コンフロント〜対決〜 小説「カラーズ」7 (全17話)


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「あなたのような人に来てほしくありません!!」
17時を過ぎて暗くなってきた金曜の夕方、杖をつく音と肩掛けカバンのキーホルダーの鈴が独特のリズムでシャンシャンと聞こえ、宮地さんがいつものように自動ドアから入ってきたとき、私は顔を見るやいなや反射的に立ち上がってはっきりと大きな声で言った。

ギョッとこちらを向く室長、顔も身体も半分だけ入りかけ怯える宮地さん、自動ドアが閉まろうとする音だけが規則的に聞こえる。

 月曜日から悶々としていた。あの日もいつものように作業所帰りに相談室に寄りソファに腰掛けひと休みし、土屋に杖の調整を頼んでいた。
にやにやと私を振り返りながら帰って行った理由がわかったのは、トイレに入った後だった。フタと共に上げっぱなしの便座、床は尿でびちゃびちゃに濡れていたのだ。うっかり汚したというレベルではなく故意なのは明らかだった。粗相の範囲は幅広く、壁にまでかかり床に水たまりができていた。犯人は帰り際トイレを使った宮地さんで間違いなかった。

わざとだ……。
幼い頃に高熱を出した影響で半身に麻痺が残り動かしづらく言葉も不明瞭だが、生活全般は自立している。あの表情、相談室で一番若い私を馬鹿にしているのだ。

 初めて顔を合わせてからしばらくして、顔を見るたびにやにやと笑うのは気づいていた。何か言うわけでもないからこちらも黙っていた。

あれ?と思ったのは、一度グループホームから宮地さんがまだ帰らないと電話が来たときだ。相談室が閉まる18時ギリギリまでいてゆっくりしていた。

「宮地です」

ここにいますよ、代わりますねと彼に受話器を渡すと、はっきりと話しているのを聞いたのだ。いつも曖昧な発音で話すのしか知らなかったから、まるで別人のようだった。

本当は色々できる人なのかもしれない……。

しかし、室長の立花さんは宮地さんをマスコットのようにかわいがっていた。いい歳した大の大人なのにまるで子ども扱いするのは対等ではないように見えた。

辞めていった今井さんももともと看護師で世話好きだったから、トイレのとき彼のズボンの上げおろしまでしていたのだ。ほんとうは自分でできるのに!

 あとからグループホームの職員に話を聞くと、彼は新しい職員が入るたび同じようにトイレを汚し、どんな反応をするか試しているんだという。いわば洗礼みたいなものだったのかもしれない。

 障害者は皆おとなしく、やさしくいい人という単純な思い込み。人間だから様々だ。
 宮地さんは「すみませんでした」と謝り、それからトイレをわざと汚すことはなくなった。
私も、あのときは大きな声を出してごめんなさいと後日謝った。

「かわいそうな人」とどこかで思っていた。助けてあげなければならないと。
しかし彼らは多くの場合、自立している。
同情は不要なのだ。
どこかで自分をかわいそうな人だと思い、彼らよりはまだいい、助けることで私には力があると思いたいから?優位な立場でいたい……そんなエゴが見えてつくづく自分に嫌気がさした。

 面談や電話相談を終えて「ありがとうございました」と言われるたび、少しずつ、自分がしてやってるという傲慢さが気づかないうちに芽を出していなかったか。ある朝のミーティングで室長が指摘した。

ミーティングではその日のそれぞれの予定を伝え合う。ある日、私は作業所に一人の利用者さんと出向く予定だった。それで「〇〇さんを連れて行きます」と言ったのだ。室長の立花さんはパッと上半身ごと反応して私を見た。
「ちょっと待って。今の言い方……どうなんですか。連れて行きますって何?そうじゃないでしょ、『同行させていただきます』でしょ。」

はっとした。自分は相手と対等のつもりだった。助ける人助けられる人という関係は絶対に嫌だったのに。

夢追い人でどうしようもなくいい加減なところがあった立花さんだけど、あのとき力のある静かな声で注意してくれたことに今でも感謝している。


 一度、休みの日に偶然電車で宮地さんと出くわしたことがある。
その日は土曜日で作業所の仕事は午前で終わり、宮地さんは帰る途中だった。今度の休みは親戚と横浜にラーメンを食べに行くのだととてもうれしそうに話してくれた。
親は亡くなり、身寄りはその親戚しかいない。作業所とグループホームの往復。食事、お小遣いもすべて管理された生活。健康的かもしれないが自由はあまりないのだ。

これからも幸せな時間が彼にたくさん訪れますように。
そう祈りながら、杖をついてホームを歩く彼の足音とリズムを見送った。



8へつづく↓


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