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TVアニメ『氷菓』10周年。アニメ史に残るその魅力をまとめてみました。

2022年4月22日は、京都アニメーションのTVアニメ『氷菓』の放送開始からちょうど10年。自分にとってこの作品は人生に最も大きな影響を与えた作品の一つであり、大切な作品です。

かなり地味な日常系ミステリーを、壮美な作画、丁寧な構成、そして多種多様な演出によって感動エンターテイメントに昇華させる、当時の京都アニメーションの技術の総結集だと思います。

2012年4月。
大学生だった私は映画制作の勉強をしつつ、膨大なインプットのために1クール20本ほどのアニメを鑑賞していました。そこに彗星のごとく現れた『氷菓』。前知識もなかった私は、他作品を寄せ付けないハイクオリティな第1話を観て圧倒され、泣き、すぐにのめり込みました。

20歳当時のクソ恥ずかしいツイートがこちら:

その魅力に酔いしれた結果、アニメのBlu-ray Discをほとんど買わない私でも『氷菓』のBDだけは二種類所有するほどの大ファンに。自宅には京都の「京アニショップ」で購入したポスターを額縁に入れて飾っています。

オフィシャルポスター(左)、全23話入りBD-BOX(中)、限定版Blu-ray Disc(右)

10年経っても色あせない圧倒的な作画、演出、物語。

本作品への理解をより深めていただきたく、このnoteではあくまで私の個人視点から『氷菓』の魅力を解説していきたいと思います。

TVアニメ『氷菓』とは

第1話「伝統ある古典部の再生」より

(あらすじ)
省エネを信条とする高校一年生、折木奉太郎は、ひょんなことから廃部寸前のクラブ「古典部」に入部することに。「古典部」で出会った好奇心旺盛なヒロイン、千反田える。中学からの腐れ縁、伊原摩耶花と福部里志。彼ら4人が神山高校を舞台に、数々の事件を推理していく青春学園ミステリ。

「わたし、気になります!」

奉太郎の安穏とした灰色の高校生活は、この一言で一変してしまった!!

TVアニメ『氷菓』公式サイトより抜粋

『氷菓』は2021年に史上初となるミステリーランキング4冠を達成した小説家、米澤穂信先生のデビュー作、〈古典部〉シリーズを原作とした作品です。


学校生活に隠された謎や、日常に起こる些細な謎を解いていくストーリー。


本作はトリックとか犯人は誰か?という典型的なミステリーはそこまで深くなく、あくまでもその奥にある登場人物たちの葛藤や思い、悩みや成長を楽しんでいくアニメです。

アニメ化に伴い、既刊4巻はアニメデザインのブックカバー付きの文庫本が発売された。

派手なサスペンスや展開、アクションなどは全くありません。舞台も基本的には高校の中なので、正直どうでもいい、退屈な謎を延々と推理していくだけです。ライトノベルや漫画ではなく、あくまでも青春ミステリーなので『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』などのド派手な作品を好む人には向かない、万人受けはしない作品だと思います。

制作会社は当時『けいおん!』で社会現象を巻き起こしていた京都アニメーション。

『氷菓』は知名度の高さや人気度だけなら、他の京アニ作品と比べるとそこまで上位の作品ではありません。『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『けいおん』『CLANNAD』などで知名度を上げ、女性たちは『Free!』を推し、『響け! ユーフォニアム』シリーズ、そして世界的に大人気な『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。


その中でも『氷菓』はかなり地味です


キャラクターたちは可愛いが、それでも他作品と比べると圧倒的に地味。

しかし、その地味さが青春の儚さを強調させるのも、魅力の一つです。

昨今のアニメとは一線を画す、まるで「文学」のような台詞回しや深みのある演出、そしてボーイミーツガールによる繊細な心理描写は『氷菓』ならではの特徴だと思います。

本格的なミステリー小説を題材にしつつ、日常的なシーンを丁寧に構成し、人間の関係性を作り上げていくという京アニの技術力によって唯一無二の傑作に。

原作は角川学園小説大賞のヤングミステリー&ホラー部門で奨励賞を受賞し、アニメも「2012年春季放送アニメ 人気ランキング」で1位、アニメポータル「あにぽた」の投票企画「京アニ作品で一番好きなTVアニメは?」において1位、2017年にNHK「ニッポンアニメ100」のベスト・アニメ100において25位にランクインしています。

では何が他アニメと違うのかを分析していきたいと思います。

①映画並みの作画の美しさ

京都アニといえば作画の美しさに定評があり、最近では『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』などが代表に挙げられるかと思います。

『氷菓』は映画級の作画を2クール(23話)、一度もクオリティを落とさずにその作画を維持するという離れ業を成し遂げ、“とにかく作画がいい”ということで高い評価を集めています。
(アニメ『日常』以降で2クール続けて放送されたのは2022年時点では『氷菓』のみ)

岐阜県高山市を舞台とした、春に舞う桜の描写は必見です。
最終話「遠まわりする雛」より

「作画」といっても様々な種類がありますが、ここでは下記のように分類したいと思います:


・色味/陰影
・背景などの詳細な描写
・人物の細かい動き


色味/陰影に注目した画作りに関しては「フィルター」を多重に使うことによって、2Dのアニメに空気感を与え、立体的な表現を可能にしています。『氷菓』はこのフィルターとほとんどのシーンに使っており、話数によっては、全シーンで使用する事も。武本監督は10年前の雑誌の取材でこう述べていました:

アニメーションというのは、線で区切られたところに、色が塗られて成立している世界。だからどうしてものっぺりとしがちです。だからそこにフィルターをかけて、天候や時間帯に応じた光と影をつけ、背景色を変化させることで、“にじみ”のようなものを加えてあげる。そうすることで、画は一気に立体的になり、リアリティがグンと増すんです。

武本康弘監督に聞く映像作りのポイント、雑誌名不明

映画のように光と影を使いわけ、キャラクターの心理描写を色で表現し、フィルターによる立体感で、1コマ1コマが絵画のように見えます。

第5話「歴史ある古典部の真実」より

また、予算の関係からデフォルメされがちな背景などの詳細な描写も細微まで手書きで表現。特に背景人物などはCGのチカラを借りつつ、描き込み量には妥協しない姿勢を貫いており、何気ないシーンに力を注ぐことでその質の高さが伺えます。

正に“神は細部に宿る”です。

背景に映りこむモブキャラたちも入念に設定
BD-BOX特製解説本より

あとは話の流れに絡まない、人物の細かい動きを極々丁寧に描いており、普通の作品だとなるべくお金をかけたくない部分にまで追求しています。

髪の動き、表情の切り替わり、人物の心理が観客に伝わるように動きの一つ一つに躍動感を持たせるなど、まるで実写映画を観ているような感覚に陥ります。

第17話「クドリャフカの順番」
第18話「連峰は晴れているか」
第19話「心あたりのある者は」



止め画が少なく、いわゆる“ぬるぬる動く”作画が存分に楽しめる『氷菓』。
『響け! ユーフォニアム』や『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』といった後年の傑作も、『氷菓』で培った技術の延長線上にあることが伺えます。

②視聴者を飽きさせない演出力

『氷菓』のジャンルはミステリーですが、派手な殺人事件があるわけではなく、地味な「謎解き」が主なストーリーです。

例えば:

  • なぜ毎週金曜日に週ごとに異なる生徒が同じ本を借りてその日に返却するのか?

  • なぜ先生は授業範囲を間違えてしまったのか?

  • 教頭による校内放送の背景は?

というような、あくまで高校内でのちょっとしたトラブルや謎を解明していくことが多い。

ただ、全てが地味というわけではなく、『氷菓』『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』といった文化祭三部作は数エピソードにまたがって群像劇的な謎解きが繰り広げられ、連続盗難事件「十文字事件」に挑んだりするものもあります。

基本的に上記のような謎を会話劇で推理していくのですが、小説はよくてもアニメだと単調でつまらなくなってしまいます。それを、演出力でカバーしていくのが京アニの凄いところ。


例えば状況の整理やロジック周りを解説していく際に、人形やイメージを使って、視聴者にわかりやすく伝えるのがポイントの一つです。

人形劇をつかって状況の整理をするシーン
第6話「大罪を犯す」より
ピクトグラムを使って推理を説明するシーン
第19話「心あたりのある者は」より

他には、人物の心理描写を描く際に比喩表現や抽象的なイメージをふんだんに使い、視覚的に面白くしているのも特徴です。超作画によって日常風景が実写映画のような働きをしつつ、心象風景はかなりぶっ飛んでいます。そこに関しては、監督のこんな解説もあります。

謎解きをしっかり検証できるように、日常風景の描写はアニメ的な遊びを一切入れずに理詰めで“リアリティ”を追求しています。ただ、そればかりだと絵に動きがなさすぎて少し味気ないので、各キャラクターの心象風景を描くシーンを多めに入れるようにしています。(中略)『氷菓』で追求しているのは“リアリティ”であって、決して“リアル”ではありません。お芝居における“自然な演技”(=リアリティ)が、“役者の素”(=リアル)ではないのと同じですね。

武本康弘監督に聞く映像作りのポイント、雑誌名不明

『氷菓』は折木奉太郎の主観でストーリーが進むことが多いので、彼が考えていること、悩んでいる心象風景が頻繁に見受けられます。だからこそ、この作品はミステリーであり、折木奉太郎の成長ストーリーでもあるのです。

劇中に登場する心象風景例
第1話、4話、11話、15話より

そして最後に、実写映画のようなカメラワークや編集を演出に取り入れることによって、監督が言う“リアリティ”を強調させる役割を持っています。時間の進み具合を視覚的に表現するために、例えばYouTuberのような固定カメラ+カッティング技術を使用したり、人物の切り替え時にピントを送ったり、動揺を表現するのにカメラの手ブレを取り入れるなど、アニメという虚構に、我々が普段目にする実写映画的な表現を取り込むことに成功しています。

背景も動かし、スタビライザーを使ったカメラのような、奥行きのある映像
第1話「 伝統ある古典部の再生」より

こういった技術は『けいおん!』の頃から山田尚子監督が使用をはじめ、『たまこまーけっと』や映画『聲の形』でより進化している気がします。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でお馴染みの石立太一さんが演出として本作に関わっていることも影響しているかもしれません。

③「文学」のようなセリフと音楽

漫画やラノベとは違い、推理小説を原作としているため、セリフ回しがかなり独特です。米澤穂信先生の独特な言葉を、文章ではなく、声優・中村悠一さんたちがごく自然に音として発すると本当に美しく響きます。


現実世界ではあまり聞かない言い回しや表現が使われているので、観ている側もまるで小説を読んでいるかのような感覚に陥ります。

全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典となるのだろう。

劇中の文集「氷菓」第二号の序文/その締めくくり

張本人にとっては忘れがたい出来事でも、他の人々にとってはただの過去でしかない。時と共に忘れられることの寂しさを感じさせる名言です。

こういった文学的かつ詩的な言葉が多用され、『氷菓』をより一層、深みのある文芸へと昇華させているのです。遠回しになぜ『氷菓』の舞台が“古典部”なのかを関節的に伝える役割も持っています。

他には、個々のキャラクターの性格や役割を一文で表すことも。

いくら成績が良くても、それはパーツの集合体にすぎません。私はそういうパーツでななく、思考を生み出すシステムが知りたいんです。

千反田える、第2話「名誉ある古典部の活動」より

千反田えるは成績優秀ですが、テスト等で測られる知識ではなく、自ら考え新たな思想や思考を生む知性そのものに興味があるという事を意識していることが伺えます。

このように、時折投げ掛けられる、哲学に片足を突っ込んだような言葉は、千反田えるという人物の真面目さと考え方を視聴者に伝達します。

また、トリックスター的な立場である福部里志は雑学に長け、現代史から推理小説まで広範な知識を持つことから、文学的な言い回しを多用します。

「データベースは結論を出せない」
「ジョークは即興に限る、禍根を残せば嘘になる」

福部里志、第1話「名誉ある古典部の活動」より

これらは序盤から彼が口にする持論でありモットーなのですが、この文だけで、折木奉太郎の推理を幅広い知識でもって助けるという里志の立ち位置を端的に表していると共に、推理という面では折木という人物に勝てないという、ある種の諦めのような感情が汲み取る事が出来ます。



言葉の真意を自ら説明しない所も、氷菓の素晴らしい魅力であると言えるでしょう。



こういった米澤穂信先生の詩的な言い回し、洒落た言葉遊びに合致するように、『氷菓』では美しいクラシック音楽が多く使われています。

特に顕著なのは、フォーレ「シシリエンヌ」、バッハ「G線上のアリア」「無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 前奏曲」、ベートーヴェン「月光第1楽章・第3楽章」など。

そして音楽担当はアニメ音楽界の巨匠、田中公平氏が担当。クラシック以外の曲にも、バイオリン・チェロ・フルート・ファゴット・ピアノなどを使用し、独特で儚い雰囲気を作り出すことに成功しています。

④共感できる、高校生ならではのテーマ

青春は、やさしいだけじゃない。
痛い、だけでもない。
ほろ苦い青春群像劇。

キャッチコピー。公式サイトより抜粋

『氷菓』という話は、折木奉太郎という省エネ主義の人間が、本来灰色の高校生活を送る予定だったにも関わらず、千反田えるとの出会いによって薔薇色の生活に変えられていく話です。


ただ、薔薇色は決して楽しいわけではなく、残酷であったりもする。そういった灰色と薔薇色の比較と対比をしっかりと描くことで、「青春(=人生)」という言葉の複雑さと素晴らしさを訴求する、一種の哲学なのです。

薔薇色と灰色の対比
第6話「大罪を犯す」より

折木奉太郎は薔薇色になることを拒みます。何度も自分と古典部メンバーと壁を作り、比較をします。しかし、彼には推理という“才能”があり、古典部メンバー含め、学校内外の様々な人たち認められていきます。そのことで彼は徐々に薔薇色の人生を受け入れつつ、自身のポジションを見出し、周りの人たちに推理力で貢献をしていきます。

一方で、福部里志のような「薔薇色の人生」を謳歌することに努めていた自称シャーロキアンは、折木奉太郎の活躍をみて、その羨望からくる鬱屈した感情を見せるようになります。自分の才能の無さを自覚し、劣等感となり、勝つことに拘らなくなった諦めへと繋がっていきます。

物語が文化祭を中心に進むにつれて、そういった主要人物たちの薔薇色と灰色の価値観に変化が起きる一方で、他の生徒たちは青春を謳歌しています(ように見える)。

第14話「ワイルド・ファイア」より



自分の【役割と責任】を理解していなく、自分はまだ“無色”で何にでもなれると思っている高校生/思春期だからこそ描くことができる、少年少女たちの「ほろ苦い青春群像劇」。学校での日常生活や謎解きを経て、彼らは自分たちの理想と現実と才能の違いを理解していき、受け入れていきます。




作画だけの作品じゃない、本当に奥の深いアニメです。

そして最後は“桜色”に
最終話「遠まわりする雛」より

最後に

とにかく魅力の多い隠れた名作である『氷菓』。決して万人向けではありませんが、キャラクターの描写に関しては群を抜いて面白いです。この作品だけは、放送中に22話で終わらず、もっと観たいと思いながら最終回を鑑賞しました。

ただ、悲しいことにこの作品の続編は作れそうにありません。本作の監督である武本康弘監督は2019年の放火事件で死去。多数の『氷菓』スタッフが犠牲になられたと聞いております。その時の私個人の心境もnoteに綴りました。

原作者の米澤穂信先生も、事件後は京都アニメーションへ寄付をするなど、できる限りのアクションをされていました。

武本康弘監督に関してはその後NHKでも特集が組まれ、番組内では『氷菓』も紹介されていました。

今回は10年ということで、この長文のnoteを書きましたが、改めて本作を多くの人に知ってもらい、観てもらいと思います。そして20年、30年、そして100年後も語り継がれる“古典”として、この作品が継承されることを切に願います。

余談ですが、折木奉太郎は『名探偵コナン』83巻の巻末にも掲載されております。


当noteに掲載した『氷菓』の画像は、著作権法32条に定める比較研究を目的としての引用であり、当該画像の著作権は全て、米澤穂信角川書店/神山高校古典部OB会に帰属します。

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