ピンチをチャンスにするのは、容易である
れんこんnote 015
人はなぜ、ピンチをチャンスにできないか
「ピンチはチャンス」という言葉は、耳にタコができるほど聞いています。
でも、ピンチをチャンスにできない人が多いような気がします。どうしてでしょうか。
「ピンチはチャンス」の意味
初めに「ピンチはチャンス」の意味を確認しておきましょう。
一般に「ピンチはチャンス」は「窮地は物事を改める好機」と解されています。
数学的に言うと、ピンチはチャンスの部分集合ということ、つまり、ピンチはチャンスの一種であるということです。
野球などのスポーツでは、ピンチをしのぐとチャンスが来る、と言われています。
ピンチはピンチで、チャンスはチャンスで、別物なのだけれど、ピンチをチャンスに変えることができる、というように一般には考えられているのではないでしょうか。
ここに、ピンチをチャンスにできない人が多い原因があるのではないかと、私は勘ぐってみました。
ピンチ=チャンス
逆に、「チャンスはピンチ」という命題を考えてみましょう。
数学的に言うと、チャンスはピンチの部分集合ということ、つまり、チャンスはピンチの一種ということです。
野球などのスポーツでは、チャンスをものにしないとピンチになる、と言われています。
「チャンスはピンチ」は「好機を逃すと窮地に陥る」と解すことができます。
「チャンスはピンチ」という命題も真かもしれません。
「ピンチはチャンス」かつ「チャンスはピンチ」であるならば、数学的には「ピンチ=チャンス」です。
ピンチとチャンスは別物ではなく、表裏一体なのです。
このことに気づいていない人が多いので、ピンチをチャンスにできない人が多いのではないかと、私はにらんでいます。
ピンチをチャンスにできない理由
ピンチ=チャンスですから、ピンチの否定はチャンスではありません。
ピンチの否定は、チャンスの否定でもあり、ピンチでもチャンスでもない状態です。
このことを踏まえた上で、ピンチをチャンスにできない理由を考えていきましょう。
理由の1つは、鈍感でピンチをピンチと思っていないことです。鈍感なので、チャンスをチャンスとも思っていません。
ピンチと思っていないのですから、ピンチを活かそうとするわけがありません。
ピンチをどう思っているかというと、「失敗した」「運が悪い」などと思っていて、窮地にあると思うまでに至っていないのです。
理由のもう1つは、失敗して凹んでいたり、運が悪いと嘆いていたりすることに夢中になっていることです。失敗して凹んだふりをするのに夢中になる人もいます。
ピンチから脱することに目が向かないのですから、ピンチを活かせるはずはありません。
こうしたことが起こる原因が、「ピンチ=チャンス」を理解していないことにある、と私は考えています。
ピンチの否定は、ピンチでもチャンスでもない状態ですから、ピンチでもチャンスでもない状態でなくなったら、すべてピンチです。チャンスもピンチです。
そう理解できていれば、失敗したらピンチでもチャンスでもない状態ではなくなったのですから、ピンチです。運が悪いと思ったら、ピンチです。
何も変わらない退屈な日常が少しでも刺激的になったとしたら、それはピンチが訪れたことを意味します。
「ピンチ=チャンス」を理解していれば、まったりとして何も変わらない日常が少しでも変化したらピンチと認識することができるはずです。
ピンチの多くは自分が失敗や過ちを犯したときにやってくる
厄介なのは、ピンチの多くが自分が失敗や過ちを犯したときやってくることです。
失敗や過ちを犯したとき、凹んだり、落ち込んだりするのは仕方のないことです。しかも、自分が失敗したのに周りの人たちに「ピンチはチャンスだ」と言い出すのは、かなり勇気の要ることです。
でも、いつまでも立ち上がらないままでいるのは甘えですから、さっさと立ち上がり、ピンチだからできることに挑戦することにしています。
ところで、ピンチをチャンスにするのは難しいように思えますが、実は、容易です。
ピンチのときは、やるべきことをさっさとやればよい
ピンチのときには、タイミングの判断は要りません。今すぐ対応するしかありませんから。
ピンチのときには、選択の判断も要りません。判断で迷うようなら、どれを選んでも良いのですから。
もっとも、ピンチのときには選択できるほど恵まれた状況にはありません。打開策が全くないと思えることの方が多いでしょう。
ピンチのとき、打開策があるなら、さっさと打開策に取り組めば良いでしょう。
ピンチのとき、打開策がないなら、目の前のやるべきことに全力で取り組みながら、耐えるしかありません。
ピンチがどんどん悪化しても、打開策がないのですから、無駄にあがくと状況はより悪化するばかりです。
目の前のやるべきことに全力を尽くすことが、最良の方法なのです。
どんなピンチにも、そのピンチなりに底があります。底まで来れば、ピンチがチャンスにひっくり返ります。
目の前のやるべきことに全力で取り組んでいると、たいてい、どん底まで落ちる前に、ピンチはチャンスにひっくり返ります。
ジダバタあがいて余計なことをすると、どん底がより深くなります。
ピンチのときは、やるべきことが限られています。
ピンチのときは、やるべきことをさっさとやりさえすればよいのです。
だから、「ピンチをチャンスにするのは、容易である」と、私は思うことにしています。
追伸
「ピンチをチャンスにするのは、容易である」という命題が、真であっても、偽であっても、どちらでもいいのです。
さっさとピンチをチャンスにしてしまえばいいだけのことです。
さっさとピンチをチャンスにしてしまった人は、「ピンチをチャンスにするのは、容易である」という命題は真だと思うでしょう。
ピンチをチャンスにできなかった人は、「ピンチをチャンスにするのは、容易である」という命題は偽だと思うでしょう。
命題の真偽は、人それぞれに異なるのです。
私は、「ピンチをチャンスにするのは、容易である」という命題は真だと思う側に回りたいと思っています。
その方が、愉快な人生を歩むことができるように思えるからです。
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