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意味を求めないと、気が楽になる

れんこんnote 025

意味を求める営み

 仕事や教育は、意味を求める営みです。
 生きるためにお金を稼ぐ仕事では、意味や価値があるからお金を稼ぐことができます。
 教育も、お金を稼ぐ力をつけるためだったり、人として成長するためだったりしますから、意味や価値を求める営みだと言って良いでしょう。

 私自身も夢中で意味を求めてきました。
 意味をより多く、より深く求めたくて、ルーティン業務はできるだけ効率化し、課題解決や価値創造に力を入れてきました。
 ルーティン業務も大切なのですが、それよりも教材づくりや指導法の研究の方が面白くて、ルーティン業務はできるだけ短時間で済ませるようにしていました。

 様々な執筆活動を続けてきましたが、それらも意味を求める営みと言えます。
 この「れんこんnote」も意味を求める営みであることは確かです。

 言葉は、意味そのものです。
 「意味はない」という言葉さえ「意味はない」という意味を表現しています。
 言葉を綴れば、それらは全て意味となります。

 意味を求めることは、素晴らしいことです。
 文明の進歩も、人々の暮らしの豊かさも、意味を求める営みから生まれました。先人たちが意味を求め続けてきてくれたからこそ、私たちは今、こうして豊かで快適な生活を送ることができているのです。

意味を求めない営み

 しかし、意味を求めないでいると、私は気が楽になり、心安らかになります。

 沈む夕日を、何も考えずにずっと眺める。
 小鳥の鳴き声に、耳をすまして聴き入る。
 アロマの香りを嗅いで、ゆったりとくつろぐ。
 妻と一緒に食事を作り、ワインを飲みながら味わう。
 ときには人ごみの中を、ときには自然の中を、ひたすら歩く。

 掃除機かけや落ち葉拾い、料理や片づけ、洗濯物干しと洗濯物たたみ、風呂掃除、ベッドメイキングなど、日々の営みを黙って坦々と行っていると、気持ちが落ち着きます。

 料理や掃除などは、無理に上手になろうとはしないで、自然と成長するに任せます。
 語り合う会話も大事ですが、「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」「お休みなさい」などの日常のさり気ないやり取りに、精一杯、心を込めようと思います。

 意味を求めないことで味わえる世界があると思っています。
 そして、それらを存分に味わいたいと思うようになってきました。

 ところで、意味を求めない学校教育というものはあるのでしょうか。
 黙って寄り添うだけ、ただ居るだけで何もしなくても良い場所と時間があってもよいと思います。
 生きているだけ、同じ場所と時間を共にするだけで、意味を求めない。だから、回復したら意味を求める世界へ戻らなくてはならない、という決まりのない学校があっても良いような気がしています。

意味を求める世界と意味を求めない世界

 意味を求める世界と意味を求めない世界とがあると考えています。
 どちらが主でも従でもありません。
 そんな意味の有無を超えた世界を私たちは生きている気がしています。

 両方の世界を行き来しながら私たちは生きていますが、私は後者の世界に惹かれるようになりました。歳を取ったということなのでしょうか。

追伸

 意味を求める世界というのは、心や意識が作る世界のような気がしています。
 意味を求めない世界というのは、体が生み出す世界のような気がしています。

 心や意識から離れ、体に寄り添ってみたら、不思議と心が安らかになりました。

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