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note初投稿・自己紹介

こんにちは。育恵です。

今日は初めてのnoteへの投稿です。

まずは1投稿目は自己紹介を簡単に。

1983年生まれ 大阪府出身・東京在住。

女の子二人のママ アクセサリー作家・おうちワーカー。

三人姉妹の末っ子として生まれ、何不自由なくすくすくと育ちました。

大学卒業後は、大手証券会社に入社。

営業として働き、持ち前の負けん気の強さと周りの人に恵まれ

営業成績もトップクラス(自分で言うのもなんですが…)。

優績者研修で、ニューヨークやボストン、東京の高級ホテルでのパーティー

老舗温泉旅館でご褒美旅行など、自分自身では経験しえないような

ことを沢山経験させて頂きました。感謝です。

ただ、やはり数字を追うばかりの証券営業の日々に次第に心は疲弊。

来る日も来る日も、収益を上げるためにお客様を回り電話をし

数字をあげる生活に疑問を感じ始めていました。

そんなある日、東日本大震災が起きました。

2011年3月11日14時46分

忘れもしません。関西の支社でその日も営業電話をしお客様から無事注文を頂くところでした。

が、そのタイミングで東日本大震災が発生し

こちらから関東本社へ発注業務ができないことに。

テレビをつければ津波が街を吞み込む映像が流れ

その場で足が震えて、テレビの前で何も出来ず

立ちすくむことしかできない自分が

情けなかったり悲しかったり言葉では説明できない気持ちになりました。

こんなに命は突然奪われる。1秒先はどうなっているかわからない。

人の人生はそういう事なんだ。と本能的な部分で震えるように感じました。

であれば、自分はどう生きたい?今の生き方をしていて後悔はない?

自分の意識とはまた別のところで

そういうやり取りがされた感覚がありました。

その年の5月にそれまで4年半交際していた夫と入籍し

その年の10月に夫の転勤に伴い退社。

誰も知り合いのいない東京の小さな街で

暮らし始め、2012年には長女を出産、2015年には二女を出産。

共働きが常識といわれる時代に専業主婦になり

罪悪感(あるあるですね)を抱きながらも優しい夫と可愛い娘たちと

幸せな日々を過ごし数年がたちました。

そんな暮らしの中で、幸運なことに

希望の保育園に空きが出て二女を入れることができ

私はパートに出ることに。

平日3日ほどで10時から14時のパートは激戦区で

居酒屋さんのランチパートへ出たものの

そこで働いていた他のパートの女性が

ディズニーの悪役で出てきそうなくらい典型的な意地悪な人で

最初の居酒屋パートは1か月で即やめ。

次は給食補助のパートへ。

給食室の方々は、皆さん優しく気分良く仕事ができましたが

ここでは、園の経営者のやり方に恐怖と落胆を覚えるような

出来事が頻発。

こんな事なら「人に雇われない働き方にチャレンジしよう」と

いう考えに着地。

明日死ぬかもしれないし、100年生きるかもしれない

そうであるなら、自分の好きな事を発信し

嗜好の合う仲間とつながりあい、得意を生かしあいながら

収入も得られたら最高だ、という想いでアクセサリー作家に転身

今ここに至ります。

間、いろいろな事があったことは今回端折りましたが

それについては今後じっくり書いていきたいと思います。

以上、簡単な自己紹介でした。

私は娘が二人居るので

女の子たちが将来、自分の気持ちに嘘をついて苦しみながら仕事をするのではなく

豊かに楽しくハッピーに生きていける未来になってほしくて

毎日、面白い人生をクリエイトできる実験をしながらここに記録していきたいと思います。

最後まで読んでくださった方がいたら

ありがとうございます♡♡♡





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