊に集中すべき時に!
夫の衣食住まで整えてあげるのは普通ではないと主張したい。(田嶋陽子先生再来)
東洋医学的には失われた血が十分に戻るまで安静にする。
この期間を大切にしないと産後の肥立が悪くなるからだ。
「床上げ」までは水も触らない方がいいとされていて、地方によっては入浴もダメな時代もあったらしい。
「お産扱い」として実母や義母の助けがあればまだ良いが、晩婚が進みその親もそう若くない時代だ。
夫婦二人で乗り切る家庭も少なくない。
この、お産に向き合う体制も変化している最近の褥婦が、一世代前のお産のように自分を大切にできるかというとそうはいかないのが現実だ。
何でも自分でやります!(サポートが整っていないから)
母として頑張ります!(上の子を見る人もいないから)
妻として尽くします!(世間的には女の仕事とされているから)
これではお産が幸せな経験にはなり得ない。
完母であれば尚更だが、夜間の授乳には夫はすることが無いのだから、一緒に起きろとは私は思わない。
夫も仕事があれば、お互い寝不足は効率が悪い。
まして、朝起きて会社に行くまでの間に、育児に必要なマンパワーは正直ない。
朝7:00に起きて、7:30には電車で通勤なんてザラなのだろう。
とにかく自分のことは自分でしてくれれば良い。
ところが、一緒に暮らし、何となく家事は妻の範囲かなと思うのであれば(価値観が崩せないのであれば)、この体も心も大変な期間、一緒に住むことは頭数が増えた分、褥婦の負担が増えるだけなのだ。
それではまた明日会いましょう!
てな具合に、夫婦別に暮らす選択があっても良いのでは無いか?
もしもこの期間、親族の助けが無いのなら公的に寮など作っても良いし、この映画のタリーのように子育てのヘルパー的な仕事がもっと普及しても良い。
この期間、必要なのはオットではなく、経験に基づいたプロのサポートだ。
私は、それが他人であっても全然おかしいと思わない。
夫にはこの斬新な主張が理解できないかと思うが、妻が自分以外の人に助けを求めることに要らぬヤキモチなど焼かず、粛々と受け止めていただきたい。
愛する妻と子のために。
④へ続く
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