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久しぶりの投稿

任地146日目。月曜日。

今日は旅先から昨日州都に到着し、朝同僚の家から出勤。

久しぶりの投稿。10日くらい空いちゃいましたね。

もちろん旅をしていたというのもあるのだけれど、それに加えてプライベートで少し対応が必要なことがでてきて少しバタバタしていた。

プライベートといっても日本で起こっていることなのだが。。

まだまだ解決していないし、突然始まったことに見せかけて少し、いやかなり前から対応が必要だったのかもしれないとも思うし。

これから時間をかけて解決していかないといけないものなのかもしれないけれど、それに自分がどの程度関わるのかも不明。

当事者であり当事者でない。

そして今書いている件はひとつではなく、いくつかの案件が同じようにこんがらがっている。

直接会いたくてもそれはできないし、直接電話したくても、時差があって難しい。

自分があくまでペルーという遠い大地に住む住民だということを思い知らされる。

問題と思わなければ別に問題ではない。目を背けることもできる。しかし状況が悪化してしまったりこじれてしまう可能性も否めない。

こうやって考えていると、ペルーにいる間は平和に感じる。日本の方がよっぽど世知辛い。

でもそう思ってペルーの同僚に、今日本の友人や家族が大変なんだよね。少し関係が好ましくない。、。というと、

ああ、よくある話よ。ペルーだっていつも人間関係は問題ありだし。

とのこと。まあそうなのかもしれない。

おかげでペルーにいる友人や家族より、日本の友人や家族と連絡を取ったり会話する時間が最近はとても多い。

みんな相談して来てくれるのはうれしいけど、すぐ対応できなかったり時差の都合で結局相手に迷惑をかけてしまったりするのは申し訳ない。


ペルーにいると、みんなもっと視野広く持てばいいのにっておこがましいけれど思う。こっちの世界は生と死が、近い。

生きていれば丸儲け。生きているだけで素晴らしい。

だからちょっと許せないこととか、ちょっと不満にあることとか、むかつくこととか、悲しいこととか、たぶん人生が終わってしまうことに比べれば大体大したことない。

小さいことを気にするばっかりに、素直になれないばっかりに、

知らない間にいろんな信頼や友情や関係が失われてしまっていく気がする。それは本当にもったいないことだ。

私が人にそうやって語り掛けられる立場でも身分でも、そんな強さもないことは承知の上で、でも目の前にいる相手をほぐしてあげたいという気持ちがこういう言葉を紡ぎだす。

余裕のなさは時として人の判断を鈍らせる。

そんなこと本人だって望んでいない方向に話を進める。

それは誰にとっても悲しい結末だし、誰も喜ばない。


間違いを犯してしまったとき、

人に不満を持ったとき、

素直になれないとき、

少しでいいから深呼吸をして、楽しかった過去の思い出を思い出して、仲の良かったあの時の関係を認めて、修復可能なら、今からでもきっと間に合うよ。

そうやって、誰かが悩んでいたら声を掛けたいし、いつか自分が余裕なくなったら思い出したい。


人と人との関係は移り変わっていく。良くもなるし悪くもなる。

だから今ある関係を大事にするのは大前提にあり、

悪くなってしまったけれど元に戻りたいなら、自分が大人になる必要があるんだと思う。

そんなことを、ペルーの田舎から日本の社会に向けて思う。


「ごめんなさい」と「ありがとう」

この2つの言葉、いくつ歳をとったとしても言える自分でいたい。

この言葉で救われる人や救われる関係があると思うので。


久しぶりのnoteこんな内容になると思っていませんでした。

任地での日々は少し日本を気に掛けながらになるけれど、楽しく過ごしていこうと思います。

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