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今日好き炎上問題に見る自己責任論

「今日好きになりました」っていうAbemaTVの主に高校生向けの恋愛バラエティがあって、そこにちょっと知ってる子が出てたんですよ。自分はもう高校生でもないので、そんなに入れ込んで見てはないですけど、知ってる子なのでちょっと見るじゃないですか。その子は実際に番組上で彼氏ができてよかったんですけど、最近浮気疑惑が出てしまってまして。

本人は当然否定してて、実際浮気があったかどうかなんて、当人たちだけの問題なので勝手に処理してくれればいいんですけど、ここが今どきの恋愛リアリティショーの怖いところで、ファンの子たちがブチ切れモードがやばい。「裏切られた!」とか「早く謝罪しろ」とか「ブス」「死ね」など関係ない罵詈雑言が飛び交ってるわけです。その疑惑が出てた子もTiktokのフォロワーが30万人、Instagram20万人超えの子なので、燃え方がえぐい。インフルエンサーって大変だなって思います。

誹謗中傷のツイートも大半は捨て垢なので、おそらく愉快犯がほとんどなんでしょうけど、とはいえ、タレントさんからしたら誹謗中傷も、まるで本人が嘘をついているかのような内容のツイートも迷惑なわけですよ。タレントには有名税があるっていうけど、限度というものがあります。もちろん本気を出せば「殺すぞ」みたいなツイートしたアカウント主の特定はできますが、そこのコストを払うかどうかはまた別問題です。

おそらく番組のファンの子たちは9割型中高生だと思うので、若いな~で済ますこともできますが、状況を判断する力や、他者を想像する力、真偽を見極める力など、若いからというだけで済まされることでもないよなと。タレントだって人間ですからね。タレントの人生を棒に振るようなことがあれば、それは許されない。

自分が高校生のころからネットの掲示板に悪口を書く、みたいなことはありましたが、SNSの時代、より加速しているというか、特に事実を検証することなく意見が形成されやすいと感じます。

昔と今で異なるのは、SNSで簡単に他者とつながり、自分の意見を表明できることです。そしてそこには自分の承認欲求を埋めたいという思いも少なからずある。だから過激な発言、相手の思考力を問わない分かりやすい発言がバズりやすい。

そして昔よりもお互いを監視するハードルが低いので、意見が同調しやすくなる。なんとなく多数派がAの意見なら、Aに流れやすい。なのでますます声が大きくなる。

それが誰かを傷つけないものであるなら全然いいけど、相手を傷つける、さらに名誉を貶めるようなことであれば、それは問題だし、ツイートする前に冷静になる必要がある。

正直過激な発言に陥って暴走してしまうような子たちはこの文章を読んでないと思うのですが、正しい情報に触れて発言する、真偽が不明なものに関しては踏み込んだ発言をしない、という態度は非常に大事なことだと思います。これは高校生だけでなく大人の世界にも言えることですが。

この浮気疑惑が出た子を必要以上に叩くメンタリティの根底には、「自己責任」や「自業自得」という言葉が少なからず影響してます。そういうツイートが複数見られました。「身から出た錆」とも言いますが、要は自分で蒔いた種なんだから、自分で責任もって回収しなよ、こちらは裏切られたんだから、という思いが根底にある気がします。

「有名人だから誹謗中傷を受けるのは当然」「みんなが見てるという自覚がない」

こういう意見も多いです。しかし有名人だから、その対価として誹謗中傷を受けるのは当然ではありません。有名人だとろうと貧乏人だろうと犯罪者だろうと、誹謗中傷は受けるべきではありません。しかし上記のような言葉を投げかける子たちの認識は違うようです。その根底にあるのは「自分で選んだ道なんだから困難があっても受け止めろ」という自己責任論です。自己責任論をわかりやすくいってしまうと、「あなたが実現したいことがあるなら、どんな困難も乗り越えなければいけない。実現できなかった場合は、それはあなたの責任である」というものです。

でも実際、自己責任論が広まれば広まるほど、国は民衆をコントロールしやすくなります。貧乏で子供を産めないのはあなたの責任、年金もらえないのはあなたの責任、という論理が通りやすくなります。本当は違うにも関わらずです。

自己責任論は、一見すると当たり前のようで疑う余地のない意見に聞こえますが、実際、世の中の大半のことは自分でコントロールできないことです。今回のコロナだってそうだし、貧困の家庭に生まれること、パートナーから暴力を受けること、など、それは自分ではどうにもならないことです。なのに、世の中の人たちは、努力が足りない、脇が甘い、と責め立てます。それは責める相手よりも自分の立場が少しだけ上、という認識がある、またはそう思い込みたいからです。


この批判を受けた女子高生は、運悪く同じタイミングでTikTok上でも炎上してしまいました。その炎上動画というのは、インテリアショップの鏡の前で踊っていたというもの。一般人が店内でダンスを踊っているだけの動画なら炎上しなかったと思いますが、ちょうど注目されていた時期だったので、批判が殺到。謝罪に追い込まれました。

個人的には店内でダンスを踊ることがそこまで悪いことなのかよく分かりませんが、店内にいた迷惑かけた客に謝るならまだしも、SNS上で不特定多数に謝罪させる。この行為自体に何の意味があるのかと思ってしまいます。


今は自分の強さよりも弱さをアピールするほうが有効な時代です。こういうことをされて深く傷ついたと。それだけならまだしも「だから謝罪してほしい」まで言ってしまう。傷つくのは勝手だし、たとえば相手が無礼を欠いているのに自覚的であれば謝罪もありだけど、気持ちのこもってない謝罪は本当に必要なのか。

もちろん仕事などでパフォーマンスの謝罪をすることはあります。そうする方がコスパがいいときもあるから。ただ直接実害を与えたわけじゃないタレントに謝罪を要求するのは、謝罪ではなく「相手を謝らせた」というマウントをとりたいだけ。そういうのにいちいち付き合わされるタレントさんは本当に大変ですし、おそらく人間が抱えられるストレスの限度を超えてくると思います。数人に指摘されるのと、数千人に指摘されるのは訳が違います。

感情に任せた批判や上から目線の説教なら誰でもできます。逆に人に優しくするとか、他人のミスを許すというのは、相手の気持ちや複雑な状況を想像しないとできない高度な知的行為です。

人間は易きに流れるので、ルールを守りたがります。ルールを守るのは比較的簡単です。そこに思考は不要だから。

実際はルールを破った人を責めたり嘆いたりするより、複雑な現実を理解して、ルールを超えた先にある道徳や倫理を体現する方がはるかに難しいでしょう。

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