正義の押し付けの行き着く先

日常生活でも今回の軍事侵攻においても、

正義の味方!とか、あなたの意見は正しい!あなたは誤ってる!とか、どちらが善悪なのか決めたがるもんだけど、そもそも正義って何なんだろうか?

正義をWikiから引用すると、
【倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさに関する概念である。】

とある。じゃあ正しいってなんぞ?

webioから引用すると、
【道理にかなっている。事実に合っている。正確である。】

とある。その道理とか事実とか正確さを明確に定義するものはなくて、それを決めるのは人間でケースバイケースなんですよね。

それでいて、誰にとっての正義なのか視点を変えることによって、どちらが正義なのか180度変わる。だから言い争いが起き、喧嘩が起きる。スケールが大きくなると国同士の争いとなり、やがて戦争が起きる。

ちなみに正義というと真っ先に思い浮かぶのがハーバードのマイケル・サンデル教授の正義の授業です。書籍はとてもおもしろいのでオススメです。

正義を語る上でよく例に出されるのが、トロッコ問題です。


ちょっと想像しながら読んでみてください。



あなたは線路上を走るトロッコを一人で運転しています。線路は急に下り坂となり猛烈にスピードを上げていきます。そこで何とブレーキが壊れ制御不能となってしまいました。どうしようもないまま、あたふたしてると目の前に線路を工事してる5人が見える。このままでは5人を轢いてしまう!でも幸い、目先に分岐器があり、右に方向を切り替えられる。しかし右に方向を切り替えるとすぐ先に1名が線路工事してる。あなたの選択は2つ。



5人を轢くか、1人を轢くか



どちらを選びますか?他に選択肢はないものとします。またどちらを選択するのが正しいと思いますか?


やむを得ず、1人を轢くと答える方が多いかもしれませんね。何故1人を轢くことを選択したのでしょうか?被害が少ないからですか?


では少し問題を変えましょう。トロッコは同じ。目の前にいるのは、



5人の赤の他人と、1人の実の母親。



どちらを選びますか?またどちらを選択するのが正しいと思いますか?


これだと意見が変わる人もいるんじゃないでしょうか?

もしもあなたが5人の赤の他人を轢くことを選択した場合、あなたにとっては5人を轢くことが正しい、あるいはやむを得ないと思ったのでしょう、では世間にとってはどちらを轢くことが正しいのだろうか?どちらを轢くべきでしょうか?


1人と5人だと少しイメージしづらいかもしれないですね。1人の肉親と1,000人の赤の他人だと世間では、あるいは国単位ではどちらを轢くべきだろうか。

あなたにとっての正義と相手にとっての正義、あるいは世間にとっての正義は違うものです。

ここまで拡げると、考えさせられると思います。
そこに誰にとっても明確な答えや正しさはありますか?

今回はトロッコで例えたけれど、小さな問題も含めると社会はこんな問題ばかり。寧ろ何重にも問題が絡み、複雑化された問いがざらです。正解なんてないですよね。

大衆が納得できる正義をつくるために、認知線が繰り広げられている今日この頃。戦争はお互いの正義の延長線上にあるものだと思って引きこもっている夜でした。


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