アトリエ 小説「カラーズ」5 (全17話)


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 近くに高速道路が走っていなければとても東京とは思えない、田畑の残る静かな住宅地にその作業所はあった。
高速道路の高架を越えると23区から出るせいか急に懐かしいような街並みになる。狭い車道、二階が住居の小さな商店、郵便ポスト、地域の掲示板。左手には神社があり、こんもりとした木々の葉の濃い緑色が見える。まんなかの道の先にはバス停が見え、こんな狭い道でもバス通りなのだとわかる。 

三叉路の右の通りをしばらく進むと住宅しかない。家々の間隔が適度に開き、田舎のようなのどかさが増す。家族全員の名前が書かれた昔のタイプの表札の家が多い。 

古い二階建てアパートが活動場所で、ドアを開けると小さな玄関には靴がぎっしりと並び、足を踏み入れて脱ぐ場所もなく、仕方なくドアの前で靴を脱ぎ誰かのスニーカーを踏んで部屋に入った。自分の靴は外に置いたまま。 

意外に広い部屋はそれもそのはず、となりの部屋との境目の壁を取っ払って二部屋を一部屋にし、なんと大きな台所を作っていた。小さなアパートの部屋には不釣り合いな、というか絶対にあるはずもない、レストランの厨房にある大きな調理台が部屋のまん中にどかんと置かれ、よく磨き込まれピカピカ光っていた。シンクも広く改装されていた。 

そこで皆で料理をしたり、小さな庭で野菜を育ててたりしているのだ。私が訪ねるときは大抵庭に置かれた丸椅子に座り、タバコを吸う人が必ずいた。庭は駐輪場のすぐ横だからまずはじめに挨拶する人はそこの人だ。

「たくさんりんごをいただいたから何かみんなで作ろうと思って。焼きリンゴって芯くり抜くの大変かしら?専用のがないと」
スタッフの一人が笑顔で話しかけてきた。

「私いつもスプーンでやってますよ。簡単でおいしくていいですよね。砂糖とバター、シナモンを混ぜたのを詰めて。砂糖水を時々かけてオーブンで焼くだけ。あ、最初にリンゴにフォークで穴開けて」私は答えた。

「あ、ちょっと待って、メモるメモる……。りんごに穴開けて……」
その辺の裏紙にレシピを書くスタッフ。

「熱々のりんごにホイップクリームを添えてもおいしいですよ。」

ベランダから入る風、水を流す音、やかんの湯気、りんごの香り……。
日差しのたっぷりと入るあたたかな雰囲気のなかで、スタッフや利用者がゆったりと静かに動く。

ここは障害者のための支援施設だ。みんなはアトリエと呼んでいた。
一階の別の部屋には絵を描いたり、羊毛フェルトで作品を作る場所もあるからだ。


 巨大なキッチンの明るい雰囲気とはちがい、その部屋はうすいカーテンをして直射日光が入らないようにしている。少し薄暗い。玄関には利用者が書いた絵やフェルトの小人たちなどの作品が飾られている。室内にはいくつかテーブルと椅子があり、好きな場所で創作することができる。皆、しゃべることはなく黙々と作業する。静かなピアノの音楽が、今は懐かしいCDプレーヤーから流れている。

作品はポストカードにして販売したり、展示会に出したりすることもあるが、自分のために創りたいものを創る。

皆で料理をしたり、絵を描いたり、好きに過ごす。したいこと、興味のあることを無理せずやってみる。

 作業所は様々な形態がある。相談室の近くの大きな道路沿いにも作業所はあるが、このアトリエとは全く違う雰囲気だ。
 車がひっきりなしに通る道沿いの五階建てのビルの一室。ドアを開けると広いフロアになっていて、蛍光灯のもとに作業台の机が並ぶ。よく会議室に置いてある長机。
主な活動は役所から請け負う封入作業や、お菓子を入れる箱の組み立てだ。アクセサリーの個包装の仕事なども時々入る。作業にあたる人たちは自分たちの体調に合わせて無理なく行う。朝のミーティング、活動、休憩、活動、解散と時間でしっかりと区切られている。

自分に合った場所を見つけ、無理のないペースで通う。


「おはようございます。相談室ぽえむの佐倉です。後藤さん、面談二時間前です。よろしくお願いします。」

役所の担当者を交えた大事な面談に何度か時間通りに来られないことが続き、講じた策だった。

目の前のことに気を取られてしまうため身支度ができず、やっとのことで玄関を出ても、鍵をかけたか何度も確認するためドアから離れられない……。
年齢はまだ若く、知的には問題がないのだが就労に困難があり、親とは絶縁状態で一人暮らし。ほとんど引きこもり状態だった。人とのつながりを取り戻すため相談室に来るようになった。

面談の二時間前、一時間前、30分前に電話をかける。すると、後藤さんは多少遅れてもほぼ時間通りに来られるようになった。

しばらく風呂に入ってないようで服や身体、髪から湿気とカビと体臭の混ざった妙なにおいがしていた。タンスの奥から服を引っ張り出して虫干ししてないセーターをそのまますぐ着たような。髪はベタつきフケがつき、セーターは毛玉だらけだった。
そして、いつもなぜか大量の荷物を持っていた。好きな男性アイドルについて一時間ほぼぶっ通しで語る。番組を観ること、ライブに行くことがどんなに幸せか……。

そんな彼女とアトリエの見学のため今日は来ていた。

ひととおり見させてもらい説明を受けたが、ここでの活動にはあまり興味がないようだった。

 アトリエ奥の応接室でソファに座り、うつむいたままの彼女を見て、施設長の小田さんは微笑んだ。初老の女性でエンジ色のベレー帽をかぶり、ざっくりした黒っぽいニット、ロングスカート。様々な生きづらさを抱えた人たちを見守り関わってきたのが、やわらかな眼差しや表情、声からにじみ出ていた。

「あなたごはんはどうしてるの?」小田さんが訊ねた。

「時々、業務スーパーに行ってお肉とか買いだめして冷凍したものを料理に使ってます。野菜は近くの八百屋で安く買えるので」後藤さんは答えた。

「すごい、自炊してるのいいと思うわ。食事がおろそかになると何ごとも、気力もなくなってくるのよね。私たち、一日のうち一食はここでみんなで手作りのあったかいもの一緒に食べようって大事にしてるんです。食事は大事ですよ。最初は顔色悪くて元気なかった人も、だんだん生き生きしてくる。目に輝きが戻ってくるの。」


 結局、後藤さんがアトリエに行ったのは一度きりだった。通うのは気がすすまないということだった。それでも、見に行けただけでも大きなことだ。大抵は見学までたどりつかないケースが多い。

帰り道、相談室へ寄り次回の面談の予約をして行った。
別れるとき、困ったような迷ってるような心細いような、少女のような表情を見せた。やたらと大きな荷物を持ち、小さな彼女は街に消えた。


6へつづく↓



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