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育児苦手母の挑戦〜自然と母親になれると思っていた〜

長男、9歳。母親歴、9年。
26歳の時に妊娠、27歳で出産。
私の20代後半、30代は子供と共にあった。

0歳、夜泣きのひどい子供だった。
信じられないくらい寝られず、1ヶ月ごとに「◯ヶ月 夜泣き いつまで」と授乳をしながら調べていた。
ネントレ、夜間断乳。なつかしい、尊い響き。

決して楽ではなかったけど、この時はまだ育児が苦手だなんて、思ってもいなかった。

2歳。魔のイヤイヤ期。
聞いてはいたものの、それはそれはすごかった。
帰りの道が違うとのたうち回って泣く。
この時にヒントがあった。
彼の言うことを聞く。遠回りでも、合わせてあげる。理不尽を聞く、これが大切なのだ。

しかし私は、この時の教訓を最近まですっかりと忘れていたのだ。
そこから7年。
またやってきた、イヤイヤ期。
否、ずっと続いていたのかもしれない。波があるだけで。
そして9歳のイヤイヤ期は、癇癪を起こし、のたうちまわり、語彙力が増し、パワーアップ甚だしい。
こちらのHP、MPをガリガリと削り取る。死にたい、などのパワーワードでこちら側が瀕死になる。

これに対抗すべく、ノートを始めた私は自分の行動や長男の行動を言語化していき気付いたことがある。

私は9年間、私と言う人間を子供が勝手に母にしてくれるものだと思っていたのだ。
確かに、お世話はしているが、それは誰にだって出来る。
母になるには、自分のハードルを下げ、子供の生活に、なるべく希望に沿ってあげる事が必要なんだと。
あの、2歳のイヤイヤ期はそのためにあるのかもしれない。
多くの人はそこできっと、子供の理不尽さに気づきどうにかしようと踠き、改善索を発案するのである。

私にはそれが足りなかったのだ。

部屋は寝る前までに綺麗にしたい。
やらなきゃいけない事は絶対にやってほしい。

そんなようなことを常に考え、そして私1人がそれに向かう事がイヤで嫌で仕方なかった。

そして私は、子供と暮らす一人間としてそれを主張していた。

ノートを見直して、その主張が、今子供達にはとても難しいことなのだと見えてきた。

そこで、母親として許容していかなくてはならない作業が発生する。
それこそが、母になるための種なのかもしれない。
その種を2歳のイヤイヤ期、または、もっと前から大切に育てられる人と、気付かずに放置してしまう人。

母親の適性、とでも言うのだろうか。
色々なタイプの人間がいて、母に向いている人、向いていない人、それがこの違いなのではないだろうか。

私は今、母にならなくてはいけない。
これは、自然派性ではなく、鍛錬である。

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