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(三)依頼・紹介編 ③

 話がかなりそれてしまいましたので、元に戻します──。
 結局、私の書いたその小説は映像化されなかったのですが、そのプロデューサーが私の才能を高く買ってくれ、知り合いの東京電力の社内番組を制作している制作会社の社長を紹介してくれました。
 幸運にも、今、東京電力の各施設(横須賀の火力発電所、高輪のお寺の下にある地下変電所-----etc.)をドラマ仕立てで紹介するPRビデオを作る企画があり、シナリオライターを探しているということでした。    
 その話は、トントン拍子に進み、その作品で念願のシナリオライターデビューを果たしました。
<物事は、うまくいくときは、こういうものなんだなあ----->
 と思ったことを、昨日のように鮮明に覚えています。
 その作品は、『源内先生の電気探訪』という題名で、江戸時代のマルチ天才、平賀源内が長崎の出島で、“時空転換機”という携帯タイムマシーンを手に入れ、現代にタイムスリップしてきて、東京電力の施設を探訪するという話です。
 このドラマ仕立てのPRビデオはなかなか好評で、
「源内ちぇんちぇい(先生)の次の作品、まだできないの?」
 と、東京電力の社員の幼稚園児の子供さんが、毎回出来上がるのを楽しみにしていたそうです。
 結局、一話約15分番組を5本執筆しました。
 プロットをプロデューサーの要求通り、何度も書き直す作業は、実戦向きの私にとっては、楽しい作業でした。プロデューサーのアドバイスに触発されて、知識の引き出しから次々とアイデアが湧いてくるから不思議です。やはり、自分は、コンクール向きではなく、実戦向きだと痛感したものです。
 その作品の2本目か3本目の作品だったと思いますが、プロデューサーと制作会社の社長(エグゼクティブ・プロデューサー)と喫茶店で打ち合わせをしているとき、
「源内先生が、浄瑠璃(じょうるり)の台本を書いているとき行き詰って、気分転換に時空転換機で現代にタイムスリップしたら、ちょうどその浄瑠璃をテレビで放送していて、それを見た源内先生が、“そうか、ここはこうすればいいのか!!”と気づいて、元の江戸時代に帰って作品を完成させるっていうのは、どうでしょうか!?」  
 と、アイデアを喋ると、
「うん、それ面白いね!!」「君、凄いよ!!」
 と驚いていた二人の顔を、今でも鮮明に覚えています。
 私としては、とっさに思いついたことを喋っただけなんですけどね-----。
 典型的なカウンター・パンチャーなので、相手の言葉に触発されて、いくらでもアイデアが浮かびます。
 相手が、どこから攻めてきてもカウンターが打てるので、「どっからでも、かかってきんしゃい!!」という心境です。
 私のやり方は、初稿でOKが出ることはまずないので、最初から渾身の決定稿を目指さず、まずはパイロット版(試作品)を提出し、相手の力量といってはおこがましいですが、その反応を見て、この人はどういう考え、性格の人で、この番組で何を目指し求めているのかの探りを入れます。
 ボクシングで言えば、まず第1ラウンドで、ジャブで相手との距離感を測り、相手の得意技と弱点を探り、フィニッシュブローはどれにするかの、様子見というところでしょうか。
 シナリオは頭脳ゲームなので、1を聞いて10を知るぐらい頭脳明晰で、要領よく立ち回らないと、過当競争のこの業界では生き残れません。生真面目に馬鹿の一つ覚えのように、マニュアル通り真正面からワンパターンで攻めても、相手を倒すことは不可能です。
 小説は感性だけで書けますが、シナリオは感性+理性がないと無理です。数学的思考能力が必要です。方程式ではなく、幾何学のように、この線とこの線がこうなって、∴(ゆえに)こうなるという思考方法です。鶴亀算、詰め将棋を解読できるほど、頭が良くなくてはなれない職業です。
 性格的、志向が合わない監督やプロデューサーだと、ここで笑わせよう、泣かせよう、感動させましょうと計算して書いたシーン、セリフを、勝手に現場で削除されてしまうことがよくあります。そういうときには、
<この人、センスないなあ-----。ここが、このドラマ(映画)の伏線or芝居どころorコメディリリーフなのに-----。これなら、自分で監督した方がよかったな>
 と、何度思ったか分かりません。
 この業界は、才能のある選ばれた者の集まりですから、“センス無き者は、去れ!!”というのが、私のポリシーです。
 
 物事はひとつうまく行き始めると、まるで歯車がカチッとハマったように、すべてが順調に動き始めるものです。
 そのPRビデオを書いていたときに、私の小説を制作会社に紹介してくれた、大手広告代理店の元副社長に初めてお会いする機会がありましたので、紹介のお礼を言うと、
「君の書いた広島を舞台にした映画のシナリオを、制作会社のプロデューサーに渡されて読ませてもらったが、あれ、なかなか面白かったよ」
 と言われたので、
「プロデューサーや直居先生に見せたら、日本では大道具的に製作不可能。ハリウッドで超大作級の製作費をかけないと、無理だと言われたのですが-----」
 と言うと、その作品が大いに気に入ったらしく、知っているハリウッドのエージェントに見せてくれました。しかし、そのエージェントも読んで面白いと言ってくれたのですが、残念ながら実現には至りませんでした。
 それから数年後、捨て置くには忍びない作品だと思い、別ルートで伝手(つて)を頼って、ロサンゼルスにいる映画『007』のプロデューサーに電話でコンタクトを取ると、来週仕事で日本へ行くので、そのときに会いましょうという願ってもない返事でした。
 数日後、そのプロデューサーと、ホテルのロビーで会ったとき、
「これを映画化すれば、映画史上に残る傑作になるだろう。しかし、ハリウッドでやるのだったら、主人公はアメリカ人に書き直さなくてはいけない。今のところ、映画化の可能性は10%だな」
 と言われました。あとは誰が演(や)り、誰が監督するかで可能性は一挙に跳ね上がります。
「監督は、『プラトーン』や、『7月4日に生まれて』などの戦争映画の傑作がある、オリバー・ストーン監督がいいと思うのですが」
 とダメもとで言ってみると、
「うん、いいね。彼とは、弁護士が一緒なんだよ」
 とのことでした。
「ハリウッドの映画は、どこで作られているんだい?」
「撮影所じゃなくて、法律事務所さ」
 というアメリカンジョークがありますが、それほどアメリカ社会は契約社会で、ハリウッドでは弁護士が絶大な力を持っています。
 つまり、ビジネスライクなアメリカのショービジネスは、アバウトな日本と違って、優秀なエージェントと弁護士が不可欠なようです。
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      ④に続く

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